夏から秋へと季節が変わる気配が濃くなる頃、辺境の村は急激に活気を失いつつあった。火事で納屋が焼け落ち、作物や保存食の多くを失ったことが大きな痛手となっている。村人たちは再建のために昼夜を惜しまず働き、少しでも冬に備えようとしているが、土壌が痩せた土地での収穫は限界がある。
リラーナも手伝いに精を出していた。宿屋の仕事を終えると、村人たちとともに納屋の修繕や畑の耕しを手伝い、夜はアストリアの研究を手伝う。身体はくたくただが、不思議と心は折れなかった。王都で何もできずにいた頃の自分より、はるかに“生きている”と実感できる毎日だったからだ。
アストリアが見つけた古代の石版は、依然として宿の奥の部屋に保管されている。触るだけで星のような光が漏れ出し、周囲に不思議な波動を放つ厄介な代物だが、アストリアは星降り家の伝承をはじめ、古代の天文学や占星儀礼に関する文献を読み漁りながら、少しずつその正体を探っていた。
一方でリラーナは、石版を見るたびに胸がざわつき、どこか懐かしいような切ないような感情を覚える。星降り家に生まれた者として、何か本能的に感じ取るものがあるのかもしれない。しかし、アストリアにはまだすべてを明かせずにいた。追放された身であること、セイランとの婚約破棄――それらを話して、もし彼の態度が変わったらどうしようという恐れが拭えないのだ。
そんなある日、村に奇妙な噂が飛び込んできた。見知らぬ馬車が近くの街道を通り、王都からの使者らしき人物が辺境をうろついているという。目撃した行商人によれば、その使者はどこか高圧的な態度で村々を訪れ、やたらと“星降り家”に関する情報を集めていたらしい。
リラーナはその噂を耳にするなり、背筋が凍る思いをした。もしそれがセイランやカトリーナの差し金なら、自分の所在が突き止められるのも時間の問題だろう。今まで穏やかに過ごしてきた村の人々を巻き込みたくない――そんな焦りが、彼女の胸を苦しめる。
アストリアもまた噂を気にかけていた。だが、彼の場合は「王都からやって来た学者仲間かもしれない」と、むしろ研究の面での期待すら抱いている様子だ。リラーナはうまく話を合わせられず、複雑な気持ちで過ごすことになった。
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山小屋での儀式と小さな奇跡
そんな不安を抱えながらも、村の日常は待ったなしで動いていく。ある日、灌漑用の水源が枯れかけているという知らせが入り、村長をはじめ、男手がある程度ある者は揃って山奥の水源調査に向かうことになった。アストリアも地形調査の専門家として呼ばれ、村の青年たちを連れて現地へ向かう。
一方のリラーナは、村に残る女性陣や子どもたちとともに畑の見回りをすることに。だが、その日は妙に胸騒ぎがして仕方なかった。アストリアの姿が見えないだけでなく、晴天のはずの空には暗雲が垂れ込み始め、冷たい風が吹き始めている。
「何か……起こるかもしれない」
心細さを感じたリラーナは、思い切って作業を早めに切り上げ、宿へと足を向けた。そこには、まだ布でしっかり覆われた状態の石版が保管されている。もし今日、何らかの“大きな力”が動くとしたら――星の力が関係しているのではないかと直感したのだ。
宿の奥の部屋へ入ると、石版は以前にも増して淡白な光を放っていた。まるで呼吸をしているかのように、かすかに点滅するその光に触れると、リラーナは一瞬、頭の奥に鋭い刺激を感じる。同時に、どこか懐かしい声が聞こえた気がした。
「――星の……加護……」
誰の声なのか、自分の脳内で発されたものなのかさえわからない。それでもリラーナは、その声に導かれるように石版をそっと両手で持ち上げる。今度は前のように拒まれることはなく、むしろ受け入れられるような感覚があった。
すると突然、視界が揺らぎ始める。辺りの空気がざわざわと震え、薄暗い室内が一瞬、夜の星空に切り替わったかのような幻を見せる。石版はますます光を強め、リラーナの胸を温かいエネルギーが駆け巡った――。
「あ……っ」
思わずリラーナは息をのむ。星の光が彼女の身体の奥深く、眠っていた何かを揺り起こしているようだ。微かに頭痛が走り、同時に込み上げるような懐かしさがある。
