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春嵐 01

 当然ながら私は、犯罪計画を練ったことなどない。

 ポーロックと話した後、私はさっそくお父様に会うため手紙を書いた。お義父様は私の意思を尊重すると言ってくれたけれど、弟が何と言うかはわからないとのことだった……不安ながら返事を待つ日々は、長かった。

 私の完治を知った侯爵夫人から話が伝わり、お茶会の招待状が届くようにもなってしまっていた。

 オフシーズンなので量は少ないほうだ。今のうちから小規模な会に出て感覚を取り戻しておいた方がいいとも思ったので、私はいくつかの集まりに顔を出した。

 お義父様は私の休養については詳細を明かさず、体調不良ということで通してくれていたので復帰は比較的楽だった。婦人たちは「疲れていたのね」くらいの反応にとどめ、私をまた社交の世界に受け入れてくれた。

「私がいないうちに、何か大きな話題はありませんでしたか?」

「そうねぇ。今はみんな、あなたが誰と結婚するかって噂で持ち切りよ!」

「……そうですか……」

 イヴのことについては、数回参加したお茶会の中では話が出なかった。シーズンが始まったらどうかはわからないけれど、流石に噂の流行り廃りが早い。

 面倒な雑談や心を配った人間関係の構築。気が重いといえば重いけれど、確かに慣れている自分もいた。

 だって私は、決してここに自分の心を預けるようなことはないのだから。情報を集めるための場と割り切ればそう悪いばかりでもない。自分が物事をそんなふうにあしらえるようになったことが、少し不思議な感覚だった。

 そして――お父様からの返事が来た。

 当然屋敷に帰ってきてくれるものと思って封筒を開いた私は、意外な文面に驚いた。

「お嬢様。その場所、お分かりですか?」

「分からないわ」

 ルーシーも不思議そうにしていて、私たちはつい顔を見合わせる。

 手紙には、連れて行きたいところがあるからそこで会おうとあった。そこは私にとって何の馴染みもない、とある銀行の応接室だったのだ。

 ベネット・ヴァルディア銀行。

 シティ・オブ・ロンドンには金融機関の集まるエリアがある。そのエリアに属しながらも少し外れたところにあるのは、それが新興銀行だからだった――この銀行の創業者は、なんと若き実業家だという。

 産業革命の進展に合わせた資産運用で成した財を利用して銀行を設立し、独自の資産管理方法で注目を集めた。

 高級金融サービスを提供する新しいスタイルの銀行は、貴族たちの間で評判となった。

 その結果王室とも関わるような業務にも携わることとなり、なんと最近では準男爵の称号を与えられたという。私では想像もつかない世界の話だ。

 新聞記事を探して読んでみたくらいでは、よくわからない。ただし彼が準男爵に叙されたという記事は、見つけてみればかなり大きなニュースとして取り上げられていた。

 写真の中の創業者ヴィクター・ベネットは彼がなしたことを思えば驚くほど若い。私と十歳も変わらないのではないだろうか?

「金融の天才、ですって。ルーシー……」

 新聞の山をひっくり返すのに協力してくれたルーシーは、よくわからないと言いたげに首を傾げた。

 彼女がもといた屋敷の主だったという学者さんもそうだけれど、お父様の学術関係の人脈はとても広い。

 そういった関係で何かあってこの提案なのかもしれないけれど、銀行本店の応接室なんて、落ち着いて話せる気がしない。


 いろいろと銀行についての調べ物をしつつ緊張を誤魔化し、あっという間に当日。

 金融街という普段あまり通らないエリアを馬車で抜けるうちに、お父様に話すためまとめていたことがばらばらになっていきそうだった。

 目を引くような壮麗な建物が立ち並び、その中にベネット・ヴァルディア銀行が見える。

 新興銀行というのでモダンなデザインだと思っていたけれども、外観はどちらかというと古典的で荘厳な雰囲気があった。大きな窓、豪華な装飾が施されたアーチ。予想していたよりずっと大きく立派な建物に気圧されてしまう。

 入口のところで立っているお父様を見つけられたから、無事に馬車を降りられたようなものだった。

「アダム様!」

 私の呼び掛けに、お父様はわずかに顔を上げた。私を見る目が変わらず優しいのも、もはや今までとは違うように見えた。

「久し振りだな。元気だったか」

「はい! ローレンス様と奥様に、大変親切にしていただきました」

 言語の戻りに問題がないと分かって、お父様は静かに微笑む。その視線を受けるにつけても、私はこの人の娘なのだと温かい実感が湧き上がってくるのだ。

 つい笑みが零れかけたけれど、慌てて質問する。

「あの。それで、今日はどうして……」

「話に丁度いい場所があるから、都合を付けてもらったのだよ」

 お父様はそれだけ言い、中へ入ろうと私を促した。迷いのない足取りは頼もしいけれど、若干気後れしながら続いた私を――さらに高級感に溢れた内装が出迎えた。

 貴族向けに特化した銀行だというのを記事で見た。それを意識してか、大理石をふんだんに使用して飾られたロビーは重厚感に満ちていた。

 天井は高く広々としているけれども、大きな調度品やシャンデリアが見えない圧として覆いかぶさってくるようにも感じる。

 お知り合いでもと尋ねる前に、静かにこちらへ歩み寄ってきた人がある。

 見るからに理知的な、眼鏡を掛けた男性だ。背が高く細身。完璧に整えられたスーツや髪型は清潔感と気品に溢れ、几帳面な性格が伝わってくるようだった。

 私達のような来客相手だから穏やかな瞳をしているけれど、その奥に宿る光は妙に鋭いところがある。

(どこかで、会ったような……?)

「モリアーティ様。お待ちしておりました」

 彼の声は深く落ち着きがあった。お父様が軽く応じたのを受けて、その穏やかな瞳が流れるようにこちらを向いた。

「アザリー様でいらっしゃいますね」

 向き合ったとき、彼が誰だか分かった。こんなところにいる人ではないのではと明らかに疑問が生まれてしまったけれど、それでも、見間違えようもない。

「はい。初めまして――ベネット様」

 ヴィクター・ベネット。

 準男爵の叙勲を受けた、かの銀行家その人だ。

 彼は動じなかったけれど、一瞬の間から驚いたらしいとわかった。よくお分かりですね、と浮かべられた微笑みはどこか硬い。

「案内を」

 お父様が短く言い、ベネット様が頭を下げる。銀行の奥へ導いてくれる律動的な足取りが、私を少し安心させた。

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