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モリアーティ伯爵令嬢 02

 小説では、夜はひっそりと静かだから怖いと描写されているのを何度か読んだことがある。

 その感覚は私にはわからないけれど、今このときは窓の外の景色が黒に塗り潰されているように見えて少し恐怖を感じた。自分が不安に思っていることを自覚させられる。

 迎えに来てくれたルーシーが、そんな私を見て笑った。そんなに緊張されなくてもと彼女が首を振る。

 私の感じてきた罪悪感は、とてもルーシーには打ち明けることができない種類のものだった。だから彼女は私の緊張のほんとうの原因を知りえない。私は誤魔化すように頷いてお義父様の部屋へと向かった。

「〈よく来たね、アズ〉」

 お義父様の部屋には立派な深いブラウンカラーのソファがあって、昔からここに座ってもいいと許可されるだけでドキドキした。ルーシーが去り際に微笑みかけてくれたので、緊張が少しだけ解れる。

「〈こんばんは、お義父様〉」

「〈呼び出したりして悪かったね。さあ、そこのソファーに〉」

 お義父様はとても理知的な顔立ちとスマートな立ち居振る舞いをどちらも備えたすばらしい紳士だ。社交界でもそれはそれは人気があったんだ――と、「本人から」おどけた口調で聞いているが、間違いないと思う。

 娘のために手話を零からマスターしてくれるような人だ。それが普通だとは私だって思わない。本当に優しい人なのだ。

 ソファを挟んで向かい合い、私は焦りつつ質問した。

「〈ありがとうございます。それで、あの、お話って?〉」

「〈ああ。そろそろ話をしておこうと思ってね〉」

 お義父様はそう言いながらしばらく黙り込み、そして小さく息を吐いたらしかった。手を膝に置き直す仕草からは妙な躊躇いが感じられた。

 私の亡き妻のことだよ。

 なんとなく感じていた嫌な予感が的中してしまった。急に自分の心臓の鼓動が速くなるのを感じる。奥様の事故に、私は一切関係していない。関係していないけれども、それは私の中ではもはや自分のせいだと思うほど引き取られてすぐの出来事だったそうだから。

「〈アイラ様の?〉」

 アイラ様。お義父様の最愛の妻だった人。その名を反芻してから私は何も言えなくなってしまった。

 どれだけ絶望的な表情を勝手にしていたのか、ふと気づくとお義父様が笑っていた。伸ばした手が、優しく私の手に重ねられる。

「〈アズ、そんなに悲愴な顔をしないでおくれ。なにも君を叱ったりするわけじゃない。もうすぐ十三歳になるだろう? これから大人になっていく君に、私の懺悔を聞いてもらいたいと思って呼んだんだ〉」

「〈懺悔?〉」

「〈そうだ。アズ、彼女について君はどう聞かされていた?〉」

「〈……私を引き取って間もないうちに、交通事故で……、亡くなられたとしか〉」

 言葉を選びようもなかった。私の手元を見てお義父様は悲しげに微笑む。見ているこちらが辛くなるような笑い方だった。

「〈そうだな。事故だった。だが、ただの事故じゃなかったんだ。彼女は……〉」

 私はお義父様の話が思っていたものとまったく違うらしいことに気付いた。続いたのは恐るべき事実。

 いや――真実。

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