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第12話  夢の深海

──水の中にいる。

けれど、息は苦しくない。耳の奥で、自分の心音が静かに響いている。


澪は夢の中で、ゆっくりと海の底へ沈んでいく感覚を味わっていた。

光の粒が、髪の先から指先まで、やさしく包んでいく。


目の前に、誰かがいた。

黒髪の少女。ナリス──それとも、夢の中だけの“幻影”?


「ここは、あなたの記憶の深海。

本当のあなたが眠る場所よ」


声が、海のなかにもかかわらず、はっきりと澪の心に届いた。


「……私は、もう人魚じゃない。忘れたの、全部」


「でも、海は忘れない。

あなたが“選ばれし者”だったことを」


ナリスが手を差し伸べる。

その指先が触れた瞬間──澪の視界が、一気に鮮やかに染まった。







海の王宮のような場所。水晶の柱が立ち並び、光が天井から差し込んでいる。

その中央に浮かぶ、小さな貝のゆりかご。中に眠る少女──幼いころの澪自身だった。


ナリスの声が響く。


「あなたは“海の予言子よげんし”。

陸と海をつなぐ鍵として、生まれたの。

けれど、愛を知り、陸に留まることを選んだ」


──愛?


翔太の顔が思い浮かんだ。

優しくて、ちょっとお節介で、いつも隣にいてくれた。


「その代償として、記憶を封じ、姿を変えて人間になった。

でも、海はあなたを手放していない」


澪は震える唇で言った。


「……なんで今、戻そうとするの? 私は、もう人間として生きてるのに」


ナリスの表情が少し曇る。


「“歪み”が生まれているの。あなたが人間に留まり続ければ、

“契約者”である彼──翔太の存在が、少しずつ壊れていく」


「……え?」


ナリスは淡々と続けた。


「彼はあなたを人間のままにするため、記憶の代償を背負った。

本来なら失うはずだった命を、今も削りながら保っているのよ」


澪の視界が揺れる。

心臓が冷たく締め付けられるようだった。


「そんな……翔太は……何も言ってなかった……!」


「言えるわけがないわ。あなたの笑顔を守るために、すべてを隠してきたのよ」


ナリスは澪の肩に手を置き、囁くように言った。


「もうすぐ“潮の扉”が開く。あなたは選ばなければならない──

彼を救うか、この世界に留まるか」


その言葉とともに、澪の足元から海が割れ、光の階段が現れる。


「目覚めて、澪。現実が、待っている」








バッと澪は目を覚ました。

朝の光がカーテン越しに差し込む。心臓が早鐘のように打っている。


夢、だったのか──?


でも、目を落とした布団の上に、小さな“鱗”がひとつ、落ちていた。

薄い水色に透けるその欠片は、朝の光を受けてかすかにきらめいていた。



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