夜だった。
私は宿を出た。後ろからモランさんがついてきてはくれるけれど、あくまで『監督役』だ。助けてもらおうなんて思ってはいけない。
もし私が見つかったら――それまでとさえ、この人は思っているかもしれない。そうなったらその場は助けられたとしても、私は二度と組織に関わることを許されないだろう。そのくらいの厳しさを背後の視線から感じる。
当然で、ありがたいことだ。
私の、一番の幸せが何なのか――皆が知っている。そして私一人が抗っている。
(まず落ち着くこと。それから、教わった通りに)
私が今手にしているのは恐るべきものだ。でも、自分の恐怖の対象にしてはいけない。
ハーディング邸の近くに申し訳程度に設えられた灯り。それを目印として大回りで丘を上る。陣取れる場所を決めて、姿勢を固める。そこから動かない。――狙う場所が分かっている。部屋のカーテンが開け放されている。これ以上ないほど舞台は整えられ、私はそれに甘える形になっているのだ。
角度を調整して問題がないことを確認する。静かに息を吐いて、それ以降は最低限の呼吸になるよう意識した。
(これで、待つだけ)
就寝時間になって、リビングから自分の部屋に戻ってくるまで。
あの部屋の、灯りが点くまで。
その瞬間まで。
(待つ)
自分が夜と同化する。感覚が研ぎ澄まされ、全ての神経が一本に集中する。動かない。その時が来るまで、絶対に動かない。ささやかな風の動きも邪魔にはならない――すぐ近くで私を見定める視線も問題にすることは許されない。
怒りは静かに昇華されていた。
怒鳴るような、襲い掛かるような、そういうものではない。本来あんな選択をする必要もなかった、あんな死に方をすべきでもなかった女の無念が。
闇に葬られて、二度と顧みられることのなかった犠牲者の憎しみが――きっとこの指先に乗っている。
(あの部屋にお前が帰ってくるのを、待っている)
そう思うと、この闇さえも私の味方のように思えた。
正しいことをしている。その自負が私を落ち着かせ、その瞬間にあっても全ての罪悪感を消し去ってくれた。
「その瞬間」。
意識もせずに身体が動いた。百パーセント、訓練通り――教わった通りに指が動き、一人の罪人を撃ち抜いた。
改良途中だという消音銃は、それでも何の音も立てなかったように感じられた。
呆気ない。
あまりに呆気ない終わり。
こんなことで、あの子の無念が晴れるものなのだろうか――今自分の手によって散った命に対しても、私はそんなことしか思えなかった。