目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第20話 「帝国の剣」と「帝国の魔女」 その2

 キッドがエイミから遁走を始めた頃、ミュウは依然としてソードと対峙していた。

 キッドがいなくなり、もはや迂闊に飛び込むことはできない。

 ソードの剣の間合いに入れば、凄まじい威力の剣戟が飛んでくるとは想像に難くない。受け止めることはもちろん、受け流すことすら困難だろう。

 ミュウは何度か踏み込みの気配を見せ、ソードの攻撃を誘おうとした。しかし、ソードはその誘いに一度たりとも乗ってこない。空振りさせられずとも、不用意な動きを見せれば、ミュウの速度をもってすれば懐へ飛び込み、一撃を叩き込むことも可能なはずだった。

 だが、誘いに乗ってこないのでは、その隙すら生まれない。

 ソードの自信は明白だった。たとえミュウが間合いに踏み込もうとも、自分の剣の方が先に届く、と。


(私の速さなんて見切ってるって顔。……私も舐められたものだね)


 ミュウは奥歯を噛みしめ、決意を固めた。


(キッドに、「ソードのことは任せて」と言ったのは私だ。何もできずに終わるわけにはいかないよね)


 ミュウは静かに息を整えながら、自分の手足に見えない力を巡らせた。魔法の素養のない彼女にはわからないが、それこそ人の心から生まれる想像の力――霊子力だった。魔力に変えることはできずとも、人は皆、霊子を持っている。それは確かに彼女の内にもあった。


(これまでソードに見せてきた私の踏み込みは、100パーセントの力のものだった。ソードはその速さを基準に、自分の剣の一撃が私の踏み込みより速いと考えているはず……)


 事実、ソードはそう考えていた。彼の観察眼は正確に状況を把握する。

 だが、彼は知らない。ミュウには、120パーセントの力を解放した神速の踏み込みがあることを。

 その技は足への負担が大きく、使用後に筋肉の極端な疲労により動きが鈍くなる代償があるため、そうやすやすと使えるものではない。


(それでも――ここで使わなきゃ、女がすたるってもんだよ!)


 ミュウはいつもよりさらに深く身を屈めた。

 その動きに、ソードが警戒の色を濃くする。


(警戒したって無意味だよ!)


 轟ッ――。


 爆発的な蹴り音とともに、ミュウの姿がかき消えた。

 ソードが音の正体を理解するよりも早く、視界の端にちらつく影――否、もう目の前まで迫っている。たった一歩で、距離をゼロにした。

 即座に迎撃は不可能と悟ったソードは、全能力を防御へと回す。


(無駄よ! この攻撃は防げない!)


 ミュウの剣が閃く。縦と横、二筋の斬撃が同時に走った。

 かつてミュウは、縦斬りと横斬りの連撃を何度も繰り返し、速さを極限まで研ぎ澄ませた。力ではかなわない。ならば速さに賭けるしかない――その一心で、ただひたすら剣を振るい続けた。やがて、その連撃はあの瞬間を境に進化した。二撃目が、一撃目に追いついたのだ。

 それは理論上、完全な同時攻撃ではないかもしれない。だが、人の目には、もはや時間差など存在しない。ただ、縦と横の斬撃が同時に襲いかかるのみ。しかも、神速の踏み込みの勢いを加えて――


「嵐花双舞!!」


 神速と同様、この技には腕にも相当な負担を強いる。だが、今この瞬間を逃せば、次の機会は訪れないかもしれない。ミュウは迷わなかった。

 閃光のごとき二筋の斬撃が、ソードを斬り裂かんと迫る――


 縦斬りはそれでもソードの大剣で止められた。しかし、その瞬間には横斬りがその防御をすり抜けている。鎧を裂き、鋭い刃が肉を刻む――鮮血が飛沫を上げ、戦場の空域を染めた。


(入った!)


 手応えを感じたミュウは、すぐさま跳躍し、間合いを離した。

 足も腕も、今の一撃で消耗が激しい。通常の半分の力も出せないほどだ。これ以上ソードの間合いの中に留まるわけにはいかなかった。


 着地したミュウは、改めてソードの姿を見据えた。

 彼の腹部の鎧は裂け、その下から赤い血が滴り落ちている。

 手応えはあった――だが、ソードは倒れない。


 間合いを外したミュウは、改めてソードへと目を向ける。

 ソードの腹部の鎧は斬り裂かれ、そこから血が滴っていた。

 だが、手応えはあったはずなのに、ソードはその状態で倒れず、今もなお立ち続けている。いや、それどころか、再び剣を構え直していた。


「……見事な技だ。この鎧が魔装でなければ、今の一撃で負けていたかもしれん」


 その言葉を聞いた瞬間、ミュウは心の中で舌打ちする。


(魔装とか聞いてないよ! こっちはすべてを懸けた一撃だったのに!)


