結婚から1ヶ月が経った頃、レティアの心は完全に冷え切っていた。夫であるライオネルは相変わらず彼女を避けるように屋敷を留守にしており、たまに帰宅しても彼と顔を合わせることはほとんどなかった。夕食も別々に取ることが常態化し、公爵夫妻としての交流は皆無に等しかった。
「これが“夫婦”なの?」
鏡台の前で髪を整えながら、レティアは自嘲するように笑みを浮かべた。豪華なドレスに身を包んだ自分の姿が空々しく映る。侯爵家の娘として、常に品位を保つよう教育を受けてきたが、その努力が何のためなのか分からなくなる時がある。
---
ある日、屋敷の廊下を歩いていたレティアは、侍女たちがひそひそと囁き合う声を耳にした。彼女が近づくと彼女たちは一斉に黙り込んだが、その瞬間、耳に残った言葉が彼女の胸に突き刺さった。
「…公爵様が外で会っている女性の話、知ってる?」
立ち止まることもできず、レティアはそのまま廊下を歩き続けた。だが、彼女の心はざわめいていた。
“外で会っている女性…?”
それが単なる噂であることを願った。しかし、冷たく距離を置かれる夫の態度を思い出すたび、その噂の信憑性が高く思えてしまう。
---
その日、レティアはいつも以上に静かな夕食を取った。ライオネルはやはり帰宅せず、長い食卓には彼女一人が座るだけだった。並べられた豪華な料理も、喉を通らない。ただ食器を動かしているだけの自分に嫌気が差して、早めに席を立つことにした。
翌朝、侍女が持ってきた紅茶を飲みながら、レティアは心を落ち着けようと努めた。だが、その日の午前中に訪れた客人からの言葉が、彼女の胸をさらにかき乱すことになる。
---
客人は、公爵家の隣接地に住む貴族令嬢エリザであった。彼女は若く、美しい容姿に加え、社交界でも評判の良い人物だった。レティアにとって、数少ない会話を交わせる相手だったが、その日の話題は衝撃的だった。
「レティア様、公爵様のご様子は変わりありませんか?」
紅茶を口に運ぶ手が止まる。エリザは無邪気に続けた。
「最近、街でよくお見かけするんです。とても綺麗な女性とご一緒にいらっしゃるとか。」
それ以上の詳細を語るエリザの言葉が耳に入らなくなるほど、レティアの心は乱れていた。彼女は表情を崩さないよう懸命に努めながらも、心の奥底では猜疑心と屈辱が渦巻いていた。
“私という存在が、彼にとっては何の意味もないというの?”
エリザが帰った後、レティアは深く息をつき、テーブルに肘をついて顔を覆った。ライオネルの外出が頻繁な理由が、彼女の想像する通りである可能性を否定できなかった。
---
それから数日後、ライオネルが久しぶりに帰宅した。深夜、レティアは寝室に一人でいたが、廊下から響く足音に気づいた。ドアが開くかと思いきや、そのまま彼の足音は別の方向へ消えていった。
翌朝、レティアは何事もなかったかのように朝食の席に座ったが、ライオネルは短い挨拶だけを交わし、すぐに屋敷を後にした。夫婦としての関係が修復される兆しは全く見えなかった。
そんな中、屋敷の中で広がる噂はますます大きくなり、レティアの耳にも頻繁に入るようになった。
---
ある日、彼女は庭園のベンチに腰掛けていた。その時、一人の老執事が近づいてきた。彼は長年公爵家に仕えてきた人物であり、レティアに対しても一定の敬意を示していた。
「奥様、どうか心をお強くお持ちください。」
その言葉に驚きつつも、レティアは静かに問いかけた。
「私に、何か知るべきことがありますか?」
老執事は一瞬ためらった後、静かに告げた。
「公爵様がよく外出される先は、とある町の高級住宅地です。その場所には…特定の女性がお住まいのようです。」
レティアの胸に冷たい感覚が走った。やはり噂は事実だったのか。老執事はさらに続けた。
「詳細は申し上げられませんが、もし奥様がその女性の存在を確かめたいのであれば、お気をつけくださいませ。」
その言葉は、レティアにとって一種の警告であり、同時に大きな転機となった。
---
その夜、レティアは一人寝室で考え込んでいた。これまで自分を保つために努力してきたが、このままでは自分が潰れてしまう。
「確かめなければ。」
小さく呟いたその言葉は、自分に向けた宣言でもあった。孤独な日々の中で、彼女は初めて夫の行動を突き止めることを決意する。
翌朝、レティアは侍女に一切の予定をキャンセルさせた。彼女は静かに屋敷を出る準備を進め、ライオネルの後を追うための行動を開始しようとしていた。