そうして一瞬の恍惚の後、意識がはっきりしたときには、リラーナは石版を抱えたまま床に膝をついていた。先ほどまでの幻は消え、部屋には元の静寂が戻っている。しかし、彼女の内面には確かな変化が起きていた。まるで自分の中で“星の力”が開かれ始めたかのような、不思議な感覚……。
「わたし……少し、わかったかもしれない」
リラーナは呆然と呟く。星降り家に生まれながら、何もできずに追放された自分。しかし、今この瞬間だけは確信できる。自分の中に星の加護が宿っているのだ、と。
そのとき、宿屋の廊下を急ぎ足で駆ける音が聞こえた。扉が開かれ、息せき切って入ってきたのは村の少年だった。
「リラさん! 大変だよ、上のほうの山が崩れて、水源が……アストリアさんたちが巻き込まれたかもしれないって……!」
少年の顔は青ざめており、声が震えている。どうやら山奥で地盤が崩れ、濁流が村の近くまで押し寄せる可能性があるというのだ。アストリアたちが無事かどうかもわからない。
「……行くわ」
リラーナは石版をそっと布で包み直し、決意に満ちた瞳で少年に答えた。胸の奥で湧き上がる星の力に任せてはいけないかもしれないが、今はそんな悠長なことを言っている場合ではない。村やアストリアを救うためなら、怖じけづいてはいられないのだ。
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濁流と救出
リラーナが山のふもとへ駆けつけると、すでに村の男衆や青年たちがわらわらと集まっていた。土砂とともに小さな川が溢れかえり、川沿いの道は濁流に飲み込まれかけている。
「あっちにアストリアたちがいるはずなんだが、声が届かない」
村長の必死の叫び声に、リラーナは心をかきむしられるような思いだった。どうやらアストリアたちはさらに奥の水源付近に向かったまま、まだ帰還していないらしい。地盤崩れに巻き込まれた可能性が高い。
周囲では手の空いている者たちが必死に堤防を積もうとしているが、このままでは間に合わないかもしれない。山肌から流れ落ちる水は濁流となり、下流の村を脅かしている。しかも、雨雲が近づいており、再び雨が降れば被害が拡大するのは目に見えていた。
「私……行きます! アストリアさんを探してきます!」
リラーナはそう言い切ると、周りの人々は驚いたように目を見張った。女性一人では危険すぎるし、地形も険しい。だが、折悪しく村には手の足りる男がいない。大半はすでに崖崩れの別ルートで救助や堤防補強に駆り出されているし、もしここでさらに人を分散させれば、村の防災もままならない。
結局、「でも危ないぞ!」と制止を振り切る形で、リラーナは一人奥へ進むことを選んだ。心のどこかで“星の力”が自分を守ってくれる、そんな根拠のない確信があったからだ。
川沿いの道を抜け、山道を進むにつれ、足元はぬかるみ、いつ土砂が崩れ落ちてもおかしくない状況だった。倒木や岩が散乱し、普通なら引き返すしかないような悪路だが、リラーナは腰まで泥に浸かりながらも必死に前へ進む。
「アストリアさん……! 返事をしてください……!」
声を枯らすほど叫んでも、風と濁流の轟音にかき消される。心の中には不安と焦燥が渦巻くが、それでも足を止めるわけにはいかない。
しばらく進むと、小高い崖の上に人影が見えた。濁流の上に倒れた木が橋のようにかかっており、その上に何人かがうずくまっている。近づいてみると、泥まみれになったアストリアと村の青年たちだった。どうやら崖崩れで退路を断たれ、この場所に取り残されているらしい。
「アストリアさん! 無事なんですね……!」
リラーナが大声で呼びかけると、アストリアは振り向いた。その顔には疲労が色濃く刻まれているが、怪我は致命的なものではなさそうだ。
「リラさん……どうして来たんだ、危ない……」
アストリアも必死に声を張り上げる。どうやらこの濁流では、村に戻るのも容易ではない。今にも倒木が流されそうで、彼らは完全に孤立していた。
リラーナは周囲を見回す。浮き橋のようになっている倒木は、たわんで今にも折れそうだ。このままでは人数分の荷重に耐えきれず、一気に崩落する可能性が高い。
それでも、リラーナは心を落ち着かせ、ある決断をする。――星の力を試してみよう、と。石版を通じて微かに芽生えたあの感覚。まだ上手く扱えるかわからないが、覚悟を決めなければいけない瞬間が来たのだと感じていた。
