「〈お義父さ……〉」
屋敷に帰ってリビングの扉を開くと、そこにはまったく見覚えのない男性がいた。たいへん背が高くてがっしりした体格の、まるで現役の軍人のような人だ。ちょっと乱雑な感じでうちのソファに掛け、お義父様と向き合ってなにやら談笑していた。
「…………」
「〈ああ、アズ。おかえり。驚かせてしまったね〉」
思わずフリーズする私をみとめて、お義父様が可笑しそうに笑った。こっちにおいでと招かれ、男性の前へ導かれる。
それに合わせて立ち上がってくれたその人は、やっぱりかなりの強面だったけれど――上品な衣服といいその身のこなしはとてもスマートで、どこか紳士然とした雰囲気も持ち合わせていた。
目を合わせると丁重な礼をしてくれたので私も慌てて応じる。
「〈あんたが、教授の娘さんだな〉」
私は驚いた。驚きがつい顔に出たのに違いなく、その男性はにやりと笑った。
「〈初めまして。あの……、手話ができるのですか?〉」
「〈教授から、娘さんのことを聞いていたからな。勉強させてもらった〉」
なんだそれは。どれだけ丁寧で器用な人なのだろう。私はもう一度礼をして、それでも何を言えばいいかわからずお義父様の方を見た。
「〈モラン、アズが困っている。アズは君のような男性と普段接することがないのだよ〉」
「〈あったら大問題だろう〉」
揶揄うように言うお義父様に呆れた素振りを見せつつ、彼は私に向き直ってくれた。
「〈セバスチャン・モランという。あんたの父親の……モリアーティ教授の、仕事仲間だ〉」
「〈お父様の?〉」
私のことを「教授の娘」と認識していることで、彼――モランさんが本当にお父様と親しいのだということがよくわかった。寡黙な数学者であるお父様にモランさんのようなお知り合いがいることを私は知らなかったので、つい意外に思ってしまう。軍人みたいだなんて思って、とんだ勘違いだ。
「〈ああ。今まではあまり会う機会もなかったが、今持っている仕事の関係でロンドンに来た。モリアーティ家の屋敷の場所は知っていたから、今日こうして訪ねてみたんだ〉」
「〈そうなのですね。ようこそお越しくださいました――改めまして、アザリー・グレイス・モリアーティです。お会いできて光栄です〉」
名乗りが遅くなって私は焦ったけれど、モランさんは愉快そうに口角を上げた。
「〈ずいぶんと上品な娘に育ったもんだな、ラインハルト〉」
「〈そうだろう。自慢の娘だよ〉」
お義父様はにっこりと笑った。まだ状況がよくわからないままでいる私に、モランさんはひとつ頷いてみせた。
「〈そういう訳だから、しばらくはこの辺りをうろうろしている。どうかよろしく頼む〉」
つられるように頷いた。モランさんは所謂とても男性的な人で、お義父様の言うとおり今までの人生ではあまり関わったことのないタイプだった。けれども様になるフランクな立ち居振る舞いや頼もしさがとても新鮮で、二人の父とはまた違った妙な安心感があった。
何より私にとっては、お父様が私の存在を明かすほど彼に心を許しているという事実がとても大きい。
ほどよい距離感もあって、私がボランティア活動をする中で感じている言いようもない不安感を、なぜだか会ったばかりの彼には打ち明けたいような気さえしていた。
そして結論として、そんな程度の心持ちでは甘すぎたのだ。