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第2話 新たな生活と出会い

辺境の村で“リラ”と名を変え、新生活をスタートさせてからおよそ数週間が経った。慣れない家事や畑作業に追われながらも、リラーナは小さな達成感を糧に、村人たちと穏やかな日々を過ごしている。王都での華やかさや息苦しいほどの縛りとは無縁の、質素で肩肘張らない生活。それだけでも、彼女にとっては十分な救いとなっていた。


 もっとも、村の暮らしは決して楽ではない。雨が少なく、川の水量も乏しいこの辺りでは、作物はあまり育たない。耕しても耕しても、小さな芽が枯れてしまったり、草木が思うように伸びなかったりする。それでも村の人々は、互いに支え合うことで何とか生活を成り立たせていた。わずかな収穫物を融通し合い、どうにかこうにか食いつないでいるのだ。


 リラーナも、ほとんど無報酬に近い形で宿屋の手伝いや畑仕事をしているが、それでも時折、「手伝ってくれて助かるよ」「リラのおかげで今日は少し作業が楽だった」といった言葉をかけてもらえる。そのたびに、彼女は王都にいた頃には味わえなかった“居場所”を感じて、心がほんのり温かくなった。


 しかし同時に、リラーナの心の片隅にはずっと残っている疑問がある。――自分は本当に、ただの農作業員や宿屋の下働きで終わっていいのだろうか。かつては星降り家の娘として周囲に期待されていたのに、今では誰も彼女に期待などしていない。穏やかな暮らしは魅力的だが、このままでは“本当の自分”を知らないまま終わってしまうのではないか。そんな思いが、夜ごと星空を見上げるときに、どうしても頭をもたげるのだ。


 同じ頃、王都の噂は少しずつ辺境にも届き始めていた。カトリーナ・フォルセルが第一王子セイランの婚約者として迎え入れられたとか、星降り家の令嬢が追放されて消息不明だとか――その手の話題は、賑やかな宿屋に集まる旅人や行商人の口から、断片的に広まっている。もっとも、辺境の人々にとってはどこか遠い世界の出来事であり、それほど大きな関心を寄せることもない。リラーナもただ胸を痛め、やり過ごすしかなかった。


 そんなある日のこと。リラーナの運命を大きく変える出会いが、意外な形で訪れる。



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旅の青年アストリアとの出会い


 まだ陽が高い午後の時間帯、リラーナは宿屋の縁側で洗濯物をたたんでいた。日の光は強いが湿度は低く、洗いたての衣類が風に揺れるさまが心地よい。周囲には犬の遠吠えや鶏の鳴き声がかすかに聞こえるだけで、平和そのものといった雰囲気だ。


 すると、砂埃を巻き上げながら一台の馬車が宿屋の前に止まった。御者台から降りてきたのは見慣れない青年で、背にやや長めの黒髪を結わえ、軽装ながらもしっかりした革鎧を纏っている。どうやら旅の途中でこの村へ立ち寄ったらしく、馬車からは荷物がいくつも降ろされる。見ると、古めかしい書物や測量用の道具らしきものも混じっていた。


「あら、珍しい旅人さんね。いらっしゃい」


 宿の主人が青年を出迎える。青年は深々と頭を下げ、丁寧な口調で応じた。


「急な訪問で恐縮です。アストリアといいます。このあたりで地形調査をしていて、しばらく滞在させていただきたいのですが、部屋は空いておりますでしょうか?」


 宿の主人は「部屋なら一つ空いてるよ」と応えつつ、青年が運んでいる大きな荷箱に目をやった。


「しかし、ずいぶん大荷物だね。地形調査っていうのは、王国の役人か何かかい?」


「いえ、王国直属というわけではありませんが、ある領主様から依頼を受けている研究者のようなものです。近くの山や川の地形を記録しつつ、地質や土壌の調査も含めて報告書を作成するのが仕事でして」


