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守り手たち 04

「モランさん!」

 弾かれたように彼が私を見る。驚いたようなその目を見たら、私だって言葉を紡ぐことができた。

「モランさんは――ユアンが、助からなくてもよかったって言うんですか?」

「違う。俺は」

「私は……もし彼を助けられなかったら、一生後悔したと思います。モランさんがあの時私に力を貸してくれたから救えたんです。あの時の私がひとりだったら、相談できる人が誰もいなかったら、あの子がどんな目に遭ったか」

 何年も前だけれど、鮮明な記憶。モランさんの方ももちろんそれを覚えていて、彼の目がほんの少し気まずそうに揺れた。それでももちろん、理性的な答えが返ってくる。

「……今更じゃあるが、お前のボランティア先を決めたのはラインハルトだろ」

 そこから試されていたかもしれないんだぞ。

 私は真剣な口調を受けてゆっくりと座り直すしかなく、また、言葉の意味を考える――試されていた。

 アシュウッド男爵が怪しいことを、お義父様は知っていたということだろうか?

 あの時は確かお父様から、外に出て危険な目に遭うかもしれなかったからモランさんを呼んでおいた――と説明された。今から思えば苦笑するしかない過保護ぶりだけれど、あの頃の私はほとんど外に出ることのない子供だったのだ。そんな心配も当然だったのだろうか。

 もしお義父様がアシュウッド男爵の不正を知っていたとしたら。その上で私がどう動くか見ようとしていたなら? 私はそう考えてみようとして――首を振った。

「それは、ないと思います」

「何故」

「お義父様は、子供が売られ続けているような状態をそのままにして、私を試すようなことはしません。――お義父様は、冷徹な人じゃない。いつも全てを把握している完璧な人という訳でも、ありません」

 私の言ったことはどうやら予想外だったようで、モランさんは意外そうな表情で私を見た。さっきまでそこにあった怒りが、消えている。モランさんの記憶にある昔の私――十三歳だったときの私から、変われたのだろうか。

 変われているのだろうか。

「それに」

「それに?」

「ユアンと知り合ったのは私です。男爵のことを怪しいと彼が打ち明けてくれたのも、私です。お義父様でも、モランさんでもありません」

 頭に浮かんできたことを私は口にした。口にしてもいいと、自分で思えた。

 モランさんは、もちろん私の言葉を聞き届けてくれた。分かった、取り消す。そう言う時の口角が、わずかに上がっている。

「……しかしだな。教授はお前に戦闘適性があるとは思えないそうだが」

「私もそう言われました」

 話が振り出しに戻った。叱られるまでもなく、じゃあ無理じゃないかと目で言われている。

「だいたい、誰なんだ。お前に射撃なら出来るだの何だのと助言をしたのは」

「ポーロックです」

 また、深い溜息。モランさんの日頃の苦労がなんとなく想像されてしまう。

「無理があると思わなかったか?」

「自分から暗殺術を教わるよりは現実的だ、と言われたので、そうかなって……」

「そうかなじゃない。射撃だって暗殺術だろ」

 誤魔化されるなという指摘はもちろん仰るとおりで、言い返すことができない。形勢が苦しくなってきた私を、モランさんは改めてじっと見据えた。

「アザリー」

「はい」

「正直、俺が気にしすぎな部分はあると思う」

 彼がゆっくりと語り出したのは、驚いたことに――譲歩のようだった。

「俺たちが初めて会ったのは、まだお前がひたすらに無垢で、小さな子供だった頃――今でもその時のことをよく覚えてる。消えることは、多分ない」

「……はい」

「そういう知り合い方だったこともあって、お前が犯罪に関わること自体俺は反対なんだ。その姿勢は変わらない。だが――教授は、犯罪計画の立案については認めても良いとの意見なんだよな」

「おそらくは」

 モランさんがどう聞いているか分からないので、私は簡単にお父様からの指示を伝えた。犯罪組織に入るということを主目的にするなと言われたこと。注意深く周囲を観察しながら社交界を生き、気付いたことがあれば連絡しろと言われたこと。この二つだ。

 私が「火種」に気付くことができるのか――それを試されているのだから、組織に入れる可能性もなくはないということのはず。

「分かった。じゃあ、それでも戦う手段を手に入れたいと思っている理由は何だ」

「それは……」

 イヴのこと。それ以外に言いようがなかった。

 計画を練ったとしても、私はお父様じゃない。人間だって完璧じゃない。あの子の時のように、予想もつかない事態を引き起こすこともあるかもしれない――そんな時に、自分一人では全く対応できないなんて、どう考えてもまずいと思うのだ。

 ナイフの切っ先を真っ直ぐ向けられた。

 殺されると思った。声が出なかったし、動くこともできなかった。

 あの瞬間を忘れることができない。要はそんな、ただの単純な恐怖心なのかもしれない。

 いつでもポーロックが助けてくれる訳じゃない。

 そんなことを期待して犯罪計画の立案の勉強だけしているのは、逆に責任感がないと感じる。

 私の説明はきっと拙くて、モランさんもしばらく言葉を迷うようにしていた。私はつい視線を天井に逃しそうになったけれど、それもきっと悟られてしまうだろう。

「……つまりは、保険ってことだな?」

 モランさんが、不意にこちらを見た。

「え、ええ」

「進んで犯罪者に襲い掛かっていく気はないと」

「と……当然です。向いていないことなんて、自分でも分かっています。でも、だから危ない時は守ってくださいなんて。おかしいじゃないですか」

「だから殺人術を教えろっていうのも充分おかしいんだけどな」

 間髪入れずに正論を返されてしまうととても痛い。私が耐えきれずに「すみません」と言うと、モランさんは軽く首を振った。

「……とりあえず、保険と言うならその大元になる計画を立てるのが先だ。分かるな?」

「はい」

「経験から反省して、未来を見据えているのはいい。だがまずお前がやるべきなのは、教授を納得させられる器を示すことだろう。俺がお前に何かを教えるとしたら、その後だ」

 モランさんにゆっくりと諭されるうちに、自分の頭の中が整理されていく。反論するつもりもなく頷いた私にモランさんも頷き返してくれて、話は終わりとばかりに立ち上がった。

「しかし、強情になったな。お前」

 まさか妥協して帰ることになるとは思わなかった、とモランさんは廊下を歩きながら感慨深そうに言った。確かに私も、玄関であの厳しい表情を見た時はどうなることかと思ったけれど。

 私はふとお義父様の話を思い出して、モランさんに尋ねてみることにした。

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