そして。
少し、いや、かなり不安だったけれど――彼は次の朝も庭に立っていた。
ものすごく冗談みたいな、よぼよぼの老人の姿で。とてつもなくしわがれた声で。
「……何してるの?」
「いやあ、昨日の話を信じてくれたおじょうさんだから、本当の、さらに本当の話をしてもきっと信じてくれると思ってのう。実は、本当のわしは百歳で、生まれはソーホーのど真ん中でのう……」
「…………」
「おじょうさん?」
「…………なにを、しているの?」
彼の体が大きく震えた。自分でもびっくりするくらい低い声が出たのだ。これが声の力とやらだろうか。
「……怒ってるの? お嬢さん」
やり過ぎたと思ったのか、やがて「いつもの声で」ポーロックが言った。私は心底呆れ、とてもがっかりし、そしてお父様の言葉を思い出す。
息を吐く。
「怒ってないわ」
「え、怒ってないの?」
視線を移したポーロックは、もう最初に出会った時のあの姿だった。こんなの、もう、諦めるしかない。
「それがあなただっていうなら、受け入れることにする……特に問題ないわ。だって、友達として話すには関係ないことだもの」
彼はやがて笑った。さすが教授の娘だね。彼は私をいつものように誘い、私も頷いてベンチに座った。またとりとめのない、楽しい会話が始まった。
毎朝の会話を続けるうち、私の言語化能力は飛躍的に上昇した。ポーロックによって叩き伸ばされた、と言ってもいい。
時折彼は仕事だからと言ってしばらく姿を消す。けれども一月もすればまた顔を出し、異国のお菓子を持ってきてくれたりした。彼が何をしているのかは、相変わらずさっぱりわからない。
彼と会わずにいるうち、モランさんが訪ねてきた。モランさんの低くて深い声は、聞いているだけで何だか落ち着いた。
私がかなり自然に話せることを喜んでくれたので、そういえばとポーロックの話をすると――彼はこちらが心配になるくらい項垂れてしまった。
「お前、俺があんなに……」
「え?」
「いや……お前のせいじゃない。何でもない。でも、あんな奴と関わって本当に大丈夫か?」
「彼、モランさんとは大親友って言ってたこともありますけど」
「既に不安な語り口だな。そんな訳あるか」
即座に否定されて、やっぱりそうなんだと納得する。お世辞にも二人の相性がいいようには見えない。とはいえ、あのアシュウッド男爵の事件のときから彼は私を見ていたらしいことが事実として明らかになった。
「この際だから話しておくが、奴らの人身売買の取引場所はあいつが調べたものだ。人買いの潜伏する建物がどれかも、現れる時間もな。俺はその情報を持って、お前のところに行った。ラインハルトへ情報を逐一伝達してくれたのも、あいつだ」
あの事件のことはもはやとても前のことのように感じたけれど、それでもよく覚えている。彼のやってくれたことがどれだけとんでもないことだったのか、私は改めて戦慄した。
情報収集が得意なんて範囲をはるかに超えている……彼がどんな風にそれらの情報を集めたのか、私では予想することすらできない。
「すごい……あの、彼は、どうしてそんなことができるんですか?」
「それが誰にも分からない。――長い付き合いだが、未だに個人情報はさっぱりだしな」
「やっぱり……」
「お前がうまくやれるならそれはそれでいい。ただ」
モランさんがやがてひとつ頷いた。その目が急にひどく真剣になって、私はついたじろぐ。明らかに空気が変わったのだ。
「な、何ですか?」
「〈友達〉だからって、なんでも許容するような奴じゃない。あいつは……」
モランさんは何故か言葉を止めた。何か少し迷った様子の後で、「アザリー」と私の名を呼ぶ。
「あいつだって、犯罪組織の人間だ。お前には見せない面もあるだろう。お前が今そうであるように、自分で考えて、判断して……そうして付き合っていくんだ。これからも。いいな」
「……はい」
モランさんの迫力に、私は大きく頷いた。わかっている。彼は、なんの気兼ねもいらない友達じゃない。お父様の組織の人間だ。本来なら知り合うこともあり得なかった遠い世界の存在だ。
それを忘れるなと、向き合う真摯な瞳が言っていた。