 青年・アストリアはそう言うと、馬車から積み下ろした箱を器用に抱えて宿の方へ運び始めた。その横顔はどこか知的で穏やかながら、冒険者のような逞しさも感じられる。


 リラーナは思わずその様子に見とれてしまった。王都の貴族男性とも、村の農夫たちとも違う、どこか不思議な雰囲気をたたえた人物だ。さらにもう一つ、彼が抱える古い書物が気になった。“星や地形に関する古代文献”とでも言うのか、表紙に神秘的な紋様が刻まれているように見える。


 “星”という言葉が脳裏をよぎり、リラーナは自分の胸が静かに高鳴るのを感じた。彼女の家系が星の加護を受けていたという由緒が、思わず思い出される。もっとも、今の彼女はただの「リラ」であり、公爵家の“リラーナ”ではない。むやみに興味を示して不審がられてはいけないと思い、声をかけるのをためらった。


 ところが、部屋の案内を終えた宿の主人が「あんた、運搬を手伝えるかい?」とリラーナに声をかけてきた。大きな荷箱がまだいくつも馬車に残っており、一人では手が回らないようなのだ。


「え、ええ、もちろん」


 リラーナは洗濯物を急いで置き、エプロンを直して外へ出る。そこにはアストリアが荷物と格闘している姿があった。彼は汗をかきながらも、表情はどこか楽しげだ。よく見ると、その瞳は深い碧色をしていて、星空のような神秘的な光を宿しているように見える。


「ちょっと重いですが、すみません。そこの箱をお願いできますか? 研究用の書物が詰まっていて……」


「わ、わかりました」


 リラーナは声が少し上ずってしまったのを自覚しながら、箱を受け取る。ずしりとした重みが腕に伝わり、思わず顔をしかめそうになるが、何とか耐えられる範囲だった。


「ありがとうございます。荷物が多くて、正直どうしたものかと困っていたんですよ。僕一人で馬車の御者まで兼ねていたので」


 アストリアは申し訳なさそうに笑う。その優しげな笑みを見ているうちに、リラーナはどこか懐かしい安堵を覚えた。王都で出会う男性たちの多くは、上辺だけの礼節や威圧感をまといがちだったのに対し、アストリアにはそうしたものがない。肩書きや地位にとらわれず、自分の好きなこと――調査と研究――に真摯に向き合っているのだろうと、何となく感じさせる雰囲気がある。


 こうして、アストリアがこの村に滞在することになった。これがリラーナにとって、新たな運命を切り開く大きな出会いとなることを、彼女はまだ知らない。



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研究者としてのアストリア


 それから数日、アストリアは日中になると村の周辺を回り、地形や川の水源、土の質などを丹念に調べていた。小さな川の流れを測量したり、山の尾根へ登って方角を測定したり、あるいは村人から昔の話を聞き取ったりと、その活動は多岐にわたる。


 夕方になると荷物を携えて宿に戻り、一日分の調査記録を古い書物や地図と照らし合わせる作業を続けている。ときどき宿の主人が「そんな難しいことばかりして、頭がこんがらがらないのかい?」と茶化しては笑うが、アストリアは「好きなことですから」と言って微笑み返すばかり。どうやら本当に研究熱心な人物らしい。


 リラーナは宿の手伝いをしながら、ちらりちらりと彼の作業を横目で見つめる。手書きの地図や古文書に、時折“星”や“月”といった単語が挿入されているのを見つけては、心がざわめいた。自分も星降り家の一員だったはずなのに、こういう研究らしい研究を目にするのは初めてのような気がする。むしろ、あの家にいた頃は星の力を当たり前のように扱ってきた先祖の遺産や儀式を学ばされるばかりで、学問的な興味をもって調べるという機会はほとんどなかったのだ。


 ある晩、宿の厨房で夕食の支度をしていると、アストリアがひょっこり顔を出した。何やら宿の主人から“明日の食事は自分でなんとか用意しろ”と言われたらしく、困り顔で鍋のフタを見つめている。


「すみません、リラさん……でしたよね? ちょっと質問してもいいですか?」


「ええ、どうぞ。食事のことですか?」


「あ、はい。実は明日、早朝から山のほうに調査に出かける予定でして、昼食をどうやって確保しようか悩んでいるんです。村に戻る時間はなさそうだし、かといって食べ物を腐らせたり散らかしたりするわけにもいかなくて……」


