翌朝も、目覚まし時計が鳴るより先にファンヒーターのタイマーが動き出したおかげで、部屋はほどよい暖かさに包まれていた。まだ身体はベッドのぬくもりを欲していたが、昨日よりははるかに起きやすい気がする。ファンヒーターがここまでありがたい存在になるなんて、東京時代の自分には想像できなかったことだ。布団をめくり、床に足をつけると、わずかな冷たさに身震いしながらも「まあ、これなら大丈夫」と自分に言い聞かせる。
洗面所に向かうため、居間を出る。すると例によって、ドアを開けた瞬間に容赦ない冷気が襲ってきた。
「うわっ、さぶっ……!」
急いで足をバタバタさせながら洗面所へ向かう。蛇口をひねると、まるで氷水のように冷たい水が勢いよく飛び出した。洗顔をすれば一発で目が覚めるが、数秒も手を浸していられないほどの冷たさに、東京時代のぬるま湯文化が恋しくなる。とはいえ、すぐに居間へ引き返せばファンヒーターの暖かい風が迎えてくれる。「この一瞬が修行なんだ」と思えば、何とか乗り越えられる気がした。
部屋に戻り、まだ温かい風を送り続けてくれるファンヒーターに近づいてほっと一息。体の芯に染みわたるような安堵感がたまらない。スイッチひとつでこの快適さを得られるのだから、雪国初心者にはまさに救世主だ。いつか慣れてしまえば、これでも「まだ足りない」と思う日が来るのだろうか、などと考えていると、ふとテレビのリモコンが目に入る。
何気なくテレビをつけてみると、朝の情報番組がちょうど天気予報のコーナーを始めていた。画面には東京の街並みが映し出され、キャスターが「今日は大変冷え込んでおります。最低気温はマイナス1℃、路面の凍結にご注意を」と、いかにも重大ニュースのように伝えているではないか。東京に住んでいたころなら「うわ、寒そう」「外出るの嫌だな」と思っただろう。だが今、真冬日の続く雪国に暮らす遥には、それがどうにも大げさに感じられる。
「最低気温マイナス1度……それで寒波って言うの?」
思わず口に出してしまう。テレビでは「体調管理を万全に」「交通機関にも影響が出るかもしれません」と煽るようなテロップが流れるが、この雪国では最高気温が氷点下なんて普通のことだ。昨日だって氷点下3度、今日はもっと下がる予報が出ている。しかも仕事や学校が通常運行なのだから、差は歴然だ。
そんなとき、スマホから着信音が鳴った。LINEの通知を開くと、東京に住む友人からのメッセージが届いている。
「今朝めっちゃ寒いんだけど、マイナス1度とかもう冷蔵庫いらないよね~」
さらに続けて、「そっちなんかもっと寒そうだし、冬場は冷蔵庫いらないんじゃない? 外に放置でOKでしょ」と冗談めいた文章が流れてくる。東京の感覚からすれば、確かに「雪国=天然の冷蔵庫」のイメージがあるのかもしれない。
「冗談じゃない……冷蔵庫こそ雪国の必需品だよ。冷蔵庫がないと、ペットボトルの中身が凍るし、食材だって全部カチカチになるんだから。」
そう返事を打ちながら、ペットボトルが凍った時のことを思い出して苦笑した。東京の友人から見れば、氷点下1度でも大騒ぎになるわけだから、こっちの部屋の中でペットボトルが凍ってしまうという現実は想像を絶しているに違いない。こちらは真冬日の地で冷蔵庫を置かないと、「すべてが凍る」という悲惨な結果になる。外気温に頼ったら、一晩で食材も何もかも氷漬けになってしまうだろう。
返信を送り終えてテレビに目を戻すと、キャスターが「みなさま、今日はしっかりと暖かい服装をしてお出かけください」と締めくくっていた。遥はリモコンを手に、テレビの音量を下げつつ、小さくため息をつく。
「マイナス1度でそこまで言うんだ……」
東京で過ごしていた頃の自分を思い返すと、人のことを笑えないはずなのに、どうにも言葉が出てきてしまう。環境が人の感覚を変えてしまうのは本当だと、身をもって知った気がした。いわば“地元の基準”というものが、遥の中に少しずつ芽生え始めている。そうは言っても、まだ雪国に来て日が浅い。それでも「マイナス1度で寒い、寒いと言ってる場合か?」という心境になるのだから、自分でも驚きだ。
