「――あの……」
「お嬢様! どうかされましたか、何が必要ですか! 何でもおっしゃってください。もう、本当に、何でもいたしますからね!」
「……えっと、ルーシー。あの…… 」
「今、またルーシーと仰いましたね! 私、私はもう……」
私が屋敷に戻ってからは、主にルーシーのテンションがおかしなことになってしまった。昔からずっと側にいたので、私がこうして声を手にしたことが嬉しくてたまらないのだと言う。彼女は手術前よりはるかに私に甘くなり、なんなら常に泣きそうになっている。何十回と同じリアクションが返ってくるので、その言葉の意味がわかるようになってしまったくらいだ。
もちろん優しさを無碍にはできないけれど、それはどんどん自分が駄目になっていくのではないかと思う世話の焼かれかただった。
当然いいこともあって、私は屋敷にいた他の使用人たちとも自由に話ができるようになった。今まではルーシーの付き添いなしでは彼らに何も伝えられなかったけれど、みんなが私の手術の成功を喜んでくれた。今までは自分の世界が確かに制限されていたことに、ようやく気付いた。
少しずつ、声を出すことにも慣れていった。お義父様は喜びながらも、それ以上に私のペースを大事にしてくれた。いつも私を優しい視線で見ながら手話と共にゆっくり私に語りかけ、私の発した一語一語を素晴らしいと褒める。なんだか幼い子供に戻ったような、愛おしい時間が私を包んでいった。
(あとは、お父様……)
モランさんは忙しい身だというようなことを言っていたので仕方ないとして、私が少し不安に思っているのはお父様のこと。
手紙は確かに帰ってきてすぐ届いた。手術の成功を祝う文面と、まだ万全でないだろうから無理をしないように、近く会いに行く、というような内容だった。
やさしい筆跡の手紙はもちろん嬉しい。でも――でも私は、早くお父様に会いたい。
「〈アダム?〉」
お義父様に聞いてみると、ああ、と頷かれる。
「〈ほら、アダム、屋敷の者には父親だと明かしていないだろう。会ってしまったら皆に不審がられる――と思うくらい喜んでいる自覚があるんだよ。心配しなくても様子を窺いつつ会いに来るさ〉」
「〈お父様、そんなタイプには、見えませんけれど……〉」
「〈何を言う。あいつが私の集めた名医たちを、いったいどれだけ長く調べていたと? 私は金で数だけ集めても仕方ないだろうと叱られさえしたんだよ〉」
そんな風に言われては何も反論できないけれど、せっかく声を獲得した身としては少し寂しい。お義父様のことは大好きだけれど、私にこの名前をくれたのはお父様だ。その感謝を早く伝えたいと思っているのに。
何か理由でもあるのかと思ってしまうほどもどかしい気持ちも、どこかにあった。
とはいえ、そんなことを考えてもまだ帰ってきてから一週間程度しか経っていなくて、急かすのもよくないと思い直した。ほんの少しの欠落感とともに。
それで――変わった世界を楽しみながらも、なんだか気疲れしてきた頃。
朝、いつもより早く目が覚めた。ルーシーが部屋に来てくれるのはもっと後だ。今までは一人で外に出るなんてことはできなかったけれど、今は周囲の音も聞くことができるじゃないか。……庭に出てみようか? そんなことを思いついたのだ。
私はなんというか、少し甘やかされすぎている。せっかく声が出るようになったのだから、小さなことからでも自立していかなければならない。決意が私の心を急かした。
庭ならいなくなったと騒がれることもないだろうと結論づけ、簡単な身支度をしてそっと部屋を出る――ルーシーやお父様と一緒なら普通に歩くことのできた庭だったのに、ひとりで足を踏み入れたそこは以前とまるで違って思えた。
普通の風景のひとつだった庭は、今や美しい花と木々の間を風の音がやわらかく通る楽園のようなのだ。
「……きれい……」
思わず呟く。見上げた空はよく晴れていて、ついそのまましばらく眺めていた。目を閉じる。木々のざわめきがこんなに心地よいと知らなかった。
手に入れたものの大きさにまた小さく感動して、自分が今ひとりでいることに小さな達成感を覚えた。
小さく息を吐いて、目を開ける――視線を戻したすぐ正面に、男の人が立っていた。