「……星よ、導きを」
リラーナは静かに目を閉じ、荒れ狂う風雨の中で祈るように両手を組む。星降り家に伝わる“星読の祈り”――かつては形だけ習わされた古い儀式。そのときは使い物にならないと罵られたが、今ならうまくいくかもしれない。
頭の中で、石版が放つ光がイメージされる。すると、胸の奥から熱い力が湧き上がり、身体を包み込む。周囲のざわめきが一瞬遠のき、代わりに夜空のような深い静寂が訪れるような錯覚に陥る。
「は……」
薄っすらと目を開けると、リラーナの手のひらから淡い光が滲み出している。まるで星の雫をすくい取ったような、儚くも美しい光。それは少しずつ輪を描きながら広がり、周囲の空気を鎮めるように漂い始めた。
そして、奇跡的なことが起こる。激しく流れていた濁流がやや勢いを弱め、倒木が揺れる力も僅かに収まったのだ。完全に止まったわけではないが、ほんの数十秒、あるいは一分でも安定が続けば、アストリアたちがこちらへ移動できるかもしれない。
「今です……! 早く、こちらに渡ってください……!」
リラーナが叫ぶと、アストリアと青年たちは驚きながらも倒木を這うようにして移動し始める。木はミシミシと嫌な音を立てているが、不思議な力が働いているのか、何とか持ちこたえている。
泥が跳ねて顔にかかり、足を踏み外しそうになりながらも、アストリアたちは一人、また一人とリラーナのそばへたどり着く。最後の一人が倒木から降りた直後、倒木は激しい流れに耐えきれず砕け散った。ごう音とともに流される光景を見て、全員が思わず膝をつく。
誰かが「助かった……」と呆然と言った。肩で息をしながら、アストリアがリラーナを見つめる。彼の瞳には、言葉にならない驚きと感謝、そして何か特別な感情が浮かんでいるように見えた。
リラーナは胸の奥の熱がすうっと引いていくのを感じながら、何とか微笑みを返した。泥だらけで冷たい雨風が吹きつけているはずなのに、不思議と今は心があたたかい。星の力に助けられたのだと、はっきり自覚できた瞬間だった。
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揺れ動く想い
こうして、アストリアを含む山の奥へ向かった村の青年たちは全員が無事救出された。リラーナが偶然にも“星の力”を発揮したことで、倒木の上を渡るわずかな時間を稼ぎ出せたのだ。もちろん天候や地形の偶然も重なった可能性はあるが、村の人々は「リラが奇跡を起こした」と口々に称賛し、感謝の言葉を述べた。
もっとも、その力が本当に何なのかは、リラーナ自身もよくわかっていない。星降り家の正統な儀式として磨き上げられたものではないし、ましてや魔術師のように厳密な魔法を学んだわけでもない。それでも、大切な人たちを守りたいという思いが、星の力を呼び起こしたことだけは間違いなかった。
救助後、リラーナは何とか自力で歩いて村まで戻ったが、張り詰めていた気が抜けた途端、高熱を出して倒れてしまった。星の力を無理やり引き出した反動なのか、もともと消耗していた身体に負荷がかかったのだろう。意識が遠のきかける中、彼女はかすかにアストリアの声を耳にした。
「……ありがとう……リラさん……」
その言葉を最後に、彼女の意識は暗転した。
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秘密を打ち明けるとき
次に目を覚ましたとき、リラーナは宿の一室で横になっていた。熱は下がったものの体がだるく、頭痛も残っている。火の気のない秋の夜の空気は肌寒く、か細い蝋燭の灯りが部屋を薄明るく照らしていた。
ゆっくりと上半身を起こすと、扉の向こうで人の気配がする。聞き覚えのある声――アストリアが、誰かと話をしているようだ。
「星の加護……確かに彼女は、星降り家の伝承にあるような力を使ったように思えます。僕も実際に目にして……」
ドキリと胸が鳴る。リラーナはそっと扉を開け、廊下へ顔を覗かせた。アストリアと、村長や宿屋の主人らしき人々が集まり、深刻そうな表情で話している。
彼らの視線がリラーナに気づき、アストリアが慌てて駆け寄ってくる。
「リラさん、起きて大丈夫ですか? 無理をしないほうが……」
「……少しなら大丈夫。今、何の話をしていたんですか?」
アストリアは言いにくそうに視線を落とした。村長が代わりに口を開く。
