「これはこれは、ベネット君! 今、ちょうど君のことを話していたんだよ」
私の隣に立つベネット様を見て、伯爵の口調は急に鷹揚なものになった。こんな人のことを初対面では礼儀正しいと思っていた自分が悲しくなってくる。
「ええ、モリアーティ伯爵のお嬢さんをお見かけしましたのでご挨拶をと思いまして。自分の名前が聞こえて驚きましたよ」
ベネット様はそんな風に言った後、私にも丁重な挨拶をしてみせた。「後ろ盾」の名前が出てきて、ハーディング伯爵は笑みを深めている。
「レディ・アザリー。お邪魔でしたか?」
「いいえ――こちら、ハーディング伯爵でいらっしゃいます。ベネット様とお話をされたいとのことですよ」
「アザリー嬢とは、私の娘が親しくてね。良いお付き合いをさせてもらっているんだ」
どこが良い付き合いなのだろう。微笑むだけの私を見つつ、ベネット様はそうでしたかと相槌を打つ。
「君の銀行の評判は素晴らしいじゃないか。以前から君と話をしてみたいと思っていたんだ」
「恐縮です。まだ新しい銀行ではありますが、我々は貴族様、その中でも〈経営者〉の皆様に特化したサービスを特徴としておりまして」
「なるほど。実はね、私も経営をしているんだよ。実に小さな会社なんだが」
「それはそれは。当行をご利用いただければ、良いご案内ができると思いますよ」
(……ベネット様、知ってたの?)
直接顔を見上げるなんて真似はできないけれど、聞こえてくる声は余裕に満ちている。巧みな語り口に、ハーディング伯爵の中で彼の評価がどんどん上がっていくのが目に見えるようだった。
「随分な自信だね。そんな風に言い切ってしまっていいものなのかね?」
「従来の銀行にはない管理形態を作り出したという自負はあります。僥倖なことに、王室からのお声掛けもいただく身です。中途半端な仕事は決してしません」
ベネット様は伯爵相手にも全く引いていなかった。最初は身分差に対してか随分偉そうだったハーディング伯爵の姿勢が、いつのまにかほぼ対等になっている気がする。
伯爵自身もそれは自覚したところだったのか、そのうち思い出したように「しかしね」と首を振る。
「君はこうして会うとやはり若いなあ。モリアーティ伯爵も、君の未来までを含めていったん評価しているということなのかな?」
「伯爵」
嫌味のひとつでも言わなければと思ったのだろうか? お義父様への中傷にもあたりかねないと感じた私が口を挟もうとすると、隣から目だけで制される。
大丈夫。
その刹那の視線を受けて私がそのまま引くと、ベネット様は逆に伯爵へ一歩近付く。戸惑う彼の耳元に、彼は私に聞かれないような何かを囁いて――伯爵はその後、有耶無耶に自分の非礼を詫びてその場を去っていったのだった。
いや、ともかく、今後も期待しているからね。
アザリー嬢も、また。
そんな誤魔化しようは大変に不自然で情けなく、私はついそのまま疑問を彼に向けてしまった。
「……何を仰ったんですか? ベネット様」
彼は微笑むだけに留めて私を穏やかに見下ろした。それは当然、ここでは言えないようなことなのはわかるけれど……。
そもそも、彼は何故割って入ってくれたのだろう? 表立って対立していたつもりは全くないのに。もしかして上手くやれていなかったのだろうか。
質問を重ねる訳にもいかないと一度は諦めた。けれど表情に残った疑問符まで読み取られてしまったのか、彼は小さく笑った後に説明してくれた。
伯爵と話していた時の理知的な口調のままだけれど、そこに少しだけ温かみが足されたように感じた。
「先ほど急にあなたが私の方を見なくなったので、気になったんです」
「……」
何かを言えば、きっととんでもない爆弾が返ってくる。私はひたすら沈黙を守った。囲みの中をするりと抜け出されたのだろう令嬢たちがこちらを見ているのにも、気付かない振りをしておいた。