ハーディング伯爵が逮捕されたという記事を目にして、私は軽く息を吐いた。
残る家族も、時間の問題だろう。
記事を持ってリビングに降り、ソファに掛ける。何度か読み直しているうち、隣にゆっくりと腰を下ろす人がいる。
「疲れていないかい、アズ」
「お義父様……」
顔を上げると同時に、ルーシーが二人分の紅茶を用意しようとしてくれていた。ありがとうと伝えながらお義父様に記事を差し出すと、穏やかな目が紙面を滑らかになぞった。
ルーシーが下がってくれても沈黙を保ったままの涼やかな目元を窺っているうち、やがてそれはわずかに細められた。
「株の上げ方が計画的すぎて腹が立つね」
溜めの後だったからか、容赦のない一言に私は笑ってしまった。
「ヴィクター様のお仕事にも、プラスになっていたらいいのですけれど……」
「この上ないだろう。見たかい? この発言」
指で示された部分に載っているのは、正しい貴族のためとのあの名言だ。スキャンダルの大きさと対応の速さもあり、今や彼自身が世間からヒーロー的な見方をされていて、この機会にと広げているビジネスもあるようだ。事件の対応もありとても訪ねてこられる状況ではないとのことなので、私も屋敷で大人しく事の向きを観察している。
「これが良い宣伝文句になるそうです」
「そうだろうね。これほど名が知れれば彼の銀行を利用していると堂々と言うだけで信頼感が出るようになるし、彼の銀行を悪く言おうものなら何かあるのかと勘繰られかねない。つくづく、上手いことやったものだよ」
「素晴らしい手腕だと思います」
「そうだね……これでは反対材料がなくなってしまうな」
「反対材料?」
「結婚するんだろう」
まさかお義父様の方からそんなことを言われると思っていなかったので視線が泳ぎかける。私が曖昧に頷くのだか首を傾げるのだか実に微妙なリアクションをしているのを見て笑われ、少し場の空気が緩む。
「アダムが認めているものだから、別に反対するつもりはない。これほど上手くいったんだ、君も望む道を進むことができるだろうし――であれば、彼のような協力者がいてくれた方が私も安心だ」
「そうでしょうか」
「何か、まだ気になることでもあるのかい」
私はまた、曖昧に頷く。
気になること――知らずには、済ますことのできないこと。
「ちょっと、旅行に行こうと思っていて」
「旅行?」
お義父様が、また危ないことをと苦笑する。私も同じように苦笑するしかなかった。
確たる証拠が揃っていても伯爵のような地位があると即座に牢獄送りにはならない。それは今までの事件の前例を調べるうちに気付いたことだった。
正式な裁判が始まるまでは、貴族は貴族。伯爵は伯爵。ハーディング伯爵のような男であってもそれは例外ではなくて、彼は逃亡の恐れなしと判断されるなり田舎に持つ屋敷へ移ったのだ。
どれだけの保釈金を積んだか知らないけれど、彼は人の目から隠れるようにして家族ごとロンドンを去った。信じられないような甘い制度である。
そんな行動だけでも彼が全く反省していないことは分かったけれど、今のところはどうしようもない。
(まだ、答えが出ない……)
「アザリー」
またしてもお義父様に都合してもらった一等車両。その中で私の隣に座るモランさんは固く腕を組んでしばらく目を閉じていた。とても声を掛けられる雰囲気ではなかったけれど、ふとその口が開く。
私達はサリー州に向かっていた。ハーディング伯爵が逃げ込んだ屋敷へ近付こうとしている。
「はい」
「お前は器用だ。才覚がある」
「な、何ですか。急に」
「それが――お前にとっては不幸なんじゃないかと、思うことがある。今もそうだ」
開かれた目から、視線が私に向く。
立てた計画をお父様に伝えて許可を貰ってから、私はモランさんにも連絡を取っていた。
それからヴィクター様が伯爵に取り入っている間。
社交界で伯爵の資産替えの噂が広まるまでの間。
イヴ・ハーディングの名前で、「告発状」が出されるまでの間……。
その間に、出来たことがある。
「気持ちは分かるさ。だが、この追跡は必要か? 何のために、合法的に裁こうとした」
「まだ、分かりません」
自分のやろうとしていることが必要かどうかは、これから分かる。モランさんがお父様に言われて同行してくれているのも、「その時」のためだった。
「……ありがとうございます。モランさん」
わずかに頷くような、それだけの反応。それがやっとのことと、伝わってくる。
反対しながら、教え導くこと。
心配しながら、付き添ってくれること――それがどれだけ負担を掛けているか。モランさんは私を責めない代わりに、後押しするようなことも言わない。それが彼の優しさの形だと、理解できるようになった。