 リラーナは「ああ、そういうことか」と納得した。辺境の環境では簡単に保存食を調達できるわけでもないし、王都のように食堂があるわけでもない。山の調査となれば荷物が増えると移動が大変だろうから、ある程度は工夫して持っていく必要がある。


「少し待っててください。塩漬けや干し肉、それに簡単なパンケーキなら……」


 彼女は厨房の収納を漁り、保存がききそうな食料をかき集める。もともと村では、日持ちする食材が重宝されるため、塩や干し草、乾燥野菜の類が常備されているのだ。リラーナはそれらを使って、携帯しやすいおにぎりのようなものや、乾燥肉と野菜を混ぜた簡易スープのもとを作ることを思いつく。


「こういう感じでまとめて布に包めば、山でも少しは持ちますよ。水だけは現地で確保できるかもしれませんし」


「わあ、助かります! ありがとう、リラさん。こういう知恵がまったくなくて……いつも行き当たりばったりで困っていたんです」


 アストリアは子どものように目を輝かせて喜ぶ。その姿を見て、リラーナはつい微笑んでしまった。王都の貴族男性とは違う、純粋な人柄が彼の仕草や口調の端々に滲んでいる。


「いえいえ、私も村の人に色々教わっただけですよ。でもよかったら、私が少し手伝いましょうか? どうせ朝早く起きるのでしたら、食事を手早く準備しておきますから」


「そんな、悪いですよ。リラさんは宿の手伝いだけでも大変でしょう?」


「大丈夫です。ここでの仕事には慣れてきたので、多少のことなら何とかなります。それに、アストリアさんの調査、私もどこか興味があるんです。星とか、そういったものを扱っているように見えますし……」


 その言葉を聞いたアストリアは一瞬、目を見開いた。そして、どことなく嬉しそうに笑みを浮かべる。


「そうなんですか? いや、星というか天文に興味を持たれる方って、あんまりいないんですよ。ここ最近、王都でも占星術の人気はあっても、学問として本格的に研究する人は少ないですからね。実は僕、古代の天文書に載っている“星の加護”や“星降り”に関する記述にすごく魅了されていて――」


 アストリアは思わず言葉を紡ぎかけ、はっとしたように口を結んだ。自分の研究がマニアックすぎるため、あまり人に喋りすぎると引かれると思ったのかもしれない。しかし、リラーナからすると、“星の加護”や“星降り”などはまさに自分の一族を表すキーワードであり、聞いているだけで胸が高鳴る。


「いいえ、興味深いです。私、そういうお話、嫌いじゃありません」


 リラーナはそう答えるだけに留めたが、その瞳は自分でも驚くほど強い好奇心に満ちていた。星降り家の血筋でありながら、まともにその力を活かせなかった自分。けれど、もしかすると、アストリアが追い求める古代の知識の中に、自分が知らない“星の力”のヒントが隠されているかもしれない――そんな期待に似た思いがこみ上げていた。



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山の調査と不思議な現象


 翌日、リラーナは早朝に起きて簡易的な食事を用意し、アストリアの出発を見送った。「あなたも一緒に来ますか?」と声をかけられたが、さすがに山道の険しさと調査の専門性を考えると、足手まといになるだろうと思い遠慮した。それでも、少し残念な気持ちがあったのは否めない。


 アストリアは朝焼けの空の下、馬車を使わず徒歩で山へ向かう。調査地点が狭い山道や急峻な崖近くだという話で、馬車を連れて行けないらしい。乾燥したパンや塩漬け肉などを背負い袋に詰め込み、コンパスや地図を確認しながら黙々と歩く姿は、どこか冒険者のようにも見える。


 リラーナは彼の背中が見えなくなるまで見送ったのち、いつものように宿屋の仕事に取りかかった。厨房の掃除や客室の整理、簡単な洗濯など、やることは山積みだ。ときどき外に出て畑作業も手伝わなければならない。ゆったりした生活とはいえ、村に人手は少ないため、一人一人の労働は意外と多い。


