目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第15話 同盟に向けて

 紫の王国を併合したとはいえ、すぐに一つの国として機能するわけではない。旧紫の王国内の統治体制の整備、軍の再編成、貴族たちの処遇、さらにはベリルへの叙爵――解決すべき課題は山積みだった。

 だが、ひと月もすると、ようやく政務が落ち着きを見せ始める。主要な問題には一通り目処がつき、キッドもようやく旧紫の王国以外の事柄に手をつけられるようになってきた。


 キッドは執務机から顔を上げると、軍師用執務室の一角に目を向ける。そこには三人の女の子――ルルー、ミュウ、ルイセが、それぞれの机に向かい、黙々と書類に目を通していた。

 元々、この部屋にはキッドの作業机と来客用テーブルしかなかった。しかし今や、来客用テーブルは隅に追いやられ、四つの机がロの字に配置されている。キッドの正面にルルー、右側にミュウ、左側にルイセ。それぞれが真ん中に向かう形で机に座っていた。


 最初に机を持ち込んだのはミュウだった。

 キッドが紫の王国への遠征から帰ってきた時には、すでにミュウの机が軍師用執務室に置いてあった。

 キッド不在の間、執務室を好きに使っていいとは言ったが、そういう使い方をされるとはキッドも想定していなかった。とはいえ、ミュウに「することはいっぱいあるんでしょ? ほかにすることないから、手伝ってあげようと思ってね」と言われては、断る理由もない。

 実際、ミュウの事務処理能力は目を見張るものがあり、彼女の助けは大きな戦力となった。


 次にこの部屋に根を下ろしたのはルルーだった。

 キッドとルルーが協議して決めねばならない事案は多く、最初のうちは彼女がその都度執務室を訪れていた。しかし、キッドとミュウが同じ部屋で並んで仕事をしている光景を見た彼女は、いつの間にか用がなくても居座るようになった。そして、やがては自分の机を運び込み、完全にこの部屋を根城とした。


 最後に加わったのがルイセである。

 ルルーまでもが机を持ち込み、三人が△の形に机を並べているのを見たその深夜、ルイセは何の前触れもなく、自らの机を運び込んだ。そして翌朝、何食わぬ顔で自分の席につき、キッドの執務室は□の形に再編された。

 こうして賑やかになった執務室で、キッドは真剣な表情を浮かべ、書類を閉じた。


「みんな、ちょっといいかな」


 彼の声に、三人が手を止める。視線が集まる中、キッドが続けた。


「旧紫領に関してはひと段落ついた。そこで、そろそろ次の段階に進みたいと思うんだ」


 キッド以外の三人は顔を見合わせ、代表するようにルルーが問いかける。


「次の段階というと?」

「黒の帝国に対抗するための次の段階です」


 黒の帝国。その言葉に、三人の表情が引き締まる。


「具体的なことを聞かせていただけますか?」

「もちろんです。俺が次に考えているのは、緑の公国との同盟です」


 それはキッドが、この紺の王国に来た時から抱いていた構想だった。


 この地は、四方を海に囲まれた大きな島で、島内には数十もの国が乱立していた。

 その中でも、大国と呼ばれるのは四つ。北西の黒の王国、南西の白の聖王国、北東の赤の王国、南東の青の王国。この四カ国がそれぞれの地域の盟主として存在し、周りの小国はその庇護のもと、平穏な治世を享受していた。

 だが、その均衡はもろくも崩れ去った。黒の王国に新たな王が即位したときから、戦乱の時代が始まったのだ。

 即位した新王は、先王の掲げた慎重な外交を放棄し、自らを「皇帝」、そして自国を「黒の帝国」と称すると、覇を唱え、周辺の小国を次々と武力制圧し、版図を広げていった。さらに、黒の帝国の暴威に危機感を抱いた白の聖王国、赤の王国、青の王国も、それぞれ勢力圏を拡大すべく動き出す。こうして、平和だった島は、四大国による覇権争いの様相を呈し、戦乱の時代へと突入していったのだ。


 現在、この北西地域で最大の勢力を誇るのは、間違いなく黒の帝国だった。

 ルルーが治める紺の王国は、黒の帝国の南側に位置し、ジャンやミュウの緑の公国は黒の帝国の西側に位置している。

 この北西地域において、単独で黒の帝国と渡り合える国は存在しない。対抗するには、最低でも二カ国による、二方面作戦が必要だった。そして、現状、黒の帝国に戦いを挑むだけの力と覚悟を持つ国は、キッドの見る限り、自らが率いる紺の王国と、緑の公国しかいなかった。

 黒の帝国に対抗しうる道はただ一つ――南と西からの連携攻撃。

 この戦略を実行するためには、紺の王国と緑の公国の同盟が必要不可欠だった。


 しかし、キッドが紺の王国に来た当初、その国力はあまりに脆弱で、緑の公国との交渉の席に着くことが叶わなかった。戦略を語る前に、まず足場を固めなければならない。そう考えたキッドは、まず紫の王国を併合し、紺の王国の国力を倍にまで引き上げることに成功した。そして今、ようやく緑の公国と、対等に語り合う資格を手に入れたのだ。

