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霧払う街 07

 アイラ・エヴリン・スチュアート。

 伯爵令嬢であった彼女は非常に美しく、まさしく当時の「社交界の華」だった。

 性格は明るく、社交の場には可能な限り参加するタイプ。いつも豪奢な装いを選ぶ派手好きではあったけれども、友人が多く大人気だったという。

 外出や人との交流を愛し、いくつものパーティを主催し人を集めて楽しんでいた。流行り物も大好きで、闊達な姿を侯爵夫人は好ましく思っていた。

 自由でお転婆なところもあったが、当時のモリアーティ伯爵家嫡男ラインハルトと出会って彼女はすぐに恋をした。

 見目麗しく紳士的な性格だったラインハルトも同じく社交界の女性たちの人気を集めていたけれども、アイラとラインハルトが侯爵夫人の紹介で出会ったとき、その「お似合い」な様子に周りは納得せざるを得なかった。

 らしい。

 アイラはラインハルトがどれだけ優しいか、どれだけ素晴らしい人かを友人によく語っていた。ラインハルトも彼女を気に入ったようで、結婚も実に早かった――それほど強く惹かれ合ったのだと、周囲は羨ましがった。

 社交界ではアイラから話を聞こうとしていた友人たちが待っていたが、結婚して早々にオフシーズンに入った彼女が社交界に復帰することはなかった。

 心配していたところに、ラインハルトからの「妻は妊娠していたから」という報せを受けて安心したと。

(それは……)

 そして、「私」が「誕生」した。

 その後、アイラが交通事故で亡くなり、皆が悲しみに暮れる間もなく――スチュアート家の人身売買に関するスキャンダルが告発によって明るみになった。アイラの関与も噂されて社交界では騒ぎになったが、もはやアイラはこの世を去ってしまっている。

 彼女と結婚し「モリアーティ伯爵」となったラインハルトは、悲劇の寡夫として娘を抱えることになった。

(……アイラ様じゃない)

 侯爵夫人の手紙の中にあったアイラ様へのフォローは、ほとんど頭に入ってこなかった。

 あの子が関与していたかどうかなんて誰にもわからない、ラインハルトは彼女を愛していたようだったなんて文言は、もはや何の説得力もなかった。

(妊娠していたのはアイラ様じゃない。「私の」母だ)

 アイラ様の当時の様子は、お義父様のもっとも苦手とする類の女性そのものだ。お義父様は社交界に染まった華美な女性を嫌っている。紳士的な態度は崩れなくても、瞳には冷淡な色が宿る。そのくらい見ていればわかる。

 お義父様は彼女を愛していなかった。愛したこともなかった。

 それでも彼女を傍に置いた。

 彼女は犯罪者だった。そして、彼女が死んで――私が残った。

「母」から生まれた、私だけが残った。

 この流れに、お義父様が関与していない訳がない。お父様が、知らない訳がない。

 アイラ・エヴリン・スチュアートは選ばれたのだ。選ばれて、きっと殺された。

 アザリー・グレイス・モリアーティが伯爵家の娘になるために。

 犯罪者の死。告発。家まるごとの没落。

 私はそんな例を知っている。この目で見て知っている。

 彼女は選ばれた。

 どうやって? 考えるまでもない。

 あの恐ろしく頭のいいお父様なら――どんな手を使っても、見つけ出したことだろう。

 犠牲にできる相手を。

 犠牲にしてもまったく良心が痛むことのない、犯罪者を。


 確かに、考えないほうがいいことだった。

 同時にそれは抗いがたい魅力を持った夢のような現実でもあった。

 犯罪者を犠牲にしてまで私は迎え入れられた。私はそれほどの労力を割くに値する存在だった。「組織」の存在とその力を知る私にとって、それはとても甘い響きを持った。

(お義父様は、非合法な組織のことを知っていて協力している風だった。だから、アイラ様とのこともその協力の一環なんだ)

 そんな気付きは、ある事実をも肯定してくれた。

 お父様が、私の母を心の底から愛していただろうということ――二人の愛が本物だっただろうということ。私は二人の間に生まれ、何よりも大切な存在として守られたということ。

 秩序を乱す貴族を見つけ出した。

 その娘と結婚して伯爵の地位を得た。

 犯罪者として罪を償わせ、「娘」を伯爵令嬢として迎え入れた……。

 二人の父は、どれだけ心を砕いたことだろう。どれだけ骨を折り、闇のうちに真実を隠し、私を育てたのだろう。

 どれだけの想いに私が守られてここまで来たかを考えたら、涙が出た。

「お父様」

 現実に戻ってきた。

 今までにない、心の中の決意。

 私は秩序のもとに生きる。生きなければならない――そう強く信じたとき、私はふたたび声を手にした。

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