 そんな中、日が暮れかける時刻になってもアストリアは宿に戻ってこなかった。日没前には帰ると聞いていたが、山で何かトラブルでもあったのかもしれない。リラーナは胸騒ぎを覚え、じっと入口を見つめていたが、結局その日は闇が降りたころになっても姿を見せることはなかった。


 そして翌朝、まだ彼は帰ってこない。宿の主人や村の人々は「山で野宿したか、もしくは引き返せなくなったのかもしれない」と心配していたが、辺境ではそうしたことも珍しくない。地形調査に熱中するあまり、帰るタイミングを逸してしまう研究者は少なからずいるのだという。ただ、アストリアの場合は装備や食料が限られているため、何日も山に籠もれるほどの余裕はないはずだ。


 リラーナは何とかして彼を探しに行きたい気持ちでいっぱいだったが、地形調査の専門知識もなく、山道の危険さを考えると独断で行動するのは難しい。村の若い男たちに頼んで捜索隊を組んでもらうのが一番だが、まもなく雨が降りそうな空模様だし、村には畑仕事など各々の義務がある。そう簡単には動けないのが実情だった。


 それでも夕方になってもアストリアが姿を見せないことで、村人たちも「さすがにおかしい」とそわそわし始める。そんなとき、リラーナは意を決して村の青年たちに頭を下げた。


「私もお手伝いしますから、どうか一緒に捜索に行かせていただけませんか? アストリアさんが何か大変な目に遭っているかもしれません。放っておくわけには……」


 宿の主人も重い腰を上げ、「まあ、あんなに礼儀正しい若者が行方知れずなんてのは気分が悪いからな。暗くなる前に少し山を探してみようか」と賛成してくれた。こうして、村の青年が数名と、リラーナを含む捜索グループが作られることになった。


 しかし、山道に足を踏み入れた途端、その道の険しさにリラーナは怯んだ。斜面は滑りやすく、岩肌がむき出しになっているところもある。木々が生い茂って視界が悪く、野生動物が出没してもおかしくない。かつて星降り家の令嬢として、こんな場所を歩いたことなど一度もなかった。


 それでも必死に歩を進め、アストリアを呼ぶ声を上げる。村の青年たちも「こっちにはいないぞ」「そっちはどうだ」と手分けして探してくれている。しかし日が沈むまでの時間は限られており、このままでは捜索が長引いて危険が増すだけだ。


 そんな焦りの中、ふとリラーナは顔を上げた。茂みの向こうから、何か光のようなものが瞬いて見える。それは夕闇にかすかに揺れる淡白な光――明らかに自然の光ではない。まるで星の輝きが地上に降りてきたかのような、不思議な光だ。


「何、あれ……」


 彼女は独りごちるように呟いた。周囲の人々はそちらに気づいていないのか、別の方向を探している。リラーナはその光に強く惹かれるものを感じ、思わず足を向けた。かき分けるように木々を進むと、そこには倒れ込んだアストリアの姿があったのだ。


「アストリアさん! しっかり……!」


 リラーナは慌てて駆け寄る。アストリアは意識を失っているが、幸い大きな外傷は見当たらない。すぐ傍には裂けた袋と散らばった書物、そして星の紋様が刻まれた小さな石版のようなものが転がっていた。そこから微かに白い光が漏れている。


 どうやら石版が何らかの魔力を帯びているらしい。リラーナは息を呑みながら、それを手に取ろうとした。しかし触れた瞬間、ビリッと小さな衝撃が走り、彼女は思わず手を引っ込める。アストリアが倒れている原因がこの石版にあるのかもしれない。


 そのとき、ほかの捜索メンバーもリラーナの声を聞きつけて駆けつけてきた。「無事か?」「怪我は?」と一斉に声をかけながら、アストリアを抱き起こす。呼びかけると、彼は微かにうめき声を上げた。


「……う、うう……」


 ゆっくりと目を開けるアストリア。焦点の定まらない視線でリラーナを見て、かすれ声で何かを口にしようとする。しかし、声にならない。リラーナはとにかく、今は村に連れ帰るのが先決だと判断し、石版を布でくるんで荷物と一緒に持ち帰ることにした。



