目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第14話  潮の扉

夜の海は静かだった。

星々が鏡のような水面に映り込み、どこまでも続く銀の道をつくっていた。


満月。

それが“潮の扉”が開く合図──


澪は浜辺に立っていた。

足元の砂はひんやりとして、かすかに波の泡が触れては消えていく。


「……ここが、すべての始まりだった気がする」


翔太と出会ったあの日。

ナリスと別れたあの日。

そして、記憶を封じてこの世界に来た日。


すべてがこの海から始まっていた。


背後に気配を感じて振り返ると、翔太が静かに立っていた。

彼の顔はどこかやつれていて、けれどその目は決意に満ちていた。


「来たんだね」


「……来なきゃ、後悔するって思った」


澪はゆっくりと歩き、翔太の隣に並んだ。

言葉は交わさず、ただ寄り添うように波音を聞く。


──そのときだった。


空気が変わった。

風が止まり、海面が青白く輝き始めた。


波の中心がゆっくりと割れていく。

まるで異世界への扉が開かれるように、そこには深く深く沈んでいく道が現れた。


「……潮の扉が、開いた」


ナリスの声が、どこからともなく響いた。


そして波間から、もうひとりの人魚が現れる。

長い銀色の髪、青い瞳。まるで鏡に映したような澪の姿──


「……誰?」


「あなたの“本質”──封じられた本来の姿よ」

ナリスが現れ、淡々と告げる。


「あなたの魂は今、ふたつに分かれている。

人間としての澪。そして、人魚だったころの澪。

選ばなければ、いずれ両方とも消滅するわ」


翔太が一歩踏み出し、澪をかばうように前に出た。


「彼女を脅すな。選ぶのは彼女自身の意志だ」


ナリスは静かに頷いた。


「だからこそ、彼女の記憶をすべて戻したの。

今ならわかるはず──自分が誰なのか、何を願っていたのか」


澪は、人魚の“自分”と目を合わせた。

その瞳の奥に、過去の記憶が次々と流れ込んでくる。


──海の底の王国。

──ナリスと語り合った夜。

──翔太を助けた日。

──人間になるためにすべてを差し出した瞬間。


「……私は、澪。

この世界で、翔太と生きてきた。たくさん笑って、泣いて、苦しんで……

その全部が、本当の私の“人生”だった」


「でも、あなたは海に生きる者。永遠の存在。

陸の時間では、彼と過ごせるのは限られているわ」

ナリスがそう囁く。


翔太は澪に微笑みかけた。


「俺は、たとえ短くてもいい。

君と一緒にいられるなら、それでいいんだ」


澪の瞳から、静かに涙がこぼれ落ちた。


「翔太……ありがとう。

私、決めたよ」




──その瞬間、海が大きくうねり、潮の扉がまばゆい光を放った。


澪は一歩、海へと踏み出した。

けれど、それは戻るためではなかった。


「私の願いは、たったひとつ──

“境界を壊す”こと。海と陸、二つに分かれた世界を繋ぐ」


ナリスが目を見開く。


「まさか……禁忌を」


「私は予言子よげんし。海と陸の未来を結ぶ者。

翔太と生きるために、“世界”を変える!」


澪の身体が光に包まれる。

人魚でもなく、人間でもない──

その狭間に立つ、ひとりの少女の姿があった。


「そう、……だって私は──人魚」


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?