冷たい結婚生活の中で、レティアの胸中に募っていた疑念は、とうとう行動へと駆り立てられる時を迎えていた。夫であるライオネルが外出先で誰かと密会しているという噂。その人物が何者であり、どのような関係なのかを確かめなければならない。これ以上の屈辱に耐え続けることは、彼女の誇りが許さなかった。
「私は侯爵家の娘。何が起きているのかを知らずに見過ごすことはできない。」
その決意は固く、彼女の瞳にはかすかな光が宿っていた。
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そんなある日の朝、レティアは屋敷の中庭を散歩していた。彼女の行く先には、庭師たちが手入れをしている古いバラ園が広がっている。普段なら、孤独な時間を心を無にして過ごすための場所だ。だが、この日は違っていた。
「奥様、お一人で散歩をされているのですか?」
不意に声をかけてきたのは老執事だった。レティアが振り返ると、彼は穏やかな笑みを浮かべながら彼女に近づいてきた。
「ええ。少し考え事をしていて。」
レティアは答えつつも、執事の表情に何かしらの意図を感じ取った。彼は長年公爵家に仕えているが、使用人の中で唯一、彼女に対して心を開いてくれる人物だったからだ。
「奥様、お時間がよろしければ少しお話ししたいことがございます。」
執事の言葉に、レティアは一瞬戸惑ったものの、彼の真剣な眼差しに促され、話を聞くことにした。
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二人は庭園の端にある小さな東屋に移動した。そこは使用人たちの目が届かない静かな場所だ。執事は一度深く息をつき、慎重に言葉を選びながら話し始めた。
「公爵様の外出について、奥様が心を痛めていらっしゃることをお察ししております。」
その一言に、レティアは心の中で身構えた。
「確かに、彼が頻繁に外出することに疑問を抱いています。それがどうかしたのですか?」
彼女の問いに、執事は一瞬口ごもるように沈黙した後、低い声で続けた。
「公爵様が訪れているのは、とある街の高級住宅地にございます。そこには、公爵様が長年親しくされている女性が住んでおられると聞いております。」
執事の言葉は、レティアの心に鋭い刃を突き立てた。噂が真実である可能性が、彼の口から語られたことでより現実味を帯びたのだ。
「その女性は…どういった方なのですか?」
レティアの声は震えていたが、それでも毅然とした態度を崩さなかった。
「詳細については存じません。ただ、彼女が長年公爵様を支えてこられた方だと聞いております。」
その言葉に、レティアの心はさらに深く沈んだ。長年支えてきた女性。彼女には知り得ないライオネルの一面を、その女性は知っているのかもしれない。
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執事はさらに続けた。
「奥様にお伝えするべきか迷いましたが、公爵様が外出される先を確かめたいというお気持ちは、理解できるものでございます。」
レティアは無言で頷いた。彼女が知るべき真実は、既に自分の手の届く場所にある。それを見逃すわけにはいかない。
「ありがとうございます。あなたの忠告を無駄にはしません。」
執事に深く感謝の意を伝えた後、レティアは東屋を後にした。その足取りは確固たる決意を伴っていた。
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その夜、レティアは慎重に準備を整えた。ライオネルが屋敷を出た直後、彼の後をつけることを決意したのだ。屋敷の外で誰かと接触しているのならば、その現場をこの目で確かめる必要があった。
「私はただの駒ではない。自分の運命を知る権利がある。」
そう心の中で繰り返しながら、レティアはシンプルなドレスに身を包み、目立たないように屋敷の裏口を抜け出した。
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ライオネルが向かった先は、執事の言葉通り街の高級住宅地だった。彼が乗る馬車の後ろを、彼女は目立たないよう慎重に追った。
やがて彼の馬車が止まり、一軒の美しい屋敷の前で扉が開かれる。そこから降りたライオネルの隣には、一人の女性が現れた。その女性は、上品なドレスを纏い、美しい黒髪をなびかせていた。ライオネルが彼女に微笑みかける姿を見た瞬間、レティアの胸に鋭い痛みが走った。
「あの人に、私に向けられたことのない表情をしている…」
その場から逃げ出したい衝動に駆られながらも、レティアは足を止めなかった。彼女はさらに近づき、ライオネルが女性と共に屋敷に入っていく姿を見届けた。
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それから何時間が経っただろうか。レティアは屋敷の近くで立ち尽くしていた。心の中でいくつもの感情が渦巻いていた。怒り、悲しみ、屈辱、そして冷たい決意。
「私は、このままでは終わらない。」
そう呟いた彼女の瞳には、もはや悲しみだけではなく、次なる行動への覚悟が宿っていた。彼女の物語は、ここから動き出すのだった。