「実はな、リラ。今回の件でお前さんの力が村の救いになったことは、みんな感謝しとる。けれど、この先もっと大きな災いが来たときに、王都からの援助も見込めんとなると、どうするべきか悩んでおるのだよ」
火事や干ばつ、そして今回の崖崩れ。何かと災難が続いているこの辺境では、もはや通常の努力だけでは限界がある。そこで、村長は星の加護を受ける者――リラーナ――に何らかの形で祈祷や儀式をしてもらいたいというのだ。
しかし、リラーナは星降り家の正式な儀式などろくに学んでいない。追放された身である以上、公の場で星降り家の名を出すこともできない。そもそも自分にできるのかどうかさえわからない。
悩むリラーナに、アストリアは静かに言った。
「僕は、リラさんが持っているその力を信じています。あの日、石版の光を見たときから、ずっと何かを感じていた。あなたには、きっと星降り家の血筋にしか成し得ないことがあるはずです」
その言葉を聞いて、リラーナの胸が苦しくなる。自分の秘密を隠し通すことはもうできないだろう――そう直感した。村長や宿の主人たちも、遠巻きにその言葉を聞きながら、「もしかして彼女は本当にあの名門家の血筋か?」と半信半疑だ。
リラーナは決意した。今まで秘密にしてきたことを、アストリアと村長、それに宿屋の主人たちへ打ち明ける。
「……わたし、実は王都の貴族、ルキシス公爵家の生まれなんです。星降り家と呼ばれる血筋でもあります。でも、魔力が弱いとか無能だとか言われて、第一王子様との婚約を破棄され、追放されました――」
しんとした静寂が場を支配する。アストリアが息を詰め、村長と宿の主人はあまりのことに声も出ない。リラーナは逃げ出したい気持ちを抑えつつ、続ける。
「わたしは“リラ”ではなく、リラーナ……リラーナ・ルキシスが本当の名です。星降り家としてちゃんと役に立てなかったから、王都では見捨てられました。でも、もしわたしがこの村のために何かできるなら……それを証明したい。皆さんに恩返しがしたいんです」
声が震えるが、後悔はなかった。王都で受けた屈辱、カトリーナとセイランに追放された苦い記憶。それでもここで村に受け入れてもらえたからこそ、いま自分はこうして生きている。ここで何もせず黙っているわけにはいかない――。
すると、アストリアが優しい笑みを浮かべ、「リラさん……いや、リラーナさん」と改まった口調で呼びかけた。
「全部話してくれて、ありがとう。正直、驚きました。でも、あなたが誰であろうと、今のあなたがこの村を助けようとしていることは変わりない。それなら僕は、あなたと一緒にこの謎を解き明かしたいと思います。星降り家の力、そして石版の秘密――僕たちなら、きっと行けるはずだ」
村長と宿屋の主人も少し戸惑いながらも、リラーナを非難するようなことは言わなかった。むしろ、「それならどうやったらあの星の力を使って、この土地を救えるのだろう」と前向きに考えている様子だ。
リラーナは安堵と感謝の想いで胸がいっぱいになると同時に、覚悟を決めた。――いつか王都の者たちが自分を探し当てても、もう逃げるつもりはない。この村で、自分は本当にやりたいことをやるのだ。
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王都からの影
リラーナが秘密を打ち明けてから数日後、村の人々は少しずつ未来に希望を持ち始めていた。星降り家の力といっても、まだどのように扱えばいいのかは不明だが、リラーナが再び“あの不思議な力”を発揮できるかもしれないと信じ、干ばつや災害に対して積極的に備えるようになっていた。
アストリアも石版の研究をさらに深め、古代の星降りの儀式に関するいくつかの手がかりを見つけつつある。星の力を大地に降ろすことで環境を浄化したり、災厄から人々を守る祈りを捧げたりする術式が、古文書に記されているらしい。リラーナはそれを学びながら、王都で蔑ろにされてきた自分の力を、今こそ目覚めさせたいと強く願っていた。
しかし、事態はそう簡単には運ばない。ある朝、村の入り口から複数の馬の蹄の音が響き、金属の鈍い音が空気を揺らした。見ると、武装した数名の男たちが馬に乗ってやって来る。その装備は王都の兵に似ているが、正式な部隊の行列というわけでもなさそうだ。