 ようやく、黒の帝国と戦うスタートラインに立ったのだ。


 キッドは、緑の公国との同盟、そしてその後の黒の帝国への二面攻撃についても、ルルーたちに説明をした。


「キッドさんの計画では、緑の公国との同盟が絶対に必要というわけですね」


 ルルーの声音には、慎重な響きがあった。

 この部屋で共に仕事をするようになってから、いつの頃からか、彼女のキッドに対する呼び名が「様」付けから「さん」付けに変わっていた。

 最初はキッドも「あれ?」とは思ったが、よく考えればキッドはルルーの配下であり、「様」付けで呼ばれることの方がおかしかったと言える。そのため、特に理由を聞くようなこともせずにいたのだが、「さん」付けで呼ばれ続けるうちに、もうそれが当たり前に感じるようになっていた。


「ええ、我々には絶対に必要です。そして同時に、この同盟は、緑の公国のためにもなると考えています」


 キッドがそう言うと、ミュウの顔がわずかに綻び、それとは対照的にルルーの表情が少し不機嫌になった。

 ルルーは、いまだにキッドの心の奥底に緑の公国への想いがあることを敏感に感じ取っていた。しかし、今はそのことを考えるべきではない。彼女は気持ちを切り替え、話を先へと進めることにした。


「そうなると、緑の公国への使者が必要となりますね」


 ルルーの言葉に、キッドは大きくうなずく。

 この同盟は、絶対に失敗できない。使者の人選は最も重要な課題だった。だからこそ、キッドの中ではすでに、誰が使者となるべきか、答えは決まっていた。


「緑の公国には俺が行きます。両国の橋渡し役として、俺以上に適任な者はいませんから」


 キッドの言葉は理にかなっていた。異論を挟む者はいない。だが、それでもルルーとルイセの胸には、拭いきれない不安があった。

 ――キッドは元々、緑の公国の人間だ。

 もし彼が緑の公国に赴き、同盟を成立させたなら、そのまま紺の王国には戻らず、緑の公国に留まってしまうのではないか。二人の脳裏に、その疑念が浮かぶ。

 もちろん、キッド自身がそう望むことはないと信じている。しかし、緑の公国がキッドの帰国を認めない可能性は大いにあり得た。


「じゃあ、私も当然ついていくね」


 弾むような声でそう言ったのはミュウだった。


(やった! これってチャンスじゃない!)


 内心、ミュウは歓喜していた。キッドが緑の公国に来てくれるのなら、そのまま引き止めれば、彼は再び緑の公国の人間となる。


(ルルー王女のことも、ルイセさんのことも、個人的には好きだけど……今の紺の王国なら、キッドなしでもやっていけるはず。紫の王国を取り込んで国力を上げたのだから。……だったら、キッドは返してもらわないとね!)


 ミュウはとびきりの笑顔を浮かべた。だが、その笑顔を見たルルーの心中は穏やかではない。

 ミュウがこの国へ来た理由を考えれば、彼女の意図は見えていた。しかし、だからといって、ミュウの思い通りにさせるつもりはない。この国にも、自分にも、まだまだキッドは必要な人材なのだ。そう簡単に緑の公国へ持っていかれるわけにはいかない。

 とはいえ、ミュウが同行することを止めることはできない。むしろ、緑の公国に向かうのに、彼女だけ残るほうが不自然だった。


(まずいです! ミュウさんは元々、キッドさんを連れ戻しに来ているんですから、二人だけで緑の公国に行ったら、絶対そのまま国に残るよう猛プッシュするに決まってるじゃないですか! キッドさんはミュウさんのこと、すごく信頼してますから、そんなことになったら、ホントに落ちかねません! だとしたら、私の立場でできることといえば……)


 ルルーは素早く思考を巡らせ、一つの答えを導き出した。


「ちょっと待ってください! 今回の同盟は、絶対に成立させないといけないものなんですよね?」

「ええ、もちろんです。この同盟なくして黒の帝国打倒はあり得ません」

「だったら、同盟のために、私も緑の公国に行きます!」


 キッドの眉がわずかに動いた。


「緑の公国は、我が国より国力が上です。その相手に、こちらから同盟を求めるのですから、礼を尽くさねばなりません! それならば、王女である私自らが出向いて、ジャン公王とお話させていただくのが筋というものでしょう」


 ルルーの言葉には、明確な意図があった。彼女が同行すれば、ミュウがキッドを取り戻そうとする動きを抑えられる。その上、帰国の際に、公国がキッドを国内に留めようとしても、王女の護衛役として彼を連れ戻すことができる。

