そうも言っていられないと気付いたのは、再び質の良い封筒の束……招待状が屋敷に届き始めてからだった。
完全に頭の外へ消えていたけれど、イヴの死はシーズンオフの中でも終盤にかかる頃だった。
私が退廃的な時間を過ごしているうちに、再び社交シーズンが始まろうとしていたのだ。地方で過ごしていた貴族たちがロンドンへ帰ってくる。
(……とてもそんな気分じゃないわ……)
尽きない噂話。陰口の温床。社交界に出なければイヴと知り合うこともなかった。イヴの父親の話を聞くこともなかったのに。
私はもはや社交界に一歩たりとも近付きたくないくらいの嫌悪感を感じていた。けれども前のシーズンで私が築き上げた関係性が、ポーロックの「裏技」のために縁を結べた名だたる貴族たちからの招待状が、拒否することは許さないと訴えてくる。
なんてことをと思う反面、いつまでもこんな生活を続けていく訳にはいかないことも分かっていた。今でさえこれほど家族に甘え切っているのに、これでは何のために生きているのかわからない。
心はまったく回復していない。でも私のためにあらゆる準備をし、万全すぎる社交界デビューをさせてくれたお義父様を裏切るなんてことは到底できないと思った。
このまま自堕落に生きて、今手にしている全てを捨て去っていいわけがない――それなら、確信を持って頷くことができる。
私はルーシーに頼んで筆記具を用意してもらい、届いている招待を整理することにした。彼女は私が自発的に何かをしようとしたので、心底嬉しそうな表情を見せた。彼女の潤んだ目を見てわずかに安堵する。
(そう。心配をかけたくない。苦しませたくない。もう、誰のことも……)
それから私は屋敷のみんなに心配を掛けたことを謝り、明るく振る舞うよう努めた。
最初は明らかに無理があったかもしれないけれど、閉じこもっているよりはいいと思ってくれたのか誰も不自然さを咎めはしなかった。
イヴの事件についての記事は、あまりの手掛かりの無さからかだんだんと紙面を割かれなくなっていった。私も、彼女のことでほとんど忘れ掛けていた社交マナーを無理やり覚え直してシーズンに備えた。
イヴのことを意識の外に置いていたので、このままあの忙しい日々に呑まれていけば大丈夫かもしれないと、そんな風に思った。
思えばこの時の私は気付かない振りをしていたのかもしれない。だって、思い当たらなかった訳がないのだ。あの噂好きな人々が、イヴの死についての話題を放っておくはずがない。
社交シーズンが始まるということは、彼女の死が、私の罪が、人々の「興味」に晒されるということだ。
「ねえ! アザリーさんは、ご存知なんでしょう?」
「いいえ。私は、何も」
「あら、でも、仲良くされていたわよね。みんな、アザリーさんが相当の人格者でいらっしゃるからと噂しておりましたのよ」
私は最初に出席したパーティで早々にイヴの話を振られた。彼女は興奮した様子でイヴの死について語り、私の意見を仰ごうとした。
社交界デビューの場で、挨拶回りの後に二人きりで話をし笑い合ったことも――その後たまたま舞踏会で会った時に二、三ばかり言葉を交わしたことも、すべてに目撃者がいた。お陰で社交界では、私が彼女と相当親しかったという話が当たり前のように広まっていたのだ。
私がつい言い淀んでいるうちに、「でも」とその婦人は他の噂も教えてくれた。
「あの子の家の使用人が証言したんですって。手紙や招待状を貰っても結局返事をしなくなってしまうから、人との付き合いがなかったって――だから、手掛かりがないみたい。じゃあ、アザリーさんも違ったのね」
――彼女には手紙をよく送っていたのに、警察から話を聞かれなかったのはおかしいと思っていた。
私の手紙に返事をしなくなったのは私が追い詰めたからだけれど、他の貴族の招待にも応じていない話は聞いていた。どうやら私が送っていた手紙も、事態をよく知らない使用人によって「同様のもの」と見做されたようだ。
「やっぱり、彼女、悩んでいたのかしら? お父様の会社のことで」
一瞬喉の奥が苦しくなった。でも、ゆっくり息を吸う。吐く。……大丈夫。私は無邪気に、実に無邪気に聞いてくる彼女に向けて、何とか悲しい微笑みを貼り付けた。
「……失踪した原因は、話してもらえませんでした。最後に会ったのも、ずっと前なんです」
厚化粧の女性を前にそう言葉を吐いた時、自分の喉こそあんな風に裂かれるべきなのではと思った。どの口がそんなことを言うのだろう。お義父様に迷惑を掛ける訳にはいかないなんてただの詭弁で――私は、自分を守っているだけだ。
罪を告白することなんて、誰にも迷惑を掛けないとしても、出来もしないのに。
「そうなの……でも、アザリーさんが言うならそうなのね。ごめんなさいね」
婦人は申し訳なさそうに言った。でもこれは私に対してじゃない――彼女は私がストラフォード侯爵夫人という後ろ盾を持つ人間だと知っているから謝る。私ではなく、権力に睨まれないように阿るのだ。
好奇心から質問をぶつけようとも、私の発言を真っ向から否定するようなことは決してしないのは、私の背後に彼女の怯える権力があるからだ。
そんなことが分かるようになって、心の奥がいつも鈍く痛むようになった。