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選び取る人生 08

 手紙を送りつけたのは私だけれど、それでも返事が来ないと密かな焦りに襲われた。

 中身のことなどとても話せないけれど、日に何度もルーシーに郵便のことを尋ねて不審がられる。ヴィクター様もいつだったか私が手紙を無視していたとき、こんな心境だったのだろうと勝手に想像する。

 計画に協力してくださって、ありがとうございました。

 伯爵は社会的地位を失い、そして、人を苦しめ続けた自分の人生をも失う結果になりました。

 彼の命を奪ったのは、私です。

 全てを失ってもなお娘を傷付ける姿を見ていられなかったのです。

 私に、あなたと結婚する資格はありません。この内容を胸に留めていただいて、手紙は焼いてください。

 あなたの人生に影を落とさないことだけを望んでいます。

(……捨てていかないといけない。光の下は、もう歩けない)

(でもそれは、お父様も同じ)

 何度もそう言い聞かせた。自分の選んだ世界が間違っていないと信じるからこそ、出来ることだった。

 心の一部を焼き切って、それでいいと思えた。正しい選択をしたと思った。

 だから――ルーシーが大喜びで私のところに来た時、目を疑った。

「お嬢様! いったい何事かと思いましたら、『あれ』を待っていらっしゃったのですね!」

「『あれ』?」

「ベネット様からの郵便ですよ! 早速、たった今、ラインハルト様にお渡ししてきましたからね!」

「ええ?」

 ヴィクター様からの郵便。お義父様に渡した……?

「それ、本当にお義父様宛て?」

「あれがラインハルト様宛てでなくて、何なものですか!」

 ルーシーはにこにこしていてまったく話にならない。彼女をこれほど笑顔にさせるもの――恐怖すら感じた私は、お義父様の部屋へ向かった。駆け足になるのももう構わずに。

「お義父様!」

「ああ、アズ」

 ノックもせず扉を開けた娘の暴挙にもお義父様は怒らなかった。その表情にはいっそ穏やかな笑みが浮かんでいる。

「とうとう来てしまったから、仕方ないね。まあ、調整は必要だろうがね……」

「来てしまった、って」

 お義父様がひらひらと振る書面にあるのは、――彼からの、結婚の申し入れだ。

「な」

「これほど世間的にも立派になられては、誰も反対しないだろう。……うん? どうしたんだい、アズ」

「なんで……わ、私、なんで」

「失礼いたします!」

 一切まともな言葉が出てこず固まる私に、ルーシーの突き抜けて明るい声が重ねて襲い掛かってきた。心が追いつかない。何故突撃してきたのかと問う間もなく、彼女の後ろについて部屋に入ってくる影。

 私はとうとう目眩すら感じた。頭の中が混乱してぐちゃぐちゃだ。お義父様が持っている書類も、それを送った彼のことも全部。

「あなたという人は、本当に……」

 私を見て溜息でも聞こえてきそうな声を発した彼に、お義父様が眉を潜めて目を向けた。

「君はいつも、少しタイミングが良すぎるのではないかな」

「不躾に申し訳ございません。お送りしたものが届いた頃と思い参りましたが、是非にと言っていただきまして」

「もちろんでございます! そうでしょう、ラインハルト様!」

 ――ヴィクター様。

 現実を認識し、私はたまらず彼に詰め寄った。

「な、何ですか、これは! だって、……だって、手紙は」

「手紙? あれなら焼いてほしいとありましたので、焼きました」

「ヴィクター様!」

 心底どうでもよさそうに言い、彼は私をすいと見下ろした。その目に射抜かれると、言うべき文句が出てこなくなる。

 ずるい――だって。だって!

 しばらく声にならない文句をぶつけているうちに、ルーシーは意味深な笑顔とともに下がっていった。味方がいないと気付いてパニックになりかけたところを、「アザリー」と制される。

 犯罪者が恣にしていた社会的信頼の失墜と、亡くなられた個人の尊厳を汚す行為の制圧。

 矛盾しない目的です――と、理性に溢れた声が囁く。

「百パーセント正しい行為ではないでしょう。だがそれを自覚しながら、我が身を犠牲に正義を追求できる人間は限られる」

 彼が、ひとつひとつ紡ぐ言葉。

 私の目を見るその視線は一度だって歪んだことがない。

「あなたは、類稀なる頭脳と精神を持った秩序の申し子だ。神格化するつもりはないが、――私は、あなたがどう生きていくのかを見届けたい」

「……だって……」

「それとも、今回の働きでは見合いませんでしたか。何度あなたの役に立てば、私が必要だと思っていただけますか?」

「そんなこと!」

 勢いよく顔を上げた私の視界。そこに彼の差し出す手と、他所でやってくれと言わんばかりのお義父様を捉えたら。

 この手を取ってしまったら、もう離せない。

 自分の生き方が決まったのに――その生き方に彼を巻き込んでしまうのに。

 彼の覚悟はもう決まっているのだ。私の決意ごと呑み込むような目がそこにある。

(秩序の、申し子)

 彼は私のことをそう呼んだ。

 守れるだろうか。今守りたいと思っているものを、守り続けられるだろうか。

 自分の中に広がっていく温かい気持ちが、いつまで熱を持っていてくれるのか。恐怖の中でも進んでいく以外の未来を思い描けない。

 進んでいきたい。彼の隣でならそれが叶うと思う。

 拒絶する言葉が、拒むための理由がもうすべて尽きてしまった。

「……私は、とっくに……」

 限界を感じて、その場にへたり込んだ。もう何も取り繕えない。それでやっと言葉になった私の感情を拾うように、彼が微笑んだ。

 求めてはいけないのだと思っていた。

 求めたら、彼も一緒に落ちていってしまうと思ったから。

「結婚してください、アザリー。秩序を愛する者として――どうか私の妻に」

 気付けば私は差し伸べられた手を取っていた。

 寄り添うと、共にあると宣言するように――彼の手が、強く私を引き上げた。

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