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第2話

 翌日の朝。

 アリシアは窓から差し込んでくる朝陽に顔をしかめた。

 横を向いて布団をかけ直すと目を細く開けて時計を確認する。

 時刻は午前七時。そろそろ起きて支度をしないといけない時間だ。

 アリシアは大きくため息をついた。

(なぜ人は朝起きなければならないのでしょうか……。ああ……。寝たいだけ寝て、起きたい時に起きて、食べたい時に食べる……。そんな生活を送りたい……)

 などと思っている間に十五分が過ぎ、そろそろ本当に起きないとまずい時間になるとアリシアは再びため息をついた。

 ベッドに腰掛けると掛け布団の上でペットのオスの子猫、ニャルバトロスが気持ちよさそうに寝ていた。

 それを見てアリシアは羨ましがる。

「来世は猫になりたいものですね……」

 しかし今世はまだまだ続く。アリシアはニャルバトロスを何度か撫でるとのそのそとした動きでベッドから出て朝の支度を始めた。

 顔を洗い、髪をとかし、簡単なメイクを終える。

 朝食は昨日買ったパンとサラダを食べる。面倒だが朝食べないと昼まで保たないのが受付嬢の仕事だ。

 歯磨きを終えると鏡の前で身だしなみをチェックし、それが済むとアリシアはまたまたため息をついた。

「はあ……。また面倒な一日が始まります……」

 誰にも聞かれない愚痴をこぼすとアリシアは窓の外を眺めた。

「……隕石でも降ってきたらいいのに」

 残念ながらそんなことにはならずアリシアは重い足取りで部屋から出た。


 朝のギルドは忙しい。

 昨日から今朝に入った新しいクエストの張り出しや、難易度やクエストに関する細かい規定など最新の情報を共有等々。

 職員総出でやらなければギルドが開く九時に間に合わない。

 そんな中面倒くさがりのアリシアはサボっているのがバレないように机の右にある資料をまとめて左に、左にある資料をまとめて右に置くという生産性皆無の行為を続けていた。

(なにもしていないと仕事を頼まれてしまいますからね。バレそうになったら棚の整理に行きましょう)

 だがギルド内はあまりにも忙しく動いていたため、アリシアのサボりは今日もバレなかった。

 ギルドが冒険者を迎える十分前。職員が集まり定例の朝礼が始まった。

 みんなの前に立つのは眼鏡をかけた背の高い女性、セシル・ブラックバーン。

 鋭い目つきに黒縁眼鏡。黒い髪を短く切り、前髪の右側だけ伸ばしていた。

 セシルは眼鏡をくいっと直した。

「はい注目! 最近は温かくなったのもあって依頼が増えてます。その分仕事も多いけど、ミスなく丁寧を心がけてください。私達の仕事は人の命に直結するんだから、その自覚を持って業務にあたること」

「はい!」と他の職員が答える中、アリシアは口だけ動かして声は出してなかった。

(毎日毎日同じことを言われると眠たくなりますね)

 アリシアはこっそりため息をついてこれから押し寄せる冒険者達のことを考え、げんなりした。

 すると隣にいたモニカがセシルに注意される。

「あとモニカ!」

「は、はい!」

 名前を呼ばれたモニカは焦って背筋を伸ばした。

「あなた昨日パーティーのグレンフィールドと食事に行ったでしょ? こっちは機密情報を扱ってるんだから誘われたからってホイホイついていかない! 行くなら利害関係のない人間とって何度も言ってるでしょ!? 分かった!?」

 モニカは涙目になって「うう……。すいません……」としゅんとした。

 セシルは再び眼鏡をくいっと直した。

「皆さんも気をつけるように。では今日もよろしくお願いします!」

「お願いします!」と職員達が返事をする中、モニカは涙目でアリシアに言った。

「うう……。アリシアさんを連れて行かなかったから文句言われたり、結局誰とも良い感じにならなくてショックだったのにまた怒られるなんて……」

 アリシアはモニカを白い目で見ていた。

(もし一緒について行ったら私まで説教されてたわけですか。最悪ですね。そんなの面倒すぎます。まあ、今から始まる朝のラッシュに比べれば小さいことですけど)

 アリシアはこれから始まる業務を考え、面倒そうにした。

 そしてギルドのドアが開かれる。

 同時に外で待っていた冒険者達がぞろぞろと入ってきた。彼らは真っ先に受付へ向かい、様々な要求をしてくる。

「新しいクエストを受注したいんだけど。あ。できるだけ報酬いいやつ」

「この前受けたやつ難易度が高かったんだけど、もっと低いのない?」

「成功したからクエスト票確認して小切手お願い」

 こういった正規の仕事から「ねえ、仕事終わったら飲みに行こうよ」というナンパまで様々だ。

 受付嬢達は冒険者達の要望に笑顔で答えていく。

「それでしたら少し遠方のものをおすすめします」

「難易度についてはクエスト票に記載されてますからそれを参照してください」

「かしこまりました。成功確認が済むまでお待ちください」

「業務中にそういった誘いは困ります」

 多くの窓口で受付嬢達が働く中、一際長い列ができる窓口があった。

 その先にはアリシアがいた。

 窓口は冒険者が選ぶため、人気のある受付嬢には長蛇の列ができる。人気ナンバーワンのアリシアには他の倍は冒険者が並んでいた。

 だがそれは業務量が倍ということでもあった。

 アリシアは淡々と業務をこなしながら列を見て面倒がった。

(向こうの窓口は空いているのだからあっちに並べばいいのに……。この人達には見えていないんでしょうか?)

 アリシアがげんなりするのも無理はない。用事が終わると冒険者達は口々にアリシアを口説こうとした。

「この仕事が終わったら遊びにいかない?」

「いきません」

「好きな男のタイプは?」

「言いません」

「プレゼントってなにがほしい?」

「休暇です」

 最初はある程度丁寧に対応していたアリシアだが仕事に加えてナンパの断りもしなければならないのでだんだん雑になってくる。

 仕舞いには冒険者が持ってきたクエスト票にはんこを押して返す作業をひたすら続けていた。

(早く昼休みにならないでしょうか……)

 ぼけーっとしながら手だけを動かしていたアリシアだがクエスト票にはんこを押して返してから異変に気付いた。

 目の前でまだ小さな少年がニコリと笑っている。

「ありがとう。お姉ちゃん」

「……お姉ちゃん?」

「行ってくるね」

「……あ。ちょっと……」

 少年を呼び止めようとしたアリシアだがすぐに次の冒険者がクエストについて尋ねてきた。

「ここにある特記事項についてなんだがよ」

「え? えっと……」

 アリシアは体を傾けて大柄の男の後ろを見たが、既に少年はギルドのドアをくぐって外に出るところだった。

「……あ」

「なあ姉ちゃん。スライムの捕獲ってガラス瓶しかダメなのか? うちの地元じゃ樽でやってたんだけどよ」

「しょ、少々お待ちください」

 アリシアは特記事項を確認するフリをしながら先程渡したクエスト票の写しをチェックした。

 そこには『盗賊退治。難易度C。個人で難易度Dを攻略できる冒険者三名以上を推奨』と注意事項が書いてあった。

 難易度Dとは下から四つ目。ある程度の経験がなければ攻略できないレベルだ。

 先程の少年はどう見ても初心者であり、クエストと釣り合ってない。

「……………………まずいですね」

 アリシアが静かに焦りの色を見せると目の前の男は残念がった。

「やっぱりガラス瓶じゃねえとダメなのか……」

 アリシアと男は同時にため息をついた。

 ちなみにスライムの捕獲は樽でもよかった。

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