先頭の男は厚手のマントを翻し、鋭い眼光で村人たちを見下ろしていた。まるで自分がこの地の支配者であるかのような高圧的な雰囲気をまとっている。
「ここの村長はどこだ? 我々は王都からの命を受け、この辺境で“ある人物”を捜している。協力してもらおう」
村長が警戒しながらも近づいていくと、男は懐から王家の紋章らしき証書を出してみせた。内容は「星降り家の令嬢が王命に背き、行方をくらませている。その者を保護し、速やかに連行せよ」というものだ。そして男は「ここで隠しているのではないか」と、あからさまに疑っている様子だった。
リラーナはとっさに身を隠す。まさに自分のことを捜しに来たのだと確信する。まだ名前までは割れていないのか、単に“星降り家の娘”という情報だけで探しているようだが、それでも時間の問題だろう。
アストリアも事態を察し、リラーナと視線を交わす。「ここはひとまずやり過ごそう」とでも言いたげだったが、その男たちは村を端から端まで調べると言い出した。さらに困ったことに、石版にも興味を示しているらしく「古代の天文遺物がこの近辺で発見されたとの報告を受けている」と言い放った。
彼らの背後には、貴族の紋章を付けた魔術師らしき女性の姿も見える。もしかすると、カトリーナやセイランの差し金で派遣された私兵団かもしれない――そう考えると、リラーナの脈拍は高まり、冷たい汗が背中を流れた。まだ力を十分に扱えない現状で、堂々と正面衝突しては村に被害が及ぶ恐れがある。
「アストリアさん……どうしましょう」
リラーナが押し殺した声で尋ねると、アストリアは少し考えてから、決意を固めた表情を見せた。
「彼らを誤魔化すのは難しいでしょう。それなら――村の人たちを巻き込みたくない。僕とリラーナさんで何とかうまくかいくぐり、この村を守りましょう。石版は……今すぐには渡せない」
そう、石版は村が生き抜く希望の鍵となるかもしれない宝物であり、王都の権力者に奪われれば、また不当な支配に利用される恐れがある。しかし、兵たちの勢いを見るに、力ずくでも取り上げようとするのは明白だ。
リラーナとアストリアは、村の人々が兵たちに応対している隙に、宿の奥へ向かった。星降り家の力がまだ万全でない今、穏便にやり過ごすには限界があるかもしれない。最悪の場合、石版を持って村から逃れる必要があるかもしれない――そんな最悪のシナリオが脳裏をよぎる。
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決意と次なるステージ
宿の一室に滑り込むと、石版は先日の儀式で感じた時よりも、さらに強い光を放っている気がした。まるで“使い時”を知らせるかのように、その輝きは淡く、しかし確かに二人を誘っている。
アストリアは石版をそっと持ち上げ、リラーナに視線を投げかける。リラーナは彼の瞳に宿る決意を読み取り、自分もまた強い意志で応える。星降り家が追放された娘などではなく、“この村を救う存在”として、自分を立ち上がらせるために――。
「行こう、リラーナさん。彼らが石版を奪う前に、何とか手を打たなきゃ。星降り家の力を、今こそ解放する時かもしれない」
「……うん。わたし、逃げない。もし王都の人たちが来ても、もう過去のように諦めたりしない。星の力を使ってでも、守りたいものがあるから……」
部屋の外からは、兵士たちが荒々しく宿を調べ回る音が聞こえる。ドアが乱暴に開かれるのは時間の問題だ。しかし二人は、ほんの少しだけ視線を絡め合い、ぎゅっと手を取り合った。微かな震えがあるのは、恐怖だけでなく、互いへの信頼とまだ見ぬ未来への期待が入り混じっているからだろう。
こうして、リラーナとアストリアは追い詰められながらも、石版と星降り家の力を守るために立ち上がる。辺境の村で芽生えた小さな希望が、やがて王都をも巻き込む大きな波乱を引き起こそうとは――このとき、まだ誰も想像していなかった。
だが、一つだけはっきりしている。王都からの圧力やカトリーナの陰謀、セイランの思惑がある中でも、リラーナはもう逃げ隠れするだけの存在ではない。星降り家に生まれながら何も成せなかった自分を脱ぎ捨て、愛する人々とともに新たな道を切り開く覚悟ができたのだから。
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