それからしばらくの間、ゾルガとレオンの関係は首都の話題となった。街を歩けば視線が集まり、メディアにも時々取り上げられた。
彼らは「魔物と人間の架け橋」と呼ばれるようになった。
ある晴れた日の午後、ゾルガはギルドの受付で黙々と仕事をしていた。
そこに一人の人間の少女が迷いながら入ってきた。10歳前後の少女で、緊張した面持ちだった。
「いらっしゃい、冒険者ギルド『闇夜の爪痕』へようこそ」ゾルガはいつもの挨拶をした。
少女は恐る恐る近づいてきた。「あの…あなたがゾルガさんですか?」
「ええ、そうよ」ゾルガは優しく微笑んだ。
「何かお手伝いできることはある?」
「この前の新聞で見たんです」少女は勇気を出したように言った。
「人間の冒険者と仲良くしているオーガ族の受付嬢さんって」
「ああ、そうね」ゾルガは少し照れながら答えた。
「私も…」少女は小さな声で続けた。
「大きくなったら、魔物の友達を作りたいんです。でも、周りの人は魔物は怖いって言うんです」
ゾルガは少女に近づき、優しく手を差し出した。
「怖いと思うのは自然なことよ。知らないものはみんな怖く感じるもの。でも、知り合えば分かるわ。同じ心を持っていることが」
少女は恐る恐るゾルガの青い手に触れた。
「温かい…」
「そうよ、オーガ族も体温は一緒。笑ったり、泣いたり、怒ったり…感情も一緒なのよ」
少女の顔に笑顔が広がった。
「ありがとう、ゾルガさん!また来てもいいですか?」
「もちろん、いつでも歓迎するわ」
少女が帰った後、ゾルガは胸が温かくなるのを感じた。彼女の存在が、少しでも人間と魔物の関係に良い影響を与えているなら、それは嬉しいことだった。
数週間後、ギルドに一つの提案がやってきた。
レオンと共に、魔王の国と人間の国を巡る「親善ツアー」に参加しないかというものだった。
両国の関係改善の一環として、様々な町で講演を行う計画だった。
「どう思う?」レオンは彼女の意見を求めた。
「私? 人前で話すのは得意じゃないわ」ゾルガは戸惑った。
「それに、ギルドを長期間離れるのは...」
「大丈夫よ」イルザが声をかけた。
「あなたの代わりはいるわ。それに、これはいい機会だと思うの。あなたの経験を多くの人に伝えられる」
ゾルガは考え込んだ。
彼女はただの受付嬢だ。
しかし今では、彼女の存在が大きな意味を持ち始めていた。それは責任でもあるが、可能性でもあった。
「...分かったわ」
彼女は決心した。
「挑戦してみる」
レオンは彼女の勇気ある決断に喜びの表情を見せた。
「一緒に頑張ろう」
ツアーの最初の訪問地は、人間の国の国境沿いの町だった。
かつて魔物の襲撃があったという歴史を持つ場所で、魔物に対する警戒心が強い地域だった。
集会場には、好奇心と警戒心が入り混じった雰囲気の中、多くの人々が集まっていた。
ゾルガは舞台袖で緊張していた。
「大丈夫か?」レオンが彼女の肩に手を置いた。
「少し緊張してる」彼女は正直に答えた。
「私みたいなオーガ族を見て、怖がる人もいるだろうし...」
「君の優しさは、外見よりも強く伝わるよ」
レオンは励ました。
「ありのままでいいんだ」
司会者による紹介の後、二人は舞台に上がった。会場からはざわめきが起こり、特にゾルガの青い肌と角を見て、子供たちが親に質問する声が聞こえた。
「こんにちは、私はゾルガといいます」彼女は少し震える声で始めた。
「魔王の国の首都にあるギルドで受付嬢をしています」
最初は緊張していたが、徐々に言葉が流れるようになってきた。
彼女は自分の日常、冒険者たちとの交流、そしてレオンとの出会いについて語った。
「私は最初、人間に対して特別な感情はありませんでした。ただ仕事として接していただけです」彼女は率直に話した。
「でも、レオンを含む多くの冒険者たちと出会う中で気づきました。種族の違いは、ただの外見の違いに過ぎないということに」
レオンも自分の経験を語った。人間の騎士から冒険者になり、魔王の国で生きることを選んだ経緯。
最初の頃の苦労と、徐々に受け入れられていく過程。そして、ゾルガとの出会い。
質疑応答の時間になると、最初は遠慮がちだった聴衆も、徐々に積極的に質問するようになった。
「オーガ族は本当に人間を食べるの?」という子供の素朴な質問に、ゾルガは微笑みながら答えた。
「いいえ、それは古い誤解よ。私たちは普通の食事をします。特に私は肉と野菜のグリルが大好きなの」
「結婚の予定は?」という大胆な質問に、二人は顔を見合わせて赤面した。
「それはまだ...」レオンが言葉に詰まる。
「今はまだ二人の関係を育んでいる段階です」ゾルガがフォローした。
講演が終わると、予想外の反応があった。
多くの人々が二人に近づき、握手を求めたのだ。特に子供たちがゾルガに興味津々で、彼女の角や青い肌に触れたがった。
「怖くない!」ある少年が言った。
「むしろかっこいい!」
その言葉に、ゾルガの心は温かくなった。
ツアーは各地を回り、反応は様々だった。歓迎される町もあれば、冷ややかな態度の町もあった。
しかし、一つ一つの出会いが、少しずつ変化を生み出していることを感じた。
最後の訪問地は、魔王の国の首都・ダークレイムだった。彼らの故郷での講演は特別なものだった。魔王自身も姿を現し、二人の活動を称えた。
「彼らの勇気ある行動は、私たちの未来に新しい可能性を示してくれた」魔王の深い声が会場に響いた。
「両国の関係が、敵対から協力へと変わる第一歩となることを望む」
ツアーが終わり、ギルドに戻ったゾルガを、同僚たちは英雄のように迎えた。
「おかえり!」アリエルが飛びつくように彼女に抱きついた。
「あなたたち、すごく有名になったのよ!」
「大げさね」ゾルガは笑った。
「ただ、自分たちの経験を話しただけよ」
イルザが彼女を見つめた。
「時々、小さな経験が大きな変化を生むこともある。あなたたちは確かに歴史を動かし始めている」
ギルドでの業務に戻ったゾルガだったが、何かが変わっていた。訪れる冒険者たちの態度が、以前よりも友好的になっていたのだ。
人間の冒険者も増え、魔物との交流も自然になっていた。
受付カウンターに立ちながら、ゾルガは思った。
自分はただの受付嬢に過ぎない。しかし、その立場でも何かを変えることができる。小さな一歩が、やがて大きな変化につながることもある。
レオンがギルドを訪れると、彼女は心から微笑んだ。
二人の物語は、まだ始まったばかり。
これからどんな日常が待っているのか、彼女は期待と共に受け止める準備ができていた。