ルーシーは家事を手伝うべく、アリス様に屋敷のことを詳しく案内してもらうことにしたらしい。私はついていこうとして止められ、リビングのテーブルについた。
少し待っていてとローレンス様に言われ、天井の照明を見上げた。装飾の控えめなシャンデリアがあたたかい光を放っている。自分の家ももちろん落ち着くのだけれど、また違った安心感がある。このお屋敷に来られて、本当によかった。
私たちはローレンス様が持ってきてくださった小さいノートとペンを交互に渡し合うことにした。
ローレンス様が最初にペンを走らせようとして、私の方を少し逡巡した感じで見た。慌てて借りたペンで『アザリー』とだけ書き、名前で呼んでほしいと訴える。
『――アザリー。本当に、よく来てくれたね』
ローレンス様の筆跡は滑らかで美しかった。微笑みも相まって、まだ知らない優しさに満ちた声が頭に響いてくるようだ。
『きちんとご挨拶したかったです。本当に、ありがとうございます』
『君がしっかりした子だということは充分伝わっているよ。兄上から聞いているかもしれないが、君には昔一度だけ会っているんだ』
私は頷く。赤子の時と言っていた。生まれてすぐの頃だろうか? 聞こうと思ったけれど、ペンが回ってこない。
ローレンス様は少し考えた後で姿勢を正して続きを書いた。
『アイラさんのことも、もちろん知っている。お母さんのことは、本当に残念だった』
ローレンス様は、私のことをお義父様とアイラ様の子であると信じている。私は侯爵夫人と話した時のことを思い出しつつ頷いた。
『彼女は明るい素敵な人だった。君のことを、それは可愛がっただろうに』
本当に悲しそうなその顔を見るだけで、何故か私まで辛くなってくる。心の底からアイラ様の死を悼んでいることが伝わるのだ。
『ありがとうございます。父はその分も、私のことを大切に育ててくれています』
ローレンス様は何度もその文を読んだらしかった。私を見る時の目は、二人の父とやっぱり似ているように思う。
『今まではあまり会う機会もなかったが、私だって兄の子である君を大切に思っている。今回も力になれて本当に嬉しいんだ』
遠慮せず、好きなだけゆっくりしていくといい。優しい気遣いは心に深く沁み込んだ。私は微笑んでノートに目を落とす。
(……)
アイラ様のことを『明るく素敵な人』と評した文がふと改めて目についた。
お義父様は、アイラ様が裏で何をしていたかについては話していないのだろうか?
この様子では、きっと知らないのだろう。こんな優しい人に人身売買の話などする気になれないし、お義父様の気持ちはよくわかる気がする。
当時の社交界にもうローレンス様がいなかったのだとすると、伝え聞くこともなかったのか。
(……アイラ様のこと、報道されなかったのかな。それともローレンス様が知らないだけ?)
社交界では、アイラ様のことは大きなスキャンダルになったと聞いている。でも……。話すべきではないことのように思えて、なんとなく緊張が走る。
――どうしよう、この話題をどこまで掘り下げて良いのかわからない。胸の奥がざわつくのを悟られないようにしなくては。
顔が強張ったせいか、ローレンス様が慌ててペンを取るのが見えた。
『ごめん。気に障ったかな?』
私も慌てて手を振る。動揺しつつも下を向いてペンを動かし、狡い質問で場を誤魔化そうとした。
『いえ、つい母のことを考えていました。母とは親しかったのですか?』
『親しいと言えるほどではないが、感謝しているよ。だってあの兄上が、アイラさんとは出会ってすぐに結婚を決めたのだから』
『〈あの〉?』
首を傾げて問い返すと、ローレンス様は気まずそうに口元を歪めた。言うつもりのなかったことのようだ。
昔のことだから。そんな風に前置いて、文は続いた。
『いや、兄上は貴族の令嬢との結婚など御免だと、ずっと言っていたからね。アイラさんはそんな兄の心境を一変させた人物という訳だよ』