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第3話

 数日後の昼下がり、ギルドの訓練場から、木剣の打ち合う音が響いていた。


 かつん、かつん、と乾いた音が風に乗って運ばれ、事務所の窓ガラスを軽く震わせる。


 休憩の合間に、クレアは帳簿から顔を上げ、控えめに窓の外へと目を向けた。


 砂埃の舞う広場で、若い冒険者たちが剣を交え、声を張り上げている。その中に、リクの姿もあった。


 脇腹に当て身を喰らって転がされ、起き上がっては何度も構えを修正し、弓使いの少女と笑い合いながら再び構え直す。


(あの子、少しずつ“現実”の中で呼吸を覚え始めてるわね)


 数日前の、あの無鉄砲さとは明らかに違う。


 動きはまだ荒削りだが、彼は「無敵」ではない自分を理解し始めていた。それでも剣を握り、誰かと肩を並べて立っている。


 その姿は、確かに“冒険者”になりつつあった。


 窓越しに見えるリクの顔に、クレアはほんのわずかに目を細めた。


 訓練場から聞こえる声を背に、クレアは静かに帳簿を閉じる。そして、カウンターの裏口を抜けて、ギルドの敷地のさらに奥――立ち入りを禁じられた小さな一角へと向かった。


 そこは、以外の冒険者すらもほとんど知らない場所。


 花も供えられていない、苔に覆われた石碑が並ぶ、ひっそりとした空間だった。


 それぞれの碑には、ただ名前だけが刻まれている。派手な飾りもない。ただ、記録として。証として。


 “冒険者として命を落とした者たち”の最後の場所。


 クレアは静かに、中央にある三つの碑へと近づいた。


 「ユアン・ロッシュ」「ミラ・フォーゲル」「ザイラス・エイル」――かつて彼女とパーティを組んでいた仲間たちの名前だった。


 碑を見つめながらクレアは当時の自分の判断を思い出す。


(経験の範囲内……そう思ってしまった)


 経験に傲ったおごった。仲間の力を過信し過ぎた。危険の火種を、「慣れ」で見過ごした。


 その結果は、壊滅に等しい。


 気付けば、片脚を失い、声も出せず、ギルドの診療所の天井を見つめていた。


 ――クレアだけが生き残った。


 もう、剣を握る理由も、なかった。いや、握れなかった。


 スカートの裾から伸びる脚の感覚は今もない。


 義足が支えているのは、ただの身体ではなく、あの時に失ったものと、それでも捨てきれなかった“責任”だった。


 クレアはそっと目を閉じ、小さく囁くように言葉をかけた。


「……また、ひとり、送り出すことになるかもしれないわ」


 正解は、誰にもわからない。ただ、かつての自分が“止められなかった”ことへの答えだけは、今でも探している。



 ◆



 カウンターに戻ると、ちょうどそのタイミングでリクが姿を見せた。今度は、一人ではなかった。


 小柄な弓使いの少女――髪を後ろで結び、機敏な動きが印象的。


 盾を担ぐ無口そうな青年――無骨な鎧を着て、後ろに控えていた。


 三人が横に並び、リクが口を開く。


「クレアさん、あの……この依頼、三人で受けたいんです」


 差し出されたのは、中堅ランクの調査依頼。過去に事故例もあるが、準備次第では対応可能なものだった。


 クレアは一瞥いちべつだけで、その依頼票の内容を思い出す。そして、リクの背後の二人に視線を向ける。


「あなたが前に挑もうとした依頼ね。……仲間は?」


「訓練で組んで、相性も確認しました。作戦計画も立ててきました。……これが、その概要です」


 リクは鞄から綴じたとじた書類を取り出した。


 手書きの地図、行動予定表、役割分担、緊急時の連絡手段まで記されている。


 字はところどころ雑だが、真剣に作られた痕跡があった。何より、白紙だった初日のリクからは考えられないほどの“思考”が、その中にあった。


 クレアはしばらく沈黙したまま、それを読み込んでいく。


(あの時のまっすぐさは残っている。でも、それだけじゃない)


 誰かを信じて任せるというのは、簡単ではない。


 仲間を失った記憶があれば、なおさらだ。


 ここに立つ三人は――前に進もうとしている。


 その姿を否定することが、果たして“守ること”なのか。


「……問題ないわ。依頼の受理は許可します。ただし、一点だけ」


「はい……!」


「必ず、“帰ってきなさい”。誰かが待ってる場所があるということ、それを忘れないで」


 リクの目に、ほんの一瞬、光が宿った。その後ろで、仲間たちも深く頷く。


「……ありがとうございます、クレアさん」


 その言葉に、クレアは何も返さなかった。


 ただ、ほんの少しだけ視線をそらして、カウンター越しに小さく呟いた。


「行ってらっしゃい」


 その声には、迷いも力みもなかった。それは剣を捨てた者にしかできない、“送り出す者”の声だった。

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