半ば以上に予想されていた通り、私の聴力の喪失はストレス過多による一時的なものと診断された。
有無を言わさぬお義父様の計らいによってかつて私がお世話になったお医者様のもとを訪れ――術後の経過にはまったく問題がないとされたのだ。
ルーシーが、彼の言葉を訳してくれる。
「〈社交シーズンで疲労が溜まり、ストレス性の病になる貴族の方は多いのです。若い女性であればなおのことです〉」
「〈……では、治りますよね?〉」
「〈穏やかな環境で静養なさってください。身体には異常がありません。あなたの耳が聞こえないのは、所謂心因性のものだからですよ〉」
音は聞こえないけれど、なんとなくその場の空気が緩んだように思えた。ルーシーの方を見ると、ほっとしたような表情を浮かべている。
私にだって、治ると言われれば安心できる部分もあった。でも考えるまでもなくイヴのことが原因なのだとすると、私は社交界に出られなくなってしまう……。
お義父様にどれだけ迷惑を掛けることになるのだろう。詫び状だとか言っていたけれど、私がこれまでに返事をしてしまった招待状の数は思い出したくないくらいある。私が青褪めるのを見て、お義父様がとても可笑しそうに笑った。
「〈お義父様……〉」
「〈私に迷惑がかかると思っているだろう〉」
何度も大きく頷くと、お義父様は軽く肩をすくめた。何も言ってくれない……。それどころかお義父様は私の肩に軽く手を置いたのを最後に視線を外し、お医者様と話を始めてしまった。こちらを見てくれないと抗議することもできない。
声が自在に出ていた頃の自分が恋しくなった――失うと、こんなにも不便なんだと分かるのに。
私は静かに二人の話が終わるのを待ち、来た時よりは軽い気持ちで医院を出た。お大事にと言ってくれたらしい微笑みに少し安心しながらもお義父様の方を見ると、ちょうど目が合った。
手話がなくとも、アズ、と呼ばれたのは分かった。
「〈はい〉」
「〈バース、という街を知っているね?〉」
「〈……はい〉」
私が理解しやすいように、お義父様の手話はゆっくりと紡がれた。少し遠いが、ロンドンから電車で行くことのできる街だ。急にどうされたのだろう――と思い、そして思い付く。多大な申し訳なさと緊張が一気に襲ってきた。
「〈……もしかして、ローレンス様のお話をするつもりですか?〉」
驚いたように目を見開かれる。私は自分の予感が的中してしまったことを悟り、首を振って必死に抵抗した。お義父様は感心するように目を細めただけだった。
「〈よく覚えていたね〉」
「〈……はい〉」
詳しいことを話す気力もない。本当にどうしよう。
私はお義父様の話から逃れるべく、脳内でローレンス様についての情報の整理を始めた。
ローレンス様というのは、二人の父にとっての弟にあたる方だ。
父二人曰く、実に誠実で、正直で、善意の塊のような方。最初こそお義父様の会社を手伝っていたけれども、早くに結婚された。
静かな生活を送るためバースで仕事を探してそちらに家を建て、それからずっと同じ場所で穏やかに暮らしている。
なんの事件性もない、絵に描いたように幸せな人生を送られている方だ。伯爵としての務めに追われるお義父様、大学教授としての教鞭を執られるお父様とはもはやほとんど関わりがなく、私も記憶の限り会ったことはないのだが――それはローレンス様がひたすらに平穏を愛するというだけのことであって、絆が失われている訳ではないとのこと。
あいつの人生の邪魔をするのはかわいそうだから、と、お義父様が言っているのを聞いたことがある。
二人とも、ローレンス様の「普通」の人生を、眩しく思っているのだろう。そして尊重している。早い時期に自分の永住の地を定めた弟に、父二人はわざわざ関わろうというつもりがないようだった。
そのときのお義父様の、離れた弟へ向けた愛情深い目が印象深くて――私は彼のことを覚えていたのだ。
「〈連絡が取れない訳ではないし、ローレンスは本当に優しい男だ。きっと療養のための滞在を許してくれるだろう〉」
昔の眩しい笑顔でも思い出しているのか、お義父様はそんなことを軽い感じで言った。代わりに私は凍りつく。
確かに、バースの街は療養地としてもよく知られる、本当に静かでよい街らしい。でも。でも!
「〈いやです。私、そんな、図々しいじゃありませんか!〉」
「〈そんなことはないよ。私から話してみるから、安心しておいで。アズ〉」
宥められても、まったく安心できない。重ねて言うけれども、私はローレンス様に会ったことすらないのだ。
いくら優しい人だったとしても、聴力を失った兄の子がいきなり来るだなんて困るだろう。ありえない。
それはもちろん、父とローレンス様の間には決して失われない絆のようなものがあるのかもしれないが――私との間には、絶対にない。受け入れられたとしても、本心では嫌がられるに違いないのだ。そんな考えが堂々巡りして、胸が苦しくなる。
あまりの申し訳なさと情けなさに、私はつい項垂れた。