ふいに、昨日の隣人・山下の言葉が脳裏をよぎる。「東京の人からしたらマイナス1度だって大事件なんですよ。住んでる土地が違えば、感覚も違いますから」。確かに、住み慣れた環境の常識を他人に押しつけるのはおかしい。東京ではそれが厳しい寒さなのだろうし、ニュースで大きく取り上げるのも無理はない。だが、一度雪国を体験してしまうとどうしてもその落差に笑ってしまうのも事実なのだ。
「まあ、私もまだまだ初心者なんだけどね……」
起き抜けの慌ただしい時間に、東京の寒さへのツッコミを心の中で転がしながら、朝食の準備を簡単に済ませる。昨夜のうちに買っておいたパンと、インスタントのスープが今日のメニューだ。キッチンは相変わらず冷え切っていて、洗い物をする手がかじかむが、昨日よりは抵抗感が少し薄れてきたのがわかる。こうして少しずつ「雪国の常識」に慣れていくのかもしれない。
食卓に腰を落ち着け、ファンヒーターの温風が届く位置を確保。インスタントスープをすすりながら、スマホに再び目をやる。先ほどの友人から連投でメッセージが来ているかもしれないと期待するが、「そっちはもっと大変そうだね~」という軽い返信だけで、特に深いリアクションはない。どんなにこちらが「いや、こっちはもっとやばいんだよ!」と叫んでも、それはリアルに伝わらないだろう。
「まあ、いちいち説明しても仕方ないか……」
口の中で小さく呟き、食べかけのパンをかじる。暖かい部屋での朝食は、こうして落ち着いている分には東京時代とさほど変わらない——それが唯一の救いだろうか。今から着替えて、この冷え切った外の世界に出て行き、会社に向かわなければならない。その道のりで、もっと凄まじい寒さや雪の洗礼を受けることになるだろう。
LINEの画面を閉じる前に、自分の「冷蔵庫がないと何もかも凍る」という返信を再確認する。じわじわと笑いが込み上げる。ついこのあいだまで、自分も「雪国じゃ外に置いとけば冷蔵庫いらないんじゃない?」なんて冗談で言っていた側だったのに。いまの生活では、冷蔵庫がないと食材や飲み物が凍ってしまうという実感が、ペットボトルの失敗談とともに身にしみている。
「そりゃあ、冗談じゃないよ……」
コップに注いだぬるめのスープを飲み干し、テレビを消す。出勤までの時間はもうあまり残っていない。今日はどんな天気なのか、外をちらりと覗けば、少なくとも大雪ではなさそうだが、気温が上がるとは思えない。まだまだ真冬日が続く予報になっている。東京で散々騒がれている“寒波”など、ここから見ればかわいいものだろう。
それでも、当の東京の人々にとってはそれが現実の困難なのだ。遥もつい最近まではその感覚で暮らしていた。生まれ育った土地や慣れ親しんだ環境がちがえば、価値観や感覚も自ずと変わる。いまの自分が抱く「そんな寒波、大したことないじゃん!」という気持ちは、ある意味、こんな短期間でもう“雪国モード”にかぶれてきた証拠なのかもしれない。
立ち上がり、空の食器を片付けにキッチンへ向かう。再び「うわっ、さぶ!」と小さく声を上げながら、それでも「これくらい、もう慣れたもんだよ」と心のなかでつぶやく。東京のお天気キャスターに毒づいたところで、現実は変わらない。こちらはこちらで、最高気温も氷点下の寒さを受け止めながら、淡々と日常を回していくしかないのだ。
ふと、キッチンに置いてあったペットボトルを手に取る。もちろん、昨夜の失敗を繰り返さないように冷蔵庫にしまっておいたおかげで、凍ることはなかった。だけどもし冷蔵庫がなかったら……想像するだけで頭が痛くなる。行き場のない食材がすべて氷漬けになってしまう光景が、目に浮かぶようだ。
「やっぱり、こっちで暮らすなら冷蔵庫は大事だよね。外気が冷蔵庫代わりなんてあり得ない……」
ひとりごとを漏らし、笑ってしまう。東京からのLINEにはそう返信したばかりだ。雪国だからといって冷蔵庫がいらないわけでは決してない。むしろ、外気が寒すぎるからこそ、冷蔵庫が食材を凍らせないための貴重な“暖かい保冷器”になることすらある。そういう現実を、また一つ学んだわけだ。
ファンヒーターが吐き出す暖かい風に心をなだめられながら、テレビもスマホもオフにし、いよいよ家を出る準備を進める。東京の寒波だとか、こっちの真冬日だとか、そんな比較をするのも今日で最後かもしれない。これから先は、日常生活の中で自分自身が“雪国の感覚”を身につけていくのだから——そう思うと、都会への小さな毒づきも、いつか笑い話になって消えていくような気がした。