「…今日でもう10日目…旦那様は…リュナイデル伯爵さまは私に何をさせたいんだろ」
指導をしてくれる侍女長のキャスーナとともに、邸宅の中の掃除を終えたエレリアーナ、もとい『エレナ』は食糧庫の隅に座り込み、独り言ちる。
あの寒い日、拾われてからすでに10日が経過していた。
彼女は今、独裁国の王であるニアルデ・ルノ・マルデの同級生であり、親友のリュナイデル・ピスカーヌ伯爵の家で『侍女見習』の身分を与えられていた。
もちろん彼女の思うようなことは一切されていない。
何しろ助けられてからこの10日間、主人であるリュナイデル伯爵は不在だ。
「…ここにいてもいいのかな…」
彼女は呟き、なんと無しに天を見上げていた。
※※※※※
あの日体を奇麗に洗われたエレリアーナ。
そのまま純潔を奪われると覚悟していたのだが…
気が付けば寝心地の良いふかふかのベッドで朝を迎えていた。
「…う…ん?…っ!?はっ?!」
目を覚まし一瞬で目の前が暗くなってしまう。
拾われただけでも僥倖なのに、何の恩返しも出来ずただ惰眠を貪っていた事実。
激しい恐怖に包まれてしまった。
(捨てられる…)
彼女は母親に捨てられてからというもの、いつだって対価を求められ生きてきた。
孤児院で暮らしていた時には誰よりも多くの労働を課せられ、少しでも失敗すれば罰と言う虐待を受けていた。
鞭で激しく打たれ、意識を失い生死の境をさまよったことも1度や2度ではない。
食事を抜かれることなど日常茶飯事。
裏庭に生えている草を食べお腹を壊したことなど数えきれなかった。
そして。
少し胸が大きくなったなと自身が思っていた矢先―――
彼女は突然孤児院を運営している大人に倉庫に連れ込まれ、体を求められた。
全身がいまだ経験のしたことの無い恐怖に支配される。
男の大きな手がエレリアーナの女の部分に蠢くたびに、走る嫌悪感。
夢中で落ちていた酒瓶で男の頭を殴りつけ、エレリアーナは着の身着のまま飛び出していたのだった。
人間とは弱いものだ。
所持金はすでに底をつき、もう女を売るしかない。
そんな悲しい決意、生きるための最後の手段。
彼女は覚悟を確かにしていた。
覚悟をしたはずなのに。
全てを捨ててでも生きることを選んだはずなのに…
触れてしまった他人の優しさと快適なベッド。
彼女は今、再び捨てられてしまう恐怖に、涙が止まらなくなっていた。
「…おはようエレリアーナ。…ど、どうしたの?泣いて?!…あなた、顔真っ青よ?」
そんな中部屋に入ってくるキャスーナ。
慌てて駆け寄りエレリアーナを抱き起す。
「…さい」
「え?」
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…な、何でもします…す、捨てないで…」
ボロボロと大粒の涙を流すエレリアーナ。
まるで7~8歳くらいに見えてしまう儚い少女。
キャスーナは力いっぱい彼女を抱きしめ、優しく髪を撫でる。
「捨てないわ…絶対に…大丈夫、大丈夫よ」
「うあ、うあああ…ぐすっ、ヒック…あああ。ああああああああっっ…」
その様子をドア越しに見つめるリュナイデル。
そっとドアを閉め大きくため息をついていた。
(ったく。…これはマジで問い詰める案件だぞ?…とんでもない魔力…それにあの体にある紋様…彼女は…)
※※※※※
独裁国マルデ。
かつては多種族国家メルサーチの一領だった。
およそ10年前ヒューマン族を中心に独立をした国だ。
戦争や内紛があったわけではない。
しかしどうしても弱いヒューマン、メルサーチの法律では守れない事態が多く発生していたことを憂慮した前王であるロデニカ・マルデ侯爵が多くのヒューマン族の同意を得て独立をしていた。
現王はロデニカ王が病死した3年前に即位。
当時23歳、未だ26歳という若さにもかかわらず限りない英知と、独立を成し遂げたその時の多くの有能な家臣の助力を得たことで、確固たる法律、仕組みを作り上げていた。
結果として今独裁国家マルデは。
国民であるヒューマン族にとって住みやすい国となっていた。
人口はおよそ7万人。
小規模ではあるものの、国土の北に存在するこの大陸を支えるダンジョン『黄泉の頂』の採掘権の50%を他の2国の承認をしっかり取り付け掌握。
たぐいまれなる商才を発揮し、この大陸の販売窓口の権利をつかみ取っていた。
さらには即位と同時に作り始めた住民台帳。
少数が故、王の目指すものは民をすべからく導くこと。
まさに今回のエレリアーナの件、王にとっても大きな誤算だった。
実はエレリアーナ、彼女の居た孤児院。
多種族国家メルサーチとの国境沿いの立地で、実態はメルサーチの領土内だった。
※※※※※
執務室で大量に積まれた報告書に目を通すリュナイデル。
眉間をもみほぐし大きくため息をついていた。
「…どうにも運の悪い娘だな…だがあそこは確か…」
「失礼します」
すでに夜の帳がおり、辺りは暗闇に包まれる時間。
執務室を訪れた侍女長のキャスーナはてきぱきと紅茶と軽食の用意を始めた。
「…エレリアーナ…コホン。『エレナ』はどうだ?」
