東京都奥湊島。
太平洋に浮かぶ人口5000人にも満たない小さな島で、飛行機はもちろんバスやタクシーもなく、街の中心部とつながるのは一日四本程度のフェリーのみ。
上空から見るとハートの形に見えることから『ハート島』なんて呼ばれているが、高齢者ばかりで大したPR活動はしていないため来訪者は少ない。
コンビニと呼べるものはフェリー乗り場の近くに民宿と併設された場所が一つあるが、残念ながらそこは終わっている。
終わっているというのはお店のことではなく、店主が終わっているのだ。
他にもお店はあり、個人で経営している小さなスーパーや喫茶店、居酒屋があるがチェーン店と呼ばれるようなお店は一つもない。
ここは利便性という点に目を瞑れば空気も綺麗で事件もないような平和な島。
そんな場所に突如宇宙船が不時着した。
「ここは東経139度44分28秒、北緯35度39分29秒ではないのか?」
黒猫が
「それは港区の
飾音が座標マニアだったことを知りつつも二人の会話に耳を傾ける。
「誤差はあったが想定内か」
「想定内ってどういうこと?」
飾音の質問を
「すまないがこの辺に寝泊まりできるような場所はないか?
黒猫が言うには、目標の位置に向かって飛んでいる途中に原因不明のトラブルが起きこの奥湊島に不時着したらしい。
修理をするにしてもどこが壊れているのかわからず、わかるものもいないようだ。
「その前に、あなたたちは誰?」
「私の名はキルケア。惑星ウィリディスからやってきた他惑星特殊調査部隊(
自分でエリートって言うやつでロクなやつに出会ったことないんだよな。
「ロワン銀河にある恒星ドラードゥス。この銀河の中で唯一人が住んでいる星が我々の住むウィリディスという星だ。しかし、いまこの星は恒星であるドラードゥスが消滅の危機にあり、あと五百年もしないうちに無くなってしまう恐れがある。そこで他に我々が住める場所を探しにやってきたのだ」
この猫はさっきから何を言っている?
わけのわからない話に頭上の疑問符が二倍になった。
「あなたたちは宇宙人ってこと?」
「おまえたちから見ればそうなるな」
「で、どうして言葉を話せるの?」
「私は地球の言語が理解できる優秀なエリート猫だ。我々の国の文明はこの星よりも栄えている。現状知りうる限りの人間の言語は把握しているし、移住候補の星のことは事前に情報を得ている。その上で他惑星の生命体との共存含めて本当に移住して問題ないかを確かめに来ているのだ」
エリート猫であることをそんなにプッシュされても、あたりまえのように猫がしゃべっている現実をまだ受け止めきれていない。
それは他のみんなも一緒だった。
(ねぇ、この猫ちゃん大丈夫かな?)
(魂乗っ取られるんじゃね?)
(猫がしゃべるなんてあり得ないし)
(猫の姿した宇宙人ってこと?)
(魂だけじゃなくて飾音の肉体そのものを吸い取っちゃうんじゃね?)
(そんなこわい話しないでよ)
(下手に関わらないほうがいいと思うぞ)
(じゃあこのまま放置しておく気?)
(警察に知らせるか?)
(なんて説明すんだよ)
(ならどうするの?)
(寝床を教えるくらい良いんじゃね?)
(この島にそんなとこないだろ?)
(星司くんのお家は?)
(弟が猫アレルギーだからダメだ)
(俺の家も飾音の家も難しいしな)
(あそこがあるじゃない。ほら、フェリー乗り場の近くのとこ)
(あのおっさんやる気ねぇから嫌だな)
(それに宇宙船からやってきた言葉を喋る猫なんてどう説明すんだよ)
いまいち信用ならない俺たちはこの猫に問いかける。
「あんたらは本当にそのウィリディスって星からやってきたのか?」
そう言うと、「ちょっと待ってろ」と言って宇宙船の中に入っていく。
しばらくするとポケットサイズの小さなタブレットを咥えて出てきた。
それを地面に置くと、
「これは地球の調査結果を記録したものだが、我々の星についてのことも書かれている。少しデータが古い部分もあるがそこは目を瞑ってほしい」
キルケアが前足で画面をタッチすると、そのタブレットからプロジェクションマッピングのような映像が出てきて大きなヴィジョンができた。
無数の星が映し出され何が何だかわからない。
さらにタッチすると、太陽系に似た星たちがアップされる。
「この赤く光る星が恒星ドラードゥス。その近くにある
エメラルドのように美しいこの星は、地球よりも二酸化炭素の量は少ないが草木や樹木が多く空気も澄んでいて温かいらしい。
宇宙は日々膨張しているって聞いたことがあるけれど、それにしても規模が大きすぎてどこに目を向けて良いのかわからない。
「この周りに光る星は他の銀河系なの?」
「そうだ。我々以外にも多くの調査隊が各銀河に渡り、何ヶ月もかけて第二のウィリディスを求めて探索に出ている。しかし、この船がないと生きているうちにウィリディスに還ることはできない」
キルケア曰く、いまの地球人の技術では彼らの住む銀河に辿り着くことはできないという。
ロワン銀河から少し離れた場所に一際大きな輝きを放つ光があった。
この画面上で見る限り一番明るく感じる。
宇宙のことはよくわからないが、銀河よりも光の強い物体など存在するのだろうか?
