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第47話 番外編 芋と味噌と天使と茶室と

 筆の家王都支店と厨房亭は、本日も戦場のように大盛況だった。


焼きおにぎりに味噌玉セット、試食コーナーは朝から行列の連続。接客、会計、味噌仕込み、ルナはまさに全身全霊をかけて立ち働いていた。


「ったく……! この忙しかとに、リュウはどこにおるとね!?」

 腰に手を当て、怒りの声が厨房中に響く。辺りを駆け抜ける香ばしい煙が、焦げた味噌の匂いを運んでいった。


 ◆◆◆


 その頃。


「……あっつぅ……このお茶、もうちょい温度下げればよかったかな」


 リュウが扇子で湯気をあおるのは、異世界の空の狭間、中立領域『宙庭(ちゅうてい)』大天使との対話のために描かれたこの地には、今や立派な茶室がしつらえられている。


 炉縁の緋色(ひいろ)畳、掛け軸の墨絵、木製の梁(はり)まで、その細部は驚くほどリアルだ。三畳ほどの小間に腰かけるのは三人。

 筆の家代表・リュウ

 元魔王ダルクス改め芋王マオ(芋焼き担当)

 大天使セラフィエル(光属性・偏食気味)


 という、地上では説明のつかない組み合わせだった。


「セラフィエルさん、このお茶、いかがでしょう?」

 リュウが薄氷色の茶碗を差し出す。


「……人族の茶か。苦味の先に旨味がにじむ。悪くはない」

 セラフィエルは静かに頷いた。

「渋みがわかる天使って、いるんだな……」


「では、次は我が焼いた芋を食べてみよ」

 マオが恭しく差し出したのは、ホクホクの金色に輝く焼き芋。


 セラフィエルは慎重に一口かじる。


「……! これは……天界の禁断の実というわけではあるまいな?」

「いや、ただの畑の芋です!」

「ならば良し。非常に美味である」


 目に薄紅色の光を宿すセラフィエル。


「では、次は筆の家定番“塩むすびと味噌汁セット”だ」

 リュウは折敷(おりじき)を取り出し、炊きたてササニシキでにぎった塩むすびと、味噌玉を溶かした味噌汁を並べる。


「これは如何なる食べ物か?」

「左手でおにぎり、右手で味噌汁を交互に口へ運ぶことで、白米の甘みと味噌の旨味が融合し、神域にほとばしる至福。渾然一体の恍惚体験が約束されます」


 セラフィエル、真顔で無言のまま塩むすびを頬張り、味噌汁を啜(すす)る。


 そして


「……これは……! これは……!!」


「これは?」


「この“おにぎりと味噌汁”こそ、世界を安寧(あんねい)へ導く聖食(せいしょく)……!」


「はーい、出たー!! 天使が称号付け始めたぁぁぁ!」


「我も同意する! 焼き芋と合わせると完璧だ!」

 マオが両手を打ち合わせて喜ぶ。


「いや本当に、戦争じゃなくて食卓で解決する世界って尊いよね……」

 リュウはしみじみと頷いた。


 ◆◆◆


 その茶室での宴は、宙庭の静謐(せいひつ)に包まれたまま、そのまま誰にも知られることなく幕を閉じた。


 地上の厨房で、ルナは依然として汗を流し続けている。


「……リュウ、今日帰ったら覚えとけよ?」


地上では、もう一つの“恐怖の天使”が降臨しようとしていた——。

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