「はい。賢い子です。すでに家事は私の指示がなくてもこなすでしょう」
「ふむ」
彼女を拾った日。
実は北方で大きな事件が起きていた。
この大陸を支えるダンジョン『黄泉の頂』
そこに突如現れたエンシャントドラゴン。
多くの犠牲を出し、採掘は一時凍結される事態となっていた。
この国はまだまだ若い小国。
実は貴族も少なく、リュナイデルは伯爵位ではあるが多くの責務を押し付けられていた。
「それで…ダンジョンの方は落ち着かれたのですか?」
「ああ。どうやら眠っているドラゴンを起こしてしまったようだが…かの神獣様はどこかへと消えたらしい。まあ長寿の生物、気まぐれでも起こさん限り数百年は戻らぬだろうよ」
紅茶を口に含みほっと息を吐き出す。
「不幸中の幸いは採掘の中断している時間帯だったことだ。護衛の冒険者には気の毒なことをしたが…我が国の人的被害は数名にとどまった。私も視察に行ったが…その程度で済んだこと、まさに奇跡だ」
「取り敢えず今は調査団待ちだ。何でもライデル王国と取引のある遠い地に、優秀な学者がいるらしい。まあ、何をどう調べるのかは知らんがな」
おもむろにバケットにかぶり付き、野菜を煮込んだスープで流し込む。
そんな様子を心配そうに見つめるキャスーナ。
「そう、なのですね」
「ところで…お前も見たのだろう?エレナの背中の紋様」
「…ええ」
あの連れてきた夜の湯あみの時。
酷く傷つけられ激しく汚れていたエレリアーナの体。
その背中にはある紋様が刻み込まれていた。
「…封絶の紋様…彼女は、エレナは…いったい…」
キャスーナのスキル『転写』
いわゆる写真のような能力。
それにより映し出された書類を取り出し、改めて見るリュナイデル。
「…ニアがな」
「っ!?ニア?…こ、国王様ですか?」
「うん?ああ。…この紋様『時限式』のようだと言っていた」
「時限式…つまりいずれ自然に解かれる、と?」
「ああ。そして対価は…その者の魔力と生命力。…つまり解けた瞬間エレナは命を落とすだろう」
「っ!?」
つくづく運が悪い娘だ。
書類を手放し、思いにふけるリュナイデル。
正直エレナを助ける義理は彼にはない。
だが彼女のあの瞳。
絶望しすべてをあきらめた悲しい光。
その光が彼の心の奥底、何かを確かに刺激していた。
「少しばかりの普通の幸せ…それすらも許されぬというのか?…あの娘は」
「……」
「明日、エレナを伴い王宮へ行く」
「っ!?王宮?…かしこまりました。…妹君の衣服、与えても?」
「ああ。せいぜい美しく仕上げてくれ。まずはニアルデの興味でも引くとしよう。もしかしたら救えるきっかけ、見つかるかもしれん」
彼、リュナイデルの妹『ニュアミル』は7年前、15歳の時に亡くなっていた。
あのときの騒動。
今でも昨日のことのように思い出されてしまう。
(…そうか…あの瞳…似ているんだ…あいつ、ニュアミルに…)
紅茶と軽食の器を片付け、退室するキャスーナ。
1人になったリュナイデルは想いを馳せ、グラスに注いだ強い酒をあおった。
「助けたい、か。…俺もあいつと変わらんな…傲慢だ…」
※※※※※
遠い地でそんな会話がなされた2日後。
我がギルドにもその情報が伝わってきていた。
※※※※※
「独裁国家マルデ?」
「うん。どうやらそこの国王様から依頼だね。どういういきさつなのかは本人から聞いた方が早いかな」
里奈と幸恵との『きゃっきゃウフフ』の翌日。
まあ正確には朝までイチャついていた?私は寝不足で。
そのあとリンネと何故かファナンレイリと一緒に寝ていたので…
コホン。
何はともあれ次の朝だね。
仕事自体は禁止されたものの、一応普通の行動を許されていた私は執務室でリアとルルーナ、それからミネアとともに紅茶を飲んでいた。
そこにドアをノックし入ってきたレギエルデから私はそんな報告を受けていた。
「…っ!?独裁国家…マルデ……っ!?エレリアーナ?」
「…流石は美緒だね。多分君の幸運値、しっかり仕事したんだろうね。…ちなみに彼女はどういう人なんだい?たぶん僕は出会えなかったはずの女性だよね」
町娘エレリアーナ。
彼女のルートは初めから選べる中難易度のシナリオだ。
でもなぜかその時の軍師はコメイ。
あまり深く考えてはいなかったけど。
思い返せば彼女のルート、何故か引っかかる文言が良く使われていた。
当然私は彼女のルートだってゲームでは100%の達成率で終わらせている。
でも。
違和感?
…そもそもどうしてここまで彼女のルート、遅れてしまったのだろう。
確かに今はまだ帝国歴26年。
彼女のルートのスタートは帝国歴30年だ。
しかし今この世界はすでにシナリオは崩壊している。
何か理由がある。
私はそう確信していた。
「ねえ?本人ってどういう意味?」
「うん?マルデの隣はさ、ライデル王国なんだよね。ザナークさんの親友の住む王国だよ?彼がつい昨日訪問したときにいくつかの話題があってね。じゃあ彼を呼んでもいいかい?」
「うん。お父さんの親友?…お願いね、レギエルデ」
そして繋がっていくシナリオ。
私はなぜかわからないけど…
うっすらと涙が滲んできていたんだ。