例えるなら上映後の映画館から出たときの光くらい眩しく、目を閉じていてもしばらくの間、瞳の奥に残光がある感じ。
「これも銀河か?」
それを指差してキルケアに問う。
「おそらくクエーサーだろう」
クエーサーと聞いて何か閃いた様子の星司。
「あれじゃね?月にある
「それクレーターな」
「日本語で言う準星とか恒星状天体なんて言い方をされていてね、太陽の100兆倍ほどの明るさなの」
「そんな明るかったら眩しくて目開けてらんねぇじゃん」
「そんなレベルじゃないと思うけど」
「クエーサーは銀河の中心にある大質量ブラックホールによって生じる極めて
ダメだ、まったく話についていけていない。
かと言って
「簡単に言うと、ブラックホールが暗闇の中の星の死骸、クエーサーは大質量ブラックホールを中心に持つ活動銀河核の一種みたいな感じかな」
わかりやすく説明してくれたがそれでもいまいちピンとこなかった。
これ以上考えたら頭上から湯気が出てきてしまうので
「そろそろ話を戻してもいいか?」
「えぇ」
「これを見てくれ」
キルケアがそのウィリディスという星をタッチすると、細かな数字が出てきた。
さらに前足で器用にタッチしながら今度は地球を出すと、二つの星が拡大されグラフが表示される。
「見てもらえればわかる通り、この地球という星はウィリディスと数値が非常に似ていて移住地としての注目度が非常に高い」
「もし移住先がここに決まったらあなたたち全員が地球に来るってこと?」
「そうなるな」
ウィリディス星人は全部で150億ほどいるらしく、もし地球に移住することが決まれば自分たちの星を捨てて宇宙人による大移動が行われる。
消滅してしまうとはいえ、そんなの勝手にやっていいのか?
そもそも宇宙人との共存なんて可能なのか?
このオッドアイの女の子はいいとして、この猫はどう説明する?
人の言葉をしゃべる偉そうな猫がいるってことは犬や鳥もしゃべるのだろうか。
キルケアのようにみな
二足歩行する熊がいたり、見たことのない建物や娯楽、ワープする乗り物があってもおかしくない。
この星は一体どんな環境なのだろう。
「この星の内部を見ることはできないのか?」
「可能だ。指を使ってこの星を拡大してくれ」
星に触れ指先でピンチアウトすると内部の一部分が映し出された。
多くの木々に囲まれ、
鳥たちが気持ちよさそうに空を飛び、魚たちも悠々と泳いでいる。
まるでリゾート地のような感じだ。
さらに拡大すると、ルカと同じようなオッドアイの人がいたり、西洋風の人たちが薄着で道を歩いている。
先進国の方はアニメに出てくるような近未来の作りで、白く
こんな美しい星も徐々に恒星に近づいているため、あと数百年もすれば恒星の寿命による爆発で跡形もなくなって消えてしまうらしい。
「この乗り物はキルケアたちが乗ってきたものと一緒なのか?」
「少し違う。我々のものは他惑星調査用に作られているから他者からの攻撃を受けないよう自己防衛機能が備わっている。我々以外が触れようとしたり、撮影しようとして光を放つとそれを破壊するようにできている」
なるほど、合点がいった。
星司のスマホが燃えたのはシャッターの光に反応したからだったのか。
俺は彼らがこの星からやってきたということを信じてみることにした。
正直嘘をつこうと思えばいくらでもつける。
この映像だって生成AIによって加工することも可能だし、ましてや地球よりも文明が発達しているのならいくらでもやりようはある。
でもこれだけのものを見せられて嘘をついているとは思えなかった。
「キルケア、一つ訊いてもいい?」
「なんだ?」
「さっきあなたとルカちゃん含めて四人いるって言ってたけど、他の人はどこにいるの?」
「わからない」
この船にはルカとキルケア以外に船長と整備士の二人も同乗していたが、キルケアが目覚めたときにはすでにいなかったようで、いまどこにいるのかまったく手がかりがないそうだ。
こんな狭い島ならすぐに情報が見つかりそうな気もするけれど。
「我々に与えられた調査期間は一ヶ月。それまでに調査を終わらせ星に還らないといけない」
地球の調査は他の惑星に比べてデータがある程度揃っているため、そこまで時間は与えられていないようだ。
すなわち、この夏休みが終わるまでにここを出ないといけない。