 だが、キッドとしては、はいそうですかと受け入れられるはずがなかった。


「……ルルー王女、それはもはや使者でありません」

「ええ、ですが、こちらの本気さは伝わります。同盟は国と国の話ではありますが、その根底にあるのは、人と人の心です。こちらの覚悟を示さずして、どうして真意が伝わるでしょうか」


 ルルーの瞳は真っすぐにキッドを見据えていた。

 思い返せば、山奥で隠居同然の生活を送っていたキッドを軍師とするために足を運んでくれたのは、使いの者ではなく、ルルー自身だった。それも一度や二度ではない。何度も何度も訪れ、心を開こうとしてくれたのだ。

 ――彼女のその熱い想いがあったからこそ、今自分はここにいる。

 キッドは改めてそのことを実感する。

 ならば、同盟という重大な局面においても、ルルー自らが動くのは決して間違いではない。むしろ、両国を代表する者同士が直接向き合うことで、打算のない信頼関係を築けるのなら、それこそが最善手ではないかとさえ思えてくる。


「……わかりました。ルルー王女も一緒に来てください。ジャンには、ルルー王女に直接会ってもらうのが一番かもしれません」

「はいっ!」


 ルルーは満面の笑みを浮かべたが、横にいたミュウはどこか不機嫌そうだった。

 彼女は紺の王国の人間ではない以上、王女の決断に口を挟む資格がないと理解しているのだろう。何も言わず、ただ静かに唇を噛んだ。

 一方で、ルイセは表情こそ崩さなかったものの、どこか納得していない気配が漂っていた。普段、政治的なことに関しては口を挟まず、黙々と仕事をこなす彼女が。珍しく発言をする。


「では、私も同行します。王女には護衛が必要でしょう」


 その申し出に、キッドは思わず目を見開いた。


「いや、俺もミュウもいる。さすがにこれ以上の護衛は必要ないよ」

「むっ」


 いつも無表情なルイセの顔に、ほんのわずかだが不満の色が浮かんだ。


「それに、俺もルルーもミュウも不在となれば、その間、城や国を任せられる者が必要だ。ルイセにはそれを任せたい」


 ルイセの表情が、ほんの一瞬揺らいだ。まるで拗ねた子供のような、彼女にしてはこの上なく珍しい表情だった。


「……私に留守番をしていろということですか?」

「ルイセさん、お願いできませんか? あなたが残ってくださるのなら、私も安心して緑の公国へ向かえます」


 ルルーの静かだが深い想いのこもった言葉に、ルイセはしばし沈黙した。

 確かに、紫の王国の併合による混乱が完全に収まったわけではない。ルルーとキッドの不在は紺の王国にとって大きなリスクとなる可能性がある。そのことは、ルイセも十分に理解していた。


「……わかりました」


 渋々といった様子だったが、それでもルイセは自分の役割を受け入れた。


「それじゃあ、同盟の条件や、緑の公国に向かう日程や行程を決めよう」

「あ、その前に、ちょっとお花摘みに行ってきますね」


 ルルーは軽やかに立ち上がる。この四人が一度話し始めれば、長時間熱が入り、なかなか休憩も取れない。それを察して、彼女は早めに席を立ったのだ。


「……では、私も」


 珍しくルイセも後に続き、二人は部屋を後にした。




 軍師用執務室を出て廊下を歩いていたルルーは、背後から足音が近づいてくるのに気づいた。振り返ると、ルイセが足早に近づいてくる。


「あ、ルイセさんもですか?」

「いえ、ルルー王女にお話したいことがありまして」

「私にですか?」


 思いがけない言葉に、ルルーは足を止める。

 ルイセが自ら進んで話しかけるのは珍しい。ましてや、それがキッドではなく自分だというのだから、よほどのことなのだろう。ルルーは自然と身構えた。


「はい。……ルルー王女にお願いしておかねばならないと思いまして」


 ルイセは静かに息を整えると、真っすぐにルルーを見つめた。その瞳には、普段の冷静さとは違う、切実な想いが宿っている。


「――キッド君を、緑の公国に取られてはいけません。必ず連れて戻ってきてください」


 ルイセの言葉は凛としていた。しかし、その声の奥には、抑えきれない焦燥と切実な願いが滲んでいる。

 その想いの強さに、ルルーは思わず息を呑んだ。


(ルイセさんも、同じことを考えていたのね……)


 ルルーは、彼女が自分と同じ危機感を抱いていたことを悟る。

 それだけでなく――キッドを手放したくない、彼を守りたいという思いを、自分に託そうとしていることも。


「……わかっています。王女の名に懸けて、必ずキッドさんと一緒に戻ってきます」


 ルルーは静かに手を伸ばし、ルイセの手を握る。

 その瞳には、迷いのない決意が宿っていた。


「頼みましたよ」


 ルイセもまた、力を込めて握り返す。

 そのぬくもりの中に、確かな想いの重さを感じながら――ルルーは静かにうなずいた。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?