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第5話 密会の現場

 静寂に包まれた夜の街道を、レティアは慎重に進んでいた。馬車の車輪が石畳を転がる音を遠くに感じながら、彼女はライオネルの後を追い続けていた。屋敷を抜け出し、ライオネルの動向を直接この目で確かめる決意をしたのだ。背筋に冷たい緊張感を覚えつつ、彼女の足は止まらなかった。


 執事の言葉を思い出す。

 「公爵様が訪れているのは、高級住宅地の一角です。」


 その言葉の意味を、確かめなければならない。噂が真実であるかどうか、自ら見届けるために。



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 やがてライオネルの馬車は、街のはずれにある閑静な住宅地に停車した。周囲には華やかな邸宅が立ち並び、どれも貴族や富豪の住まいであることが一目で分かった。レティアは距離を保ちながら様子を伺った。


 馬車から降りたライオネルの隣に、一人の女性が現れた。彼女は美しい黒髪を肩に流し、上品な身なりをしている。その女性がライオネルに向ける微笑みは、心からの信頼と親愛を感じさせるものだった。そしてライオネルもまた、レティアには見せたことのない穏やかな表情で応じている。


 その瞬間、レティアの胸に鋭い痛みが走った。


 「あの人が…夫にこんな表情をさせるなんて。」


 彼女は立ち尽くし、二人の様子を見守るしかなかった。ライオネルは女性に手を差し伸べ、二人で邸宅の中へと消えていく。その背中を見送るレティアの手は、気づかないうちに固く握り締められていた。



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 レティアはその場から動けなかった。ライオネルが何時間もその邸宅で過ごしている間、彼女はただ立ち尽くし、心の中でいくつもの感情が渦巻いていた。


 「彼女は誰?彼にとって、私は何なの?」


 自分が政略結婚の道具でしかないことは初めから分かっていた。しかし、目の前の光景がそれを痛烈に突きつける形となり、心が張り裂けそうだった。


 夜が深まる頃、邸宅の扉が開き、ライオネルが女性に見送られながら外に出てきた。二人が最後に交わす視線には、言葉以上の何かが宿っているように見えた。その光景を目の当たりにしたレティアは、思わず目をそらした。



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 ライオネルが馬車に乗り込むと、再び街道を戻り始めた。レティアも馬車の後を追ったが、その足取りは重かった。


 屋敷に戻ると、レティアは急いで自室に駆け込んだ。厚い扉を閉じると、ようやく堪えていた涙が溢れ出した。


 「私は何のためにここにいるの?彼の妻なのに…私は…。」


 枕に顔を埋め、小さくすすり泣く声が広い寝室に響いた。涙が止まらない。胸の中に押し寄せる悲しみと怒りは、自分でも抑えきれなかった。



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 次の日の朝、レティアはいつも通りの顔を装い、食卓に座った。だが、その席にライオネルの姿はなかった。彼が遅れて戻ってくることは予想していたが、その無関心さが彼女の心をさらにえぐる。


 「お帰りなさいませ。」


 短い言葉でそう告げたレティアに、ライオネルは軽く頷くだけで、何事もなかったかのように椅子に腰を下ろした。その冷淡さが、前夜の光景と重なり、レティアの胸に再び怒りが湧き上がった。


 「どうして私には、あの表情を見せないの?」


 食事を取るふりをしながら、彼女の心はその問いで埋め尽くされていた。



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 食事が終わった後、レティアは意を決してライオネルに声をかけた。


 「少しお話をしてもよろしいですか?」


 その言葉に、彼は僅かに眉をひそめたものの、立ち上がり彼女を廊下へと誘った。


 「何だ?」


 その無表情な顔を見た瞬間、レティアの胸に小さな恐れが広がった。それでも、彼女は自分を奮い立たせる。


 「昨夜、あなたが外出していた場所を知っています。」


 その一言に、ライオネルの表情がわずかに変化した。驚きというよりも、面倒事が起きたことへの苛立ちのような色が浮かんだ。


 「だから?」


 その冷たい一言が、レティアの心をさらに抉る。


 「私は…私はあなたの妻です。どうしてそんなに私を拒絶するのですか?」


 声が震えながらも、レティアはそう問いかけた。しかし、返ってきたのはさらに冷酷な言葉だった。


 「君は妻かもしれないが、心を許した相手ではない。私には、すべてを支えてくれる女性がいる。それだけだ。」


 その言葉を聞いた瞬間、レティアの胸の中で何かが崩れ落ちた。


 「彼女は私のすべてだ。」


 ライオネルがそう言い放ち、その場を去っていく音が遠ざかる中、レティアは力なく壁に手をつき、立ち尽くした。


 「私には、何もないのね…。」


 その瞬間、彼女の心の中で、愛が冷たく凍りついていくのを感じた。涙はもう流れなかった。代わりに胸の奥底に、静かな怒りと復讐の火が灯り始めたのだった。



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