詳しいことは教えてもらえなかったが、色々とやりとりが交わされた結果としてお義父様はベネット様の支援を決めた。
ひとまず、土壌を作ろうということらしい。仕事でベネット様の銀行を使い、会社の財産管理の一部を新しく任せたのだ。
『モリアーティ伯爵に実力を認められた、準男爵の銀行家』。
お義父様は次の社交シーズンから、参加するパーティーに時折彼を連れて行くようになった。
(……お義父様の影響力って、すごいわ……)
後に私も参加した舞踏会においても、お義父様から期待の若者だと紹介されたベネット様は注目を浴びていた。ただでさえお二人が並ぶと目立つ。
会場――主に女性たち――は、見るからに色めき立っていた。
「レディ・アザリー!」
「……ご機嫌よう。レディ・ジュリエット」
一応お二人から距離をとっていた私は、ある女性から声を掛けられた。いつかはイヴが「仕様のない人たち」と称した同年代の一人、噂好きな伯爵令嬢である。
今日も彼女はどうしてそこまでと思うほど絢爛な赤のドレスに身を包んでいて、気の強い視線を受けるだけで圧倒されてしまいそうだ。
「ねえ、ヴィクター様とはレディ・アザリーも親しいの?」
「父とは、仕事の関係でお知り合いになったようだから」
彼女に何かを言うとどうなるかわからないので、私は全面的に知らない振りをした。結婚話のことなど、絶対に口にできない。
それでもつい私が彼女の言葉に顔を上げてしまったのは、彼女の「そうなの」という相槌が明らかに嬉しそうなものだったからだ。
「彼、今やとっても人気よ。前に叙勲を受けたでしょ? 晴れて貴族の仲間入りをしたんだし、それに頭がいいんでしょう。あの、どう見たって知的な感じ!」
素敵よね、と言われて反応に困る。曖昧に頷いて彼の様子を窺うと、彼は女性たちに囲まれていた。どうやら次々にダンスを申し込まれているようだ。
社交界に受け入れられたほうからすれば、上の身分の者からの誘いを断るのは無礼にあたる。お義父様もにこにことそんな様子を見守っているのが見えた。
やがて一人の令嬢の手を取り、二人が踊り始める――やけに様になっているその姿に、周りで見ていた令嬢たちがまた騒がしくなっていく。
(…………)
「レディ・アザリーは、加わらないの? 彼がお父様のお気に入りなのは明らかよ」
「本当に、そういうのじゃないから……それに、あれだけ人がいては近付けないわ」
「確かに。まあ、やっぱり準男爵じゃあ……ちょっとね」
なんとなく馬鹿にしたふうな彼女の言い方に、私は小さな苛立ちを感じた。別に、そんなふうに言われる筋合いはない。つい何か言い返そうとしたとき、彼女が「でも」と怪しい笑顔を浮かべて私を指差す。
「モリアーティ伯爵が彼の後ろ盾だと表明したようなものだから。あんまり関係ないかもしれないわね」
「……ええ。そうかもね」
すっかり社交界に染まり身分の差を重視している彼女は、見ている感じではベネット様にアプローチする気はないようだった。
それでも話題の人物が騒がれているのを眺める分には面白いらしく、私に声を掛けてきたのだ。迷惑な話だった。
とりあえず、人を指差すのはやめてほしかった――それから、流されてダンスの誘いを受けたりするのも。
そんなふうに彼の社交界での姿を目の当たりにした数日後、ルーシーがひとつの封筒を手に部屋に入ってきた。
「お嬢様」
「ルーシー。……なあに? その笑顔」
彼女はにこにことやけに嬉しそうだ。封筒の口は切られていたが、中身はそのままらしい。郵便物を検閲されるのはいつものことなので別に気にならないのだけれど、ルーシーはにやにやとそれを差し出してくる。
「お嬢様。ルーシーは見ておりませんよ」
「なんなの……」
様子のおかしいルーシーを怪しみながら封筒を受け取る。なんの変哲もない上質な白の封筒。
何がそんなにと封筒を返し、そこにあった署名を見た瞬間、何故か自分の心臓の鼓動がはっきりわかるようになった。
ヴィクター・ベネット。
「……ルーシー」
「何でしょう」
「お義父様宛てなんじゃないかしら」
「では、ラインハルト様にお見せしましょうか?」
にこにこと言われてしまったらもう私の負けだった。先に見なかったのは最大限の譲歩とでも言いたいのか、ルーシーは部屋を出て行ってくれない。
(だって)
お父様に結婚がどうのと言われても顔色も変えず、異議はないとか言っておいて。
確かに彼は私の生き方をしっかりと考えてくれていて、それが嬉しかったのに――結局あれから会っていないし、先日の舞踏会でも結局まともな会話ひとつしていない。
私は新聞の記事から、お茶会で耳にした噂から、……優雅なダンスホールで令嬢に囲まれる姿から、彼がみるみる力をつけていくのを見てきただけだ。
手紙も、もちろんこれが初めて。いったい何を書いてきたのかと、丁寧な性格が見えるような署名をしばらく眺める。
溜息を吐いて、覚悟を決めて中身を取り出す。便箋は一枚だけだった。
『お元気でしょうか。やっと、私の社交界での立場も安定してきたように思います。どうかお身体に気をつけて』
「……」
「お嬢様。何と書いてあるんですか?」
「…………」
「お嬢様?」
私は便箋を中に戻した。ルーシーに返す。あら、と彼女は意外そうに封筒を見下ろした。
「お義父様に見せたって、何の問題もないわ……」
呟いてソファに身を沈める。何だろう、このものすごくどうでもよさそうな手紙は。自慢だろうか。自慢がしたかったのだろうか。
ルーシーが何も言わないと思ってそちらを見ると、なんと彼女は笑っていた。
「どうしたの? ルーシー」
「いえいえ」
「いえいえ、じゃなくて」
彼女があまりにも可笑しそうにしているので、私は立ち上がって彼女を見上げた。問い詰めると、ルーシーは散々言い渋った挙句に笑いすぎたと目尻の涙を拭ったのだった。
「お嬢様、その方によほどお会いになりたいのですね」