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回復と告白


 どうにか村へ戻ったアストリアは、宿の一室で横になり休むこととなった。村に医者はいないが、助産師のような立場の女性が薬草を煎じてくれたり、簡単な手当を施してくれたりしたおかげで、翌日には嘘のように回復していた。


「本当に、ご迷惑をおかけしました……」


 布団から起き上がったアストリアは、青白かった顔に少し血色を取り戻し、深々と頭を下げる。宿の主人は腕組みをしながら「まったく人騒がせな青年だ」と呆れ顔だが、どこか安堵した様子でもある。リラーナはほっと胸を撫で下ろし、彼の枕元に膳を運んだ。


「無理しないでくださいね。お粥を作ってきましたから、少しずつ食べてみましょう」


「ああ、ありがとうございます。リラさんには本当にお世話になってばかりだ。山の中で倒れていたところを、リラさんが見つけてくれたんですよね?」


「私だけの力じゃありません。村の人たちが協力してくれたから……。それより、どうしてあんなところで倒れていたんですか? 足を滑らせたんですか? それとも何かに襲われたとか……」


 リラーナは、あの奇妙な光を放つ石版に話が及ぶのを少しためらいながらも、やはり気になって仕方がない。アストリアは弱々しく微笑み、ゆっくりと語り始めた。


「実はあの山で、古い遺跡の痕跡を発見したんです。地形の調査をしていたら、岩壁に不自然な紋様が刻まれていて、明らかに自然形成のものじゃないとわかった。掘り進めてみたら、小さな石室のような空間が出てきて……そこであの石版を見つけたんです」


 アストリアによれば、その石版には古代文字らしき刻印があり、“星の巫女”“星喚の儀”といった言葉が断片的に読み取れるらしい。調べたくて触った瞬間、眩い光が溢れてきて意識を失ってしまったのだという。


「僕が気を失っている間に、あの石版はどうなりました?」


「ここにあります。布でくるんでおきましたけど、触るとちょっと危険かもしれません」


 リラーナは部屋の隅に置いていた包みをそっと差し出す。アストリアは一瞬身を強ばらせたが、興味を抑えきれないのか、その包みを受け取って恐る恐る開けてみた。すると、かすかに星のような輝きが再び零れ出す。


「やっぱり、すごい……。魔力の類とは違う、もっと古くて荘厳なエネルギーを感じる。星降り家の伝承にも似たような石版が登場するって、どこかの文献で読んだ記憶が……」


 その言葉を聞いたとき、リラーナの胸はまるで鷲掴みにされたように痛んだ。星降り家の名が、思わず口にされたのだ。まさか彼がそこまで詳しく知っているとは思わなかった。星降り家――つまり、ルキシス家の由緒ある呼び名でもある。


 リラーナは一瞬躊躇したが、意を決して尋ねる。


「アストリアさんは、星降り家の伝承までご存じなんですか? あの家には……いえ、その家系には、昔から星の加護を受けた巫女が生まれるとか、王家を導く役目を担ってきたとか、そういうお話がいろいろあるって聞いたことがあります」


「ええ、詳しく知りたいと思って王都の図書館や個人蔵を探し回ったんです。でも、公にされている資料は本当に少なくて、断片的な伝承しか手に入らなかった。今の当主や関係者も、外部の研究者には協力してくれないみたいで……」


 アストリアは悔しそうな表情を浮かべる。研究者として、星降り家の歴史や星の加護にまつわる真実を突き止めたいのだが、門前払いを食らっているらしい。リラーナはその話を聞きながら、胸がぎゅっと締め付けられるようだった。何しろ、自分こそがその“当事者”なのに何もできないのだから。


 だが、彼女には明かせない秘密がある。自分が星降り家の令嬢だったこと、第一王子に婚約破棄され、追放同然に王都を離れたこと――もし話してしまえば、アストリアはどんな反応をするだろうか。星降り家を研究しているくらいだ、リラーナという存在の話を彼がどこかで耳にしている可能性だってある。


