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第29話 広島での祝い、結ばれる心と心機一転


広島の港町、春の陽射しが瀬戸内海を穏やかに照らす朝。佐藤宗次こと佐久間宗太郎は、広島の「瀬戸」で過ごす三日目を迎えていた。享保年間の九州を巡り、中国地方へ旅を進めた宗太郎は、博多を拠点に各地で評を広め、偽名を使い江戸での暗殺未遂を逃れていた。山口で弟子・太郎が刺客に命を奪われたが、沙羅の協力で藤十郎の暗殺計画が一旦中止となり、宗太郎は新たな旅を続けていた。前々日に「瀬戸」で出会った17歳の鮎子に一目惚れし、昨日、結納の条件として旅に同行してほしいと伝えた。鮎子は戸惑いながらも父・辰五郎に相談し、宗太郎の真剣な想いに心を動かされていた。



「瀬戸」の店内は、朝から穏やかな空気が漂う。宗太郎はカウンターに座り、鮎子を見つめていた。彼女の優しい笑顔と、時折見せるはにかんだ表情が、宗太郎の心を温かく満たしていた。鮎子は宗太郎に気づき、頬を赤らめながら声をかけた。



「宗次さん、今日も来てくれて…ありがとう。昨日、父さんと話して…私、決めたよ。」



宗太郎は鮎子の言葉に胸が高鳴り、真剣な目で彼女を見つめた。



「鮎子、そなたの答えを聞かせてくれ。」



鮎子は少し緊張しながらも、はっきりと答えた。



「宗次さん、私、そなたと旅に着いていく。命の保証がないって言われたけど…そなたと一緒なら、怖くない。結婚して、そなたの旅を支えたい。」



宗太郎は鮎子の決意に目を潤ませ、静かに微笑んだ。太郎の死で冷えていた心が、鮎子の言葉で再び温かさを取り戻した。



「鮎子…そなたの覚悟、ありがたく受け取る。俺はそなたを守り、共に味を探求する旅を続けよう。」



二人は見つめ合い、初めて手を握った。鮎子の小さな手は温かく、宗太郎の大きな手に包まれた瞬間、互いの距離が一気に縮まった。




店の奥から辰五郎が現れ、二人の様子を見て微笑んだ。



「鮎子、宗次殿…よく決めたな。俺も賛成だ。今日はお前たちの結婚を祝う。祝い飯を作ろう。」



鮎子は父の言葉に目を輝かせ、宗太郎も感謝の意を込めて頭を下げた。



「辰五郎殿、ありがとう。そなたの娘を大切にする。祝い飯、楽しみにしている。」



辰五郎は厨房に入り、特別な一品を準備し始めた。鮎子は宗太郎の隣に座り、恥ずかしそうに笑った。



「宗次さん…これからよろしくね。私、料理は得意だから、旅でもそなたの力になるよ。」



宗太郎は鮎子の言葉に頷き、彼女の肩を軽く抱いた。



「鮎子、そなたがそばにいてくれるだけで、俺は力になる。旅は長いが、共に歩もう。」



二人は互いに寄り添い、穏やかな時間を過ごした。鮎子の肩に触れる宗太郎の手は優しく、彼女もまた宗太郎の温もりに安心感を覚えていた。




やがて、辰五郎が祝い飯を運んできた。

牡蠣飯は、瀬戸内の牡蠣と米が絶妙に混ざり、醤油と生姜が香る一品。辰五郎が心を込めて炊き上げた祝いの膳だ。



「宗次殿、鮎子、これは俺からの祝いだ。牡蠣飯で、広島の海の恵みを味わってくれ。二人の旅が、幸多きものになるよう願ってる。」



宗太郎と鮎子は手を合わせ、牡蠣飯を味わった。牡蠣の濃厚な旨味が米に溶け、醤油と生姜が優しく調和する。宗太郎は一口食べ、鮎子と目を合わせた。



「鮎子、この牡蠣飯、辰五郎殿の心が詰まっている。俺たちの旅の始まりにふさわしい味だ。」



鮎子は頬を染め、嬉しそうに頷いた。



「うん、私もそう思う。父さんの牡蠣飯、大好きだから…宗次さんと一緒に食べられて、嬉しい。」



二人は牡蠣飯を分け合い、互いの箸で一口ずつ食べさせた。宗太郎が鮎子に牡蠣飯を差し出すと、彼女は恥ずかしそうに口を開けた。鮎子もまた宗太郎に同じように返し、二人は笑い合った。辰五郎はそんな二人を見て、満足そうに目を細めた。



「鮎子、宗次殿を頼むぞ。宗次殿、うちの娘をよろしくな。」



宗太郎は辰五郎に深く頭を下げ、約束した。



「辰五郎殿、必ず鮎子を守る。広島の海とそなたの温もりを胸に、旅を続ける。」




夕方、宗太郎と鮎子は「瀬戸」の外で瀬戸内海の夕陽を見つめた。二人は肩を寄せ合い、初めて夫婦としての一歩を踏み出した。宗太郎は鮎子の手を握り、静かに語った。



「鮎子、これから長い旅になる。だが、そなたがそばにいるなら、どんな味も共に楽しめる。」



鮎子は宗太郎の胸に寄り添い、穏やかに答えた。



「宗次さん、私もそなたと一緒なら、どんな旅でも幸せ。広島の海が、私たちを見守ってくれるよ。」



二人は夕陽に照らされながら、互いの温もりを感じた。広島での三日間が、宗太郎と鮎子を結びつけ、新たな旅立ちの礎となった。太郎の遺志と沙羅の贖罪を遠くに感じつつ、宗太郎は鮎子と共に次の地へ向かう準備を始めた。広島の海が、二人の未来を優しく祝福する中、愛と希望の新たな局面へ。



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