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窓の外へ 07

 ポーロックはそれからも毎日庭にやってきた。彼はどんな魔法を使っているのか、私の興味を引く話を山のように知っているのだ。

 特に感動したのは、彼が「教授に説明するのに要るだろう」と言って、私の受けた手術や療養施設でのことを具体的に話せるよう協力してくれたことだった。

「教授は初めて君が話すところを見るんだろう? 君は手術のことから話すはずだ。絶対、的確な説明ができたほうがいいし――そんな高度な会話ができるようになった君を、教授は誇らしく思うはずさ。感動してくれるよ」

「感動? そうかしら……きっと、喜んでくださるわよね?」

「もちろんさ! こっそり練習して、教授を驚かせよう」

 そう明るく言ってくれたとき、私はポーロックの笑みに一瞬違和感を感じた。でも、実に自信に溢れた物言いにそんな違和感は吹き飛んでしまった。

 きっと彼はふざけることが多いだけで、本当は優しい人なんだ。だって私ひとりではそんな視点には気付けなかったし、施設でのことを具体的に説明できるようにもならなかった。そう思うと嬉しくなった。

 お父様とまだ会えないなどと悲しく思っていた感覚はいつしか薄れ、ポーロックが持ってきてくれるたくさんの情報と豊かな語彙たちが私を慰め、心に妙な落ち着きを与えた。

「お嬢様! ――アダム様からお手紙ですよ」

「え?」

 朝一番のルーシーからのそんな言葉に、私はつい呆けた返事をしてしまった。いつもなら目を輝かせて私を急かされるのに――そうルーシーが明らかに私を怪しんだので、必死で取り繕う。

「ごめんなさい、うまく聞こえなくて」

「あ……いいえ、私のほうこそ。失礼しました。お嬢様、どうぞ」

「ありがとう」

 お父様からの手紙には、遅くなったことへの謝罪と、この手紙を出した翌日には屋敷へ向かう旨が記されていた。ということは……もしかして、今日の午後には到着するのではないのか?

 気付いた瞬間、遅れて喜びが湧き上がってきた。

「ルーシー! 今日こっちに来られるみたいよ、準備をしなくちゃ!」

「あら、そうでしたか! 嬉しそうですね、お嬢様――アダム様のこと、大好きですものね」

「もちろんよ!」

 私は大喜びでリビングに降り、どこか片付けるところはないか見て回った。もちろん使用人たちの仕事は完璧なので、できることなんて何もない。それでもじっとしていられない気分だった。

 休日だったのでやがてお義父様もリビングに下りてきて、私がお父様の来訪を告げると微笑みながら頷いた。

「しかし、アズ。さぞ待ちくたびれただろうね?」

「ええ! もちろんです。なんだかかなり時間が経った気がしてしまって」

 ポーロックに会うまでは指折り数えていた日数もなんとなく曖昧になっていた。お義父様は笑って、「怒ったほうがいい」と――「もうこんなに喋れるようになりましたよ、とでも言ってやるべきだ」と続けた。

 そうだ。話したいことは、いくらでもあった。


「お父様!」

 馬車を降りて私の姿をみとめたお父様を見ると、一気に感動が溢れた。私はお父様に駆け寄って発声した。

 子どものような振る舞いを怒られると思ったけれど、お父様は静かに私を見て微笑む。それを見た瞬間、涙が込み上げてきた。

 同時にもうここでは「お父様」なんて発言は駄目だと気付き、訂正する。ルーシーが一緒でなくてよかった。

「あ――えっと、アダム様。私、無事に手術が終わりました。音の聞こえる世界は、とても素晴らしいです!」

「……そうか。それは、本当に良かった」

 穏やかに言われ、大きな手が私の頭を撫でた。

「遅くなってすまなかった。中でゆっくり話をしよう」

 ルーシーは私とお義父様、お父様のぶんの紅茶を淹れてから席を外してくれた。さぞ積もる話があるだろうというその気遣いがとてもありがたかった。

 リビングの重厚な扉が閉まれば遠慮はいらないのではとも思ったけれど、私はお父様について声に出す時は「アダム様」と呼び続けることにした。慣れておいたほうがいいと言われたのだ。

 会えるまでに持っていた小さな不満はとっくに消えていて、実際にお父様と会ったら流れるように言葉が出てきた。初めて音に触れたときのこと――そう、練習したように、手術のときのことや、療養施設についても。帰ってきて使用人たちとも話をしてみたこと。

 それに、私の名前のこと。

「私、自分の名前の響きが大好きになりました。アザリー、って、とてもかわいらしい響きだと思います。誰かに呼ばれるたびにとても幸せな気持ちになるんです」

「そう言ってもらえると、母親も喜ぶだろうな」

 お父様は穏やかな口調でそう呟く。お母様。会ったことはなくたって、優しい眼差しをした人だということがそんな口調からわかるようだった。

 お父様はお母様のことを思い出したのかとても優しい、そして切ない目をして、話を変えるように私を見た。

「それにしても、アザリー。想像していたよりもずっと話せているな。聞き取りにもまったく問題なさそうじゃないか」

 私は思い切り動揺した。

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