 リラーナは言い知れぬ恐れと罪悪感を覚えながら、それでも口を噤む。とりあえずはアストリアの回復が最優先だ。今の彼に余計なショックを与えてはいけない。そして何より、自分自身もまだ心の整理がついていないのだ。



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星が導く道


 アストリアが一命を取り留め、何とか回復したことで村には安堵の空気が戻った。とはいえ、彼が見つけた石版には相当な力が秘められているらしく、今後どう扱うべきかは大きな課題だ。山に放置しておくのは危険だが、そうかといって王都へ持ち帰れば、権力者に狙われる可能性もある。アストリアはしばらく村に留まりながら、石版の調査を続ける意向を示した。


 リラーナは彼の体調を気遣いつつも、石版の光に感じたあの不思議な感覚がどうしても忘れられなかった。星降り家の血筋を引く自分だけが感じ取れる何かがあるのかもしれない――そう思うほどに、あの石版に惹かれる想いが強まっていく。夜、村外れの丘へ行き星空を見上げるたびに、胸の内で何かがざわつき、身体の奥から微かな熱量が湧いてくるのだ。


 まるで、星々が「ここからが本当の道だよ」と囁いているかのように。


 そして、アストリアが落ち着いたある夜、リラーナはついに意を決した。村外れの丘で、彼とふたり腰を下ろし、満天の星を仰ぎながら、少しだけ自分の“正体”について打ち明けようと考えたのだ。すべてを話すのはまだ無理でも、せめて「星降り家に詳しい知り合いがいた」とか、「自分も星の加護に関心がある」といった程度の情報なら、信頼できるアストリアに伝えてもよいのではないか――そう思えた。


 アストリアもまた、星空を見上げるのが好きなようだった。調査には昼間しか時間を割けない分、夜は書物に目を通すか、こうして外へ出て星の動きを観察していることが多いのだ。


「リラさん、ここの星空は本当に綺麗ですね。王都じゃ街の明かりが多くて、こんなに星は見えない」


「そうですね。私も、ここで星を見るのが好きなんです。星を眺めていると、いろいろな嫌なことや不安が少しだけ薄れていくようで……」


 夜風が頬を撫で、夏の終わりを感じさせる涼しさが漂う。遠くでは森の虫たちがか細い声で鳴いている。リラーナはしばらく沈黙したあと、意を決して口を開いた。


「……あの、アストリアさん。私、実は――」


 そこまで言いかけた瞬間、村の方角から男の怒号が聞こえた。「おい、火事だ! 火事だぞ!」という叫び声が風に乗って丘へ届く。リラーナとアストリアは目を見合わせ、慌てて村へ駆け戻ることにした。


 村に着くと、穀物を貯蔵している納屋の一角から火が上がっていた。あたりには焼け焦げた臭いが漂い、村人たちがバケツリレーで必死に消火を試みている。雨が少ないこの土地では、こうした火事が起きると大被害につながりかねない。火の粉が周囲の茂みに燃え移れば、あっという間に大火災になってしまう。


 リラーナとアストリアも急ぎ加勢する。リラーナは川へ走り、バケツに水を汲んで戻る。アストリアも消火の指揮を取り、火の勢いを遮るための土嚢を積むよう指示を出した。村人が総出で懸命に作業した結果、なんとか大事に至る前に火は鎮まった。


 しかし、炎上した納屋は半壊状態で、そこに保管していた穀物の多くが失われてしまった。生活の糧を失った村人たちは肩を落とし、今後の暮らしに大きな不安を抱えることになる。リラーナは焦げた残骸を見つめながら、何か自分にできることはないのかと思い悩んだ。


 王都から見捨てられたようなこの土地で、干ばつや火事などの災害が重なれば、村人たちの生活は一気に苦しくなる。星降り家の者なら、天候を祈願する儀式や星の加護を呼び出す祈りを捧げることもできたのかもしれない。けれど、リラーナは何もできず立ち尽くすしかない。


 そんな自分へのもどかしさと悔しさが、リラーナの胸を突き刺した。



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新たな希望の萌芽


 消火活動が終わり、村人たちが後片付けに追われる中、アストリアはリラーナをそっと気遣っていた。「大丈夫ですか? 怪我は?」と何度も声をかけてくれる。その優しさに触れると、胸が苦しくなるほど、リラーナはありがたい気持ちと申し訳なさでいっぱいになった。


