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選び取る人生 06

 夜だった。

 私は宿を出た。後ろからモランさんがついてきてはくれるけれど、あくまで『監督役』だ。助けてもらおうなんて思ってはいけない。

 もし私が見つかったら――それまでとさえ、この人は思っているかもしれない。そうなったらその場は助けられたとしても、私は二度と組織に関わることを許されないだろう。そのくらいの厳しさを背後の視線から感じる。

 当然で、ありがたいことだ。

 私の、一番の幸せが何なのか――皆が知っている。そして私一人が抗っている。

(まず落ち着くこと。それから、教わった通りに)

 私が今手にしているのは恐るべきものだ。でも、自分の恐怖の対象にしてはいけない。

 ハーディング邸の近くに申し訳程度に設えられた灯り。それを目印として大回りで丘を上る。陣取れる場所を決めて、姿勢を固める。そこから動かない。――狙う場所が分かっている。部屋のカーテンが開け放されている。これ以上ないほど舞台は整えられ、私はそれに甘える形になっているのだ。

 角度を調整して問題がないことを確認する。静かに息を吐いて、それ以降は最低限の呼吸になるよう意識した。

(これで、待つだけ)

 就寝時間になって、リビングから自分の部屋に戻ってくるまで。

 あの部屋の、灯りが点くまで。

 その瞬間まで。

(待つ)

 自分が夜と同化する。感覚が研ぎ澄まされ、全ての神経が一本に集中する。動かない。その時が来るまで、絶対に動かない。ささやかな風の動きも邪魔にはならない――すぐ近くで私を見定める視線も問題にすることは許されない。


 怒りは静かに昇華されていた。

 怒鳴るような、襲い掛かるような、そういうものではない。本来あんな選択をする必要もなかった、あんな死に方をすべきでもなかった女の無念が。

 闇に葬られて、二度と顧みられることのなかった犠牲者の憎しみが――きっとこの指先に乗っている。

(あの部屋にお前が帰ってくるのを、待っている)

 そう思うと、この闇さえも私の味方のように思えた。

 正しいことをしている。その自負が私を落ち着かせ、その瞬間にあっても全ての罪悪感を消し去ってくれた。


「その瞬間」。

 意識もせずに身体が動いた。百パーセント、訓練通り――教わった通りに指が動き、一人の罪人を撃ち抜いた。

 改良途中だという消音銃は、それでも何の音も立てなかったように感じられた。

 呆気ない。

 あまりに呆気ない終わり。

 こんなことで、あの子の無念が晴れるものなのだろうか――今自分の手によって散った命に対しても、私はそんなことしか思えなかった。

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