徐々に太陽の日差しが強くなってきた。
どれくらいの時間ここにいるのかはわからないが、ルカの表情が少し辛そうに見えた。
きっとこの暑さで喉が渇いているのだろう。
早いところ寝泊まりできる場所を見つけてあげないと。
島唯一の民宿があるが、ボロいし店主もやる気のない人だから除外した。となると選択肢は一つ。
俺たちの住むルームシェアのオーナーに相談しよう。
そこに向かっている間にキルケアに一つお願いをした。
「この星では猫は人の言葉を話さない。だから俺たち以外の前では言葉を発しないでもらってもいいか?」
「承知している。おまえたち三人の前以外では言葉を話さないようにしよう」
学校から近くの山に向かって歩いて20分ほどのところにある奥湊高校生専用のルームシェア施設『ラグーナ・ブリリア』には俺、星司、飾音など数人が住んでいる。
もともとこの高校には山岳部という部活があり、『奥湊山岳部学生寮』として建てられたが、人口減少により廃部となったため現在はOGである
「綾子ただいま」
「ハル、年上には『さん』をつけなさい。失礼でしょ」
「飾音ちゃん、いいのよ。いつか私の後を継いでもらうだけだから」
いつも俺に厳しい綾子が珍しく優しいからちょっと意表を突かれた気分。
ただ就職先があっさり決まったので就活せずに済んだことに感謝しないと。
「ラグーナに就職したらもちろん給料出るよな?」
「ボランティアに決まってるでしょ」
時代に逆行した超ブラック企業だった。
「それにしても綾子は相変わらずエロいな」
胸元まで伸びたツヤのある髪に高い身長、細く長い手足に抜群のプロポーションでありながら芽乃ちゃんという小学生の子供を育てるシングルマザー。
20代後半で結婚したが、旦那を早くに亡くしたことでここ奥湊に帰ってきてこの施設を運営している。
その
若い頃の写真を見せてもらったことがあるが、芸能界にいたんじゃないかってくらいに
そんな綾子はなぜか俺にだけ厳しい。
ラグーナに来る前はそんなことなかったのに、ここに来てから急にだ。
「友遼、次呼び捨てにしたら家賃二倍にして請求するから」
差別だ。
「綾子、さん。この子たちのことなんだけど」
綾子の目線の先にいたルカとキルケアのことを簡単に説明した。
ルカは迷子でキルケアはルカの愛猫という設定で。
「部屋一つ空いてるから使いなさい」
「いいのか?」
「保護者が見つかるまでの間よ」
やけにあっさりしていると思ったが都合が良かった。
綾子はあまり深く介入しない。
親代わりであると同時に俺たちの自主性を重んじているからだと思っている。
「さすが綾子。良い女だな」
後ろから飾音に蹴られ、腰が砕けた。
やめてくれ、本当に痔になる。
「飾音ちゃん、代わりにありがと。友遼、次呼び捨てにしたら家賃三倍にするから」
勘弁してくれ。父さんに怒られる。
ここラグーナ・ブリリアは一階のリビングの奥にオーナーである綾子と芽乃ちゃんの部屋があり、二階に俺たち学生の部屋がある。
シェアハウスといっても個別に部屋が用意されているため全員が顔を合わせるのはリビングにいるときくらい。
いまは夏休みだし、実家に帰省している人や住み込みのバイトをしている子もいて顔を合わせない人もいる。
二階に上がって右に行くと男子の部屋があり、左に行くと仕切りの奥に女子たちの部屋がある。
俺の部屋の隣は星司の部屋。
何度か部屋に入ったことがあるが、まるで推し活にすべてを捧げている女子のように壁一面に二次元女子のポスターが貼られていて、棚には無数のゲームソフトや漫画が乱雑に置かれている。
ゲーム用の椅子や高そうな機械が置いてあるが、俺はコンシューマーゲームをあまりしないからよくわからない。
ルカとキルケアの部屋は空いていた女子部屋の一番奥になったので飾音が案内し、芽乃ちゃんに頼まれていたカブトムシとクワガタは綾子から渡してもらうようお願いした。
自分の部屋に戻ると、隣の部屋からとろーんとしたアニメ声が聴こえてきた。
星司に向かって何か甘ったるいことを話している様子だがうまく聞き取れない。
ここは壁が薄いからたまに隣の部屋や廊下の声が漏れてくる。
せめてヘッドフォンしてプレイしてくれ。
こうして、不時着した宇宙船に乗っていた謎の少女ルカと言葉を話すキルケアという黒猫。彼らの船が直るまでの間、不思議なルームシェアがはじまった。