知れば知るほど虚飾だらけの、嘘に塗れた世界に生きた。兄弟の中でも嫡男だった私が、おそらくもっとも深い闇を見た。結婚を急かされる年齢になった頃なんて、本当に苦痛だった。ローレンスにもよく愚痴を言ったよ。
しかし、結婚しないなどという選択肢はなかった。嫡男の私が結婚して伯爵位を継ぐ、それ以外の人生はあり得ない。
令嬢たちにも、その親たちにも、醜い魂胆しか見出すことができない。社交界にすっかり染まったらしい自分自身のことも心底嫌になっていた。
全てを手にしていても、地獄のような日々だった。
そんなとき。
数学にかかる素晴らしい才能を持ち、早くに家を出ていたアダムが連絡を寄越した。
昔同じ屋敷で過ごした使用人の女性が、貴族の虐待により衰弱した姿で現れた――と。
二人は愛し合っていたのだ。
彼女は生き永らえることを難しいと感じて、生きた証に愛する男との子を残したがっていた。そしてその子がアダムに愛され、何不自由ない幸せな人生を送ることを望んでいた。
あの、理性がすべてと本気で信じていたような弟が、私に助けを求めてきたのだ。
私は昔から感じ続けた理不尽への怒りと深い同情に突き動かされ、魂が震えるのを感じた。
大切な弟が真面目に過ごしてきた人生にさえ貴族の身勝手な振る舞いが影を落とすのかと思った。
そんな世の中は許されない。私の感じたような怒りは、それ以上にアダムが持っていただろう。
私たちは計画を練った。
弟の頭脳と人脈、私の貴族としての力があれば、そう難しいことではなかった――私たちは社交界に生きる「罰するべき」貴族を見つけ出した。幸いその伯爵令嬢は侯爵夫人と親しかったので、紹介というもっとも自然な形で出会うことができた。
アイラに魅了された振りをし、出来るだけ早く結婚を決めた。
私は問題なくモリアーティ伯爵となり、父も引退した。
アイラは何も知らず私たちの新しい屋敷に来たが、その使用人たちは全てアダムの信念に共感した者たちだった。
貴族を憎み、悪を憎む。
私の「追及」を止めず、アイラを逃がさず、さらには然るべきタイミングまで時機を待ってくれる――のちの「組織」の同胞たちだ。
君のお母さんが君を宿し、医者から双方の生存は絶望的だと言われたとき、彼女は一瞬も迷わなかったという。
私は、アイラを罰する時を。
そして君の誕生を、祈るように待っていた。
「ソフィアさんにも、助かってほしかったよ」
お義父様の声は、絞り出すように弱弱しかった。当時の母のことを思い出したからか、そんなことを言う資格はないと思っているのか。初めて彼が完璧な父ではなく、ただの一人の人間に見えた。
「本当だ。信じてもらえないかもしれないが、本当なんだ――ソフィアさんは慈愛に満ちた人だった。彼女は君を心の底から愛していたんだ。弟と彼女が、そして君が家族になれるなら、私などどうなってもいいとさえ思った」
「……」
「だが叶わなかった。アイラを罰し、君を伯爵令嬢として迎えた。それでも辛くて仕方なかった。弟の悲しみは計り知れなかったし、彼らを引き裂いた挙句に大切な娘まで奪い取るような気分になったからね」
彼は自嘲するように言って私を見た。
その目が、まるで縋るようだった。
「お義父さ……」
「だが、君の美しい瞳が私を見た。君は私のような人間にも笑い掛けてくれたんだ。君は生まれながらにして私を救った。人生を諦めていた私に、想像してさえいなかった沢山の幸福を与えてくれた」
お義父様は――ラインハルト・ジェームズ・モリアーティは、孤独な人だったのだ。
完璧な人間で、冷徹な裏の顔をも持つ人。そんなふうにまとめようとしていた。でも違う。彼は彼の地獄を生きて、その果てに私と共に生きようとしてくれた人だ。
「君が生きていてくれる、それだけでいい。それだけで私は自分の持つ全てを……君と、君の父親に捧げる覚悟があるのだよ」
君の母に誓って。
その響きを聞いてしまったらもう、駄目だった。
聴力が戻っていて、本当に良かったと思う。今発せられたこの言葉を耳にすることができて、幸せだ。
自分の嗚咽する声がそのまま耳に届くのも、幸せなんだろう。
「……はい……」
私こそ、固く誓った。この人と共にあろうと。
父のため、正義のため、自分の全てを捧げよう――頬を流れる涙に構わず、私は何度も頷いた。