一晩考えたところで、まったく考えはまとまらなかった。相談するのに自分のスタンスが固まっていないなんてと思うと同時に、こんなことに明確な答えを出せる訳がないと思うのも本心だった。
今朝もポーロックは姿を見せない。イヴが事情を打ち明けてくれたことで、すぐにでも動かなければいけない気がしているのに――そう焦っていた時、ルーシーが部屋を訪ねてきた。
「お嬢様、今、よろしいですか? お客様がいらっしゃっていますよ」
私はつい期待した。ポーロックかもしれない。彼なら、変装して急に帰ってきても何もおかしくない。私がもちろん会うと言い慌ててリビングへ降りると、ソファに背を預ける頼もしい背中が目に入った。
「……モランさん……!」
「久し振りだな」
つい声を上げてしまう。彼の優しい声も、目元も、何も変わっていなかった。モランさんが立ち上がると私は一気に上を向くことになり、目が合った私の頭を大きな手が一度だけ撫でていく。
「困ってるんだってな。とりあえず、話をしに来た」
まさか会えると思っていなかった。考える助けになってほしいと、お義父様が呼んでくれたのだ。本当に――敵わない。どれだけ甘やかされれば気が済むのだろう。
泣きそうになりながら謝る私が落ち着くまで、モランさんは気まずそうにしながら待っていてくれた。
「……一応、軽く調べてはみたが。その令嬢が言ってるのは、これのことだろう」
モランさんはやがていくらかの新聞記事の切り抜きを私に示した。それは、会社勤めの男性が夜に襲われたというものや、強盗についての記事。ロンドンの危険性は知っていたのに、どこか他人事のように思えて見過ごしてきた事件の数々。
「期間が空いてるし犯人も違うからあまり話題にならなかったかもしれないが、被害者はその令嬢の父親がやっている会社の役員と……ライバル会社の人間たちだ。どの犯人も一度は捕まったが、何故か後に釈放されている」
「釈放? 殺人なのに、何故……」
「どこかの貴族が、大金を積んだという話がある」
言葉を失う。あまりに凄惨で信じたくなかったイヴの話がまぎれもない真実だと、モランさんの淡々とした動作から伝わってくる――こんな情報を、彼が一日で特定できることにも改めて驚いた。
「私、イヴを助けたいんです。友達だから。彼女、自分も告発されて全部終わってしまう、って怯えていて」
「……」
モランさんは難しい顔をしてしばらく私を見ていた。それはいつかの――アシュウッド男爵からユアンを救いたいと言ったときの表情に似ている気がする。
(私は昔から、助けたい、助けたいと言うのに無力なままだ)
「その令嬢の人生を守る方法なら、一つある」
「どんな方法ですか?」
勢いよく言った私をモランさんは制した。落ち着け、と目を合わせられる。
「――彼女自身が、家族を告発することだ」
喉の奥で、息が詰まるような感覚。言葉を返せない私に、モランさんは淡々と続けた。
「社交界デビューを果たしている以上、彼女だって立派な貴族だ。声を上げればきちんと受け入れられる。今なら、まだ若いのに家族の不正を許さなかった勇気ある令嬢として讃えられるだろう。支援する貴族も出てくるはずだ。何せ、父親の事業が後に残されるんだからな」
社交界デビュー。一人前の貴族。自分が意識してプレッシャーを感じた立場が、彼女を守るかもしれない。
モランさんの言ったことが私には素晴らしいアイディアのように感じられたけれど、すぐに注意が入った。――ただし、この方法は勧めない、と。
「……告発が受け入れられない可能性もあるからですか?」
「いや。多分、令嬢がそれを望まないからだ」
モランさんの答えは意外なものだった。私が不思議がっていると、彼は言いにくそうに首を軽く振った。
「責めるつもりはないが、こんなことは本人だったらすぐに思いつく。だからきっと、彼女にはその選択が出来ないんだと思う。自分以外の家族全員を告発するなんて真似をするには、相当の覚悟が必要だからな」
「そんな……」
「それでも助けたいなら説得してみるのもいい。ただしやり過ぎると危険だ、追い込むことになる」
本当に困ったら俺達を頼れ。悪を糺した上で、彼女のことも助けられるかもしれない。ユアンの時のように。
モランさんの助言はどこまでも理性的だった。反論する隙がない――私はとりあえず彼女を説得してみたいと答えた。モランさんは静かに頷く。
(お父様は、優しい人だ。私では思いつかないような方法を考えてくれるのかもしれない。でも……)
イヴの悲しそうな微笑みが頭をよぎる。私は自分ができれば「組織」の圧倒的な力に頼りたくないと思っていることに気付いた。しっかり話をして、彼女が貴族として行動してくれたら。そんなふうに穏便に解決されるのが一番いいはずだから。
「アザリー、しっかり考えろ。考えて判断するんだ。いいな――必ず、自分の行動の責任を取ることになる」
「……はい」
モランさんは真剣な表現で言う。その背後に、彼自身がしてきた重い選択が堆い山となっているようだった。神妙に頷く私に、モランさんは少し哀しそうに笑った。