「それにしても、アザリーさんとはお友達になれて本当に良かったわ」
私はあるとき少しだけ年代が上の、所謂「お姉さん」たちに呼ばれてホームパーティに参加した。広間にいるのは女性だけだし、大仰な舞踏会よりずっと気が楽だ。雰囲気も和やかで、珍しく楽しい――と思っていると、主催の令嬢からそんな風にしみじみ言われた。
「……とは、って?」
「あら」
私はたぶん聞き返さなくてよかったことを聞き返してしまった。彼女は失言だったような素振りをしたけれど、その目は色めき立ち、詳しく話したいのだと物語っていた。彼女が近くにいた女性たちへ目配せすると、何人かが集まってきてしまう。
「ねえみんな、アザリーさんに〈氷の君〉の話をしてもいいと思う?」
突然飛び出したその異名に、思わず胸を突かれる。呼び掛けには明らかに侮蔑の色があった。それを聞いた女性たちも、小さく笑った。
嫌な笑い方だった。
「いずれわかることだもの、いいんじゃないかしら?」
「ああでも、アザリーさんは――まだ会っていないかしらね。だって彼女、ほら……」
可憐な声の数々のうちにひりつく痛みのようなものを感じる中、彼女たちは私に告げ口でもするように言った。
〈氷の君〉――イヴ・ハーディングのことを。
「去年社交界デビューをした子でね。とっても綺麗だけど、冷たいって有名で……私、招待状を無視されたのよ」
「私もよ! 舞踏会で会っても、知らない振りをされたわ」
彼女たちは勢いづき、次々にイヴのことを悪しざまに語り始めた。文句の大半は彼女の冷たさや付き合いの悪さに起因している。
表立って反論できないのがたまらなく情けなかった。あの子は冷たくなんてないと心の中で何度も否定することしかできない。彼女が見せた可憐な笑顔も、ふとした優しさもちゃんと知っている。でも社交界では、それが理解されることはないのだ。
「きっと社交界が嫌いなんでしょ。だって、お父様が……」
「まあね。私の父も、あれは絶対に何かあるって言ってたわよ」
やがて話題が彼女の父親のことへ移り、私はつい顔を上げた。女性たちはこちらから聞く間もなく話し続ける。
「ハーディング伯爵が経営されてる会社、不正取引で儲けてるらしいのよ。労働者の扱いもひどいものだって」
「それであんなに羽振りがいいのよね、きっと」
彼女たちは神妙に頷き合った。表に出ていなくてもこういった情報は貴族同士で回り、どこまでも伝わるらしい。イヴに対して、父親の会社があんな評判ではと同情する人もいた。
「その点、アザリーさんのお父様といったら、本当に素敵よね!」
「本当に! 何も悪い噂なんてないし、アプローチに対する隙のなさがまた格好良いのよ」
話題が変わっていくのも、早い。貴族たちの集まりの独特の空気感にはいまだに馴染めずにいて、お義父様に教わった立ち居振る舞いで騙し騙しやってきた。
いつもなら聞き流す中身のない話だけれども、今日ばかりは心にずしりと重いものを残す。
帰宅する頃には、その重さにイヴの痛みも乗っているように思えた。
彼女の父親の話を意図せず聞いてしまい悩んだ結果、私はイヴを再び屋敷に招待した。
大きな舞踏会で話すようなことではなくとも、イヴの父親の噂はかなり広まっていそうだった。この間彼女と気まずくなってしまったこともあって、ちゃんと話をした方がいいのではと思ったのだ。
ルーシーたちは張り切って準備をし、彼女を先日と同じように――いや、それ以上にとても温かく迎えてくれた。
彼女は表情を保ちながらも明らかに嬉しそうにしていて、私まで温かい気持ちになる。
「アザリーのお屋敷は、本当に素敵ね」
「イヴのお屋敷だって、素敵でしょう? まだ行ったことはないけど……」
「そうよね。近いうちにね」
彼女が微笑むと、その澄んだ瞳に吸い込まれそうだ。リビングで向き合って座り、用意してもらったたくさんのお菓子に手を付けようとしたけれど、どうにも気が重い。
何とかしたいという思いから呼び出したものの、話の切り出し方がわからなくなっている。
「……どうしたの? アザリー。何か話したいことでもあるの」
イヴは私の様子に気付いて、そんな風に聞いてきてくれた。気遣わしげな目を見たら、ちゃんとしなければと気を引き締められた。
「あのね。あなたの、お父さんのことなんだけど」
そういうこと。呟く彼女の目はとても切なそうで、話を続けない方がいいのはもう分かっていた。彼女を傷付けるだけだ。でも私は自分の言葉を取り下げなかった。
「ご令嬢方から何か聞いたの? ……ううん、この前も口を滑らせてしまったものね。悪かったわ。でも、アザリーには関係ないんじゃない?」
彼女は冷静な口調で言った。怒っている訳じゃない。彼女は本心から言っている――けれど、私の言葉を待っているようにも見えた。
あんな風に誤解されている彼女を見て、何もせずにはいられない。彼女のお父様のことだって確証があるなんて言えないと思う。彼女がもしかしたら一人で苦しんでいるんじゃないかと思ったら、それを分かち合いたかった。
「関係あるわ。だって、友達だもの……」
結局、彼女を説得できると思えるような言葉は出てこなかった。
これではまた彼女に軽く流され、牽制されて終わりだと思っていたとき、イヴが少し視線を逸らしながらぽつりと呟いた。