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独白

「教授。どう思われましたか?」

「……」

 ロンドンの屋敷は久し振りだった。私室にモランを連れ立って入り、扉を閉める。

 アザリーに聞かれる恐れが万一にもないとしても、あの子についての話をここでするというのは複雑な感覚だ。モランはそんな感情を見透かしているのか、わたしを促すようにそう切り出してきた。

「……あの子は自ら秩序のために動いた。上出来だろう」

「なかなかどうして、不思議ですよ。大事に育てられたでしょうに、妙に肝が据わっているようなところもあります。男爵への処罰感情なんて、あいつ、まったく罪悪感を感じていませんよ」

「あの子はまだ幼い。男爵との関係もそこまで深かったわけでもない、そんなものだろう。しかし……」

 何です、とモランは煙草を取り出しかけたが、わたしの一瞥によって嘆息し、大人しく仕舞った。

「怖いですか? アザリーの才覚が目覚めるのが」

「才覚、か」

「あなた様の娘でしょう」

 言いながら、モランはわざとらしいところもあるような素振りでその場に跪いた。自ら見出したこの男は、今まで忠実にわたしに仕えてくれている。働きも申し分ない。しかし人心に踏み込むのも巧いので、どうかすると話し過ぎてしまう。わたしは意図的に沈黙することにした。

 この男は才能に溢れている。もはや家族のない身であるし、アザリーのことを守ってくれると信頼してもいい。

 だが、アザリーは、あの子はまだ若い。未熟だが可能性に満ち、貴族の娘として一生を気楽に生きていける道すら残している。わたしが、残した……。

 最終的にどうなるとしても、生き方を選ぶには早いだろう。

「ですが、どうするんです? 組織との関わりは。あまり大人になってからでは、全てを拒絶してしまいますよ」

 自分でも自分の考えがわからない。こんなことは本業でも、他者に対してだって到底ありえることではなかった。ただし、娘に対してだけは――。

「あの子は頭がいいから、そのうち組織の他の人間のことを気にするだろう。その時は、ポーロックを紹介してやってくれ」

「ポーロック?」

 アザリーはまだそこまで気付いていないかもしれないが、彼は今回の計画の中でも暗躍している。引き合わせるのに丁度いいだろうし、何より。

「大丈夫ですか、あいつで」

 ポーロックは部下の中でも自由な人間だ。確かに優秀で小回りの利く男だが、その分懸念が多い。モランほどの忠誠心は感じられないし、恐らくあれは自分の中で明確な線引きがあるのだろう。

 彼がいつわたしの組織に別れを告げるのか――あるいはこちらから別れを告げることになるのか。それを置いても、今のところ裏切る可能性は低いとみている。

(こうして、娘のことでなければ淡々と考えられる)

「アザリーにとっては、多少無責任かもしれないが、話しやすい相手だろう。そして、いずれは……組織の考え方に慣れさせるのにも相応しい」

 娘に何事も強制しない。そして、その心に寄り添うことのできる人間を選ばなければならない。それは人間味の欠落に自覚のあるわたしが、常に意識していることだった。

 あの子に危険がないように、と言いかけてやめた。そんなことは言わずとも伝わるだろうし、「話し過ぎ」もいいところだろう。

 それにポーロックの裏切りのタイミングを見極めるのにも、この采配が何らか役に立つのに違いない。冷え冷えとしたわたしの魂胆の一角にまで当然気付いているだろうモランは、やがて頭を深く下げた。

「よく分かりました。すべて仰せの通りに」

 それ以上言葉は必要なかった。モランは音もなく部屋を出て行った。ここではほとんど使うことのないデスクを見下ろして軽く息を吐く。

 わたしはこの世のすべてを掌握することができる。卑劣な悪人も、蠢く凡人も。この世界を読み取ること、そして自在に操ることまでもが頭脳と組織力とによって容易くなる。しかし――あの子の心はどうだ。

 いつまでわたしの掌のなかに在ってくれる。いつ、このわたしの元から飛び出していこうとする。

 過去ただひとつままならなかったもの。あの瞳が宿した光……。あれの未来を予測することだけは、わたしには不可能なのだ。

 夜は、まだ明けない。

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