 魔装――それは名匠が己の魂を込めて作り上げた逸品。魔法そのものではないが、人知を超えた性能を持つと言われている。歴史に名を残す名匠でも百作って一つ生まれるかどうかの代物。その希少性から、国宝級の装備とも称され、実際に目にする機会すらほとんどない。

 ミュウが今までに見たのも、ほんの数度に過ぎなかった。


(その魔装がどんな能力なのかは知らないけど……少なくとも、その鎧のせいで、内臓まで断ち切るはずの一撃が、皮一枚しか斬れなかったってことか……。ついてないね、これは)


 淡々とした思考とは裏腹に、ミュウの内心には焦燥が渦巻いていた。

 剣を構え直し、表情は崩さないが。だが、腕も足も先ほどの一撃で消耗している。血の巡りが鈍り、指先が痺れて感覚が鈍る。今攻め込まれれば、防ぐ自信などない。いや、それどころか、次の一撃に耐えられる保証すらない。


(今、ソードに打ち込まれたら……この身体じゃ……)


 しかし、ソードもまた動かない。

 ミュウの疲労を知らない彼は、次に繰り出される一撃を警戒せざるを得なかった。そして何より、ソード自身も傷を負っている。内臓は無事だが、決して皮一枚という浅いものでもなかった。掠り傷のように振る舞えるのは、ソードの胆力があればこそだった。


 その結果、互いに動けず、睨み合ったまま、戦いは膠着する。

 そうして、時だけが静かに流れていった。

 やがて、二人の戦いとは別の場所で、戦局が変わり始めた。

 優秀な指揮官からの指示を得られなくなった黒の帝国軍は、次第に数で勝る緑の公国軍に押されていった。最初は拮抗していた戦線も、劣勢の色を濃くしている。


「……どうやらここまでのようだな」


 静かにつぶやきながら、ソードはゆっくりと後退した。ミュウとの距離を慎重に開けていく。

 やがて、二人の間合いは、もはやすぐには戦闘行動を取れない距離へと広がった。


「全軍、撤退! 速やかに撤退の陣形に移れ!」


 響き渡る号令とともに、黒の帝国軍の兵士たちが動き始めた。

 ソードは振り返らず、まっすぐに部隊の元へ駆けていく。

 ミュウは、それを追うことができなかった。

 膝に力を込めたが、踏み込むことすら難しい。使い慣れた愛剣さえ今は重く感じる。

 とはいえ、彼女の役割は十分に果たされた。緑の公国が優勢となったのは、ミュウがソードを抑え込んだが故でもある。

 それでも、ミュウの胸に満足感はない。


(……ここまでやっても、倒しきれなかった)


 重くなった手と足を見つめ、悔しさを噛みしめる。


(……キッド、こっちは引き分けだよ。そっちはどうなってる?)


 視線を巡らせても、もはやキッドの姿はない。

 それでも、ミュウは彼がいるはずの方向をじっと見つめた。




「くっ……あなたを倒して戦列に戻るつもりだったのに……間に合わなかったようね」


 息を荒げながら、エイミはついに足を止めた。

 キッドとひたすら追いかけっこを続けていた彼女も、戦況の変化を悟ったのだ。

 すでに味方の軍勢は押され、撤退の流れが決定的となっていた。

 エイミはキッドを正面から見据え、悔しさを滲ませながらも、静かに言い放つ。


「……キッド、あなたとの決着は、別の戦場でつけさせてもらうことにするわ」


 エイミの言葉に、キッドの動きが一瞬止まる。


「……俺のことを知っていたのか」


 帝国の魔女に知られているとはキッドも思っていなかった。

 今にして思えば、ダークマター対策や剣で迫る動きなど、どれもキッドへの対策として的確だった。


 エイミはそれ以上言葉を交わさず、素早く距離を取ると、戦場の混乱の中へと姿を消していく。撤退を指揮するため、帝国兵たちのもとへと向かったのだ。


(これが帝国四天王か……)


 キッドは肩で息をしながら、遠ざかるエイミの背中を見つめた。

 今のキッドに追いかける体力はない。

 走り回りすぎて、脚に力が入らないほど消耗していた。

 もしこの勝負がこの先も続いていたら、二人の勝負はどうなっていたか……。


 キッドは帝国四天王を甘く見ていたつもりはない。

 だが、今日の戦いで思い知らされた。

 これから自分たちが倒さなければならない相手が、その通り名に恥じぬ、本物の強者だということを。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?