 どうして自分は何もできないのだろう。星降り家の名ばかり受け継いできたが、実際には大した力を使えない。追放されても仕方がない“無能”なのではないか――そういう思考が頭をもたげる。しかし、アストリアの存在がかすかな希望を灯しているのも事実だ。


 石版の謎や星の加護について、彼と一緒に研究できれば、新しい可能性が開けるかもしれない。かつて王都で押し付けられた星降りの役目ではなく、自分の意志で星の力を探求することができるのではないか。そう思えるだけで、リラーナは過去の苦い経験が少しずつ色褪せていくように感じた。


 ただ、今は村の復興が最優先だ。納屋を焼失したことによる食料不足を補う手段を考えなければならないし、近隣の村との物資の交換も必要になる。アストリアは地形調査だけでなく、村の灌漑や水路の整備案を提示してくれた。王都からの支援が見込めない以上、村人自らが協力して環境を改善していくしかない。


 リラーナも自分なりに協力しようとした。火事の残骸を片付けながら、村人たちの手伝いをする日々が続く。疲労は溜まる一方だが、それでも“役に立ちたい”という思いが彼女を突き動かしていた。


 そして、そんな彼女に呼応するように、夜になると再び星々の囁きが強まっていく。あの丘で一人たたずんでいると、空から無数の光が降り注ぎ、その一つひとつが「立ち上がって」「進んで」「導きを信じて」と囁いているかのようなのだ。


「私にも、何かできるの……?」


 夜の闇に向かって問いかけるが、答えは返ってこない。ただ静かな星の瞬きだけが、彼女の瞳に映る。けれど、確かに感じる温かさ――あれは王都にいた頃には覚えたことのない不思議な感覚だ。もしかすると、これこそが星降り家の力の片鱗なのではないかと、リラーナは期待を膨らませる。


 アストリアの石版にも、星の加護が込められているように感じられる。もしそれを解き明かすことができれば、干ばつや火事に苦しむ村を救えるかもしれない。あるいは、彼女自身が封じられていた力を解放し、星々の祝福を現実のものとする術を見出せるのかもしれない。


 火事の後片付けがひと段落し、夜遅くに宿の外へ出たリラーナは、遠くの空を仰ぎ見た。すると、天空の星々が例年よりもいっそう明るい気がした。夏の夜空から秋の夜空へと移り変わる微妙な時期だが、満天の星は季節の変わり目を祝うかのように輝いている。


「星が……輝いている」


 いつの間にか後ろにいたアストリアの声に、リラーナははっと振り返る。彼は微笑みながら、「どうやら今夜は少し特別な夜らしいですね。星の配置が、古い記録にある‘天運の刻’に近い気がします」と言った。


「天運の刻?」


「古代の文献によれば、この時期に一度だけ、星々が特別な配列を成すそうです。それがどんな意味を持つのかは諸説ありますが、何か大きな転換が起こる前触れ、と言われることもあるらしい。僕は正直、まだ確証は持てないんですけど」


 アストリアはそこで言葉を切り、リラーナの瞳をまっすぐに見つめた。そして、少しだけ恥じらうように笑って続ける。


「それでも、なんだかワクワクしませんか? 僕たちの未来に何か大きな変化が訪れるかもしれないなんて考えると」


「……そうですね。私も、そう思います」


 リラーナの心は高鳴った。もしかすると、王都での苦い過去を振り払って、新しい道を歩むチャンスが来ているのかもしれない。星々が教えてくれるそのチャンスを、今度こそ掴みたい――そんな思いが、彼女の中で確かな決意へと変わりつつあった。


 けれど同時に、王都から送られてくる陰謀の影は、少しずつこの辺境の地へと伸びはじめている。カトリーナを新たな婚約者に迎えた第一王子セイランは、王家に仇なす存在――つまり、かつて自分から逃げ去った星降り家の令嬢を利用しようと、秘かに画策し始めていたのだ。





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