その後も私はポーロックの教えに従い、順調に「目標」を達成していったけれど――社交界が恐ろしいところだというのは本当で、私以外の人間だって同じようなことを考えているのだとすぐに思い知らされた。
「アザリーさん、ぜひ仲良くしましょうね。それと、お父様は何がお好きかしら?」
ウィンザー夫人は向こうから近寄ってこなかったぶん良識のある方だということが、少ししてよくわかった。私はかなりの数の女性たちに群がられ、その爛爛とした目が私を通してお義父様を見ていることに気付いた。
(お義父様、すごい人気だわ……)
社交界の場では未来の結婚相手候補からも声がかかると言われていたけれど、こちらに来ようとした男性は明らかに女性たちの勢いに負けているように見えた。細かいことはわからないが。
私は呆れる以上に感心していた。お義父様は確かにスマートで格好良くて、いつも颯爽としているけれど――私はもっとアイラ様のことで腫れ物に触れるような扱いをされたり、気まずい空気が流れるものかと予想していたのだ。
実際に社交界に足を踏み入れてみると、ほとんどそんなことはなかった。
普段のお義父様があまりにのらりくらりとされているので、女性たちは私の社交界デビューを今かと待ち望んでいたらしい。私の存在がなにかの起爆剤になると信じて。とはいえ私はお義父様の社交嫌いをよく知っているので迂闊なことは言えないし、女性たちに嫌な顔をさせるわけにもいかず大変な気を遣わなければならない……。社交界デビューの場においては、かなりの負担になる。
侯爵夫人が呼んでくださったという伯爵令嬢とも話をした。夫人は友達になれるだろうと言っていたけれど、これもちょっと予想とは外れていた。
挨拶回り中、明らかに同年代で友達になれるかもと思えたのは三人。
そのうち一人は見るからに競争心が強そうで、とてつもなく派手なドレスの母親とともに私のことを明らかに牽制してきた。今の「社交界の華」なのかな……と少し引いてしまったのを覚えている。
もう一人は和やかに話ができたので仲良くなれそうと思ったら、母親がお義父様の情報をものすごく食い下がって聞いてきた。彼女も母親を止めてはくれなくて、絶対に近付いてはいけないと感じた。
最後の一人は、氷のような美貌を持った女の子。知的な雰囲気に溢れ、言葉少なながらも品格漂う挨拶が印象的だった。その涼やかな目と視線が合った瞬間、熱にあてられた身体が落ち着くような錯覚さえした。
父である伯爵も礼儀正しく接してくれてそれだけで感動したが――彼女自身はあまりこうした場が好きではないようで、挨拶が終わるとふらりと離れていってしまったのだ。
(彼女と、もう少し話をしてみたかったけど……)
婦人たちに質問責めにされた後で私は疲れ果てていた。友人を作るのも絶望的だ、とふと思ってしまいさらに精神的なダメージが襲ってくる。
こんな状態でも姿勢を保って笑顔でいなければならない。
どんな瞬間も誰かに見られている。これが社交界の恐ろしさかと痛感しながら飲み物のグラスを持ち、やっと一人でテーブルにつこうとしたとき――声を掛けられた。
「レディ・アザリー」
「あなたは……」
反射で振り向き笑顔を向けたところで、私は驚いた――きっと顔にも出てしまっただろう。それはちょうど今思い出していたところの、「氷のような美貌」の伯爵令嬢だったのだ。
「……レディ・イヴ。来てくださったの?」
「さっきはごめんなさい。あまり時間を取らせてもと思って……社交界デビューなんて、気疲ればかりでしょ」
彼女の声は安心感を覚えるほど理性的だった。疲れたなんて正直に言っていいのか分からなかったけれど、二人になった時の彼女の微笑みは先ほどよりずっと優しかった。
私が小さく頷くと、彼女は笑う。
「モリアーティ伯爵の再婚のことは、女性たちの間じゃ鉄板の話題よ。このパーティの招待を受けた時、あなたはさぞ酷い目に遭うだろうと思ってた」
「そうだったんですか……」
イヴ・ハーディング。ハーディング伯爵令嬢。彼女はこの日私が出会った中でもっとも冷静な人物だった。彼女の長く絹糸のような銀髪は彼女の幻想的な雰囲気をもっとも強く印象付けた。彫刻と見紛うほど整った顔、瞳は色素の薄いブルー。
彼女の周りだけ、静謐な空気が漂うようだ。
「無理をしないほうがいいわ。こんな場で集中しすぎていると、倒れてしまうわよ」
「ありがとうございます。レディ・イヴ」
彼女の口調からは、思惑が入り乱れるパーティへの呆れが感じ取れた。初めて掛けられた純粋な心配の言葉はうっかり泣きそうになるほど嬉しい。
彼女は彼女で、まだ社交界に染まっていない私は話しやすいと思ってくれたのだろうか。彼女はグラスを置き、私に向き直った。
「ねえ、私たち、同い年なのよ」
「え? ……ああ、社交界デビューは去年なのですか?」
「そうよ、十六歳の誕生日だった。当然同年代は『あの二人』」
彼女は他の人にはわからないように、先程話した二人の伯爵令嬢たちを目で示した。一人はここからでも見えるほどの大きな身振りではしゃいでいて、もう一人は母親とともにお義父様を取り巻いている。
視線を戻して目が合うと――二人でつい笑ってしまった。
「まったく、本当に仕様のない人たちよ。だからそういう意味では今日、あなたと友達になれるかもって楽しみにしてたの」
「光栄です。レディ・イヴ」
「イヴでいいわ。……私は権力争いになんて興味ない。それより心穏やかに過ごしたいの、レディ・アザリー。あなたはどう?」
彼女の淡々とした、それでも落ち着きのある声が私には一筋の光のように感じられた。
お義父様が言っていたように、社交界は恐ろしい。たった一日でも大いに納得した。
それでもきっと美しいものだってあるはずと、目の前の彼女を見たら信じられる気がしたのだ。
私はそっと頷いた。
「ありがとう、イヴ。私のことも、どうかアザリーと呼んで」