罪人。
虫けらども。
知れば知るほど、「それ」が世に蔓延っていることに気付く。
どれだけ知ったか。見限ったか。そういう人ですらないものをどれだけ闇から引き上げて、光の下で殺したか。
数えることは、いつしか止めた。
「奥様、奥様。よろしいですか?」
「入って」
一人でずっと書斎にいたのが良くなかった。ずっと手元の書類を読んでいたので、彼女のノックの音で顔を上げたら目に軽い痛みが走った――数度首を振る私を見て、ルビーは笑ったようだ。
小柄な体躯。年は十七。使用人の制服をすっかり慣れた感じで着こなす、幼さの残る少女だ。
ぐいんと首を傾げる彼女。それで隙間から覗いた燃えるように紅い瞳が、にっこりと細められる。
「さては。お疲れですね」
「大丈夫よ。何を持ってきてくれたの?」
「残念ながら、お仕事なんです」
彼女の目が深い黒髪に紛れ、彼女は私のデスクにまた一冊の白いファイルを置いた。
「なんか良いものがあったら、向こうと繋ぐので教えてくださぁい」
「ありがとう。ルビーも読んだらいいのに」
「あたしが読んだらみんな殺したくなっちゃうから。奥様、やることなくなっちゃいます」
ルビーは何でもないことのように言い、また口角をはっきりと上げた。
「そうだったわね。じゃあ、紅茶を淹れてくれるかしら」
「はぁい。あたしも飲んでいいですか?」
「もちろん。ここに運んで頂戴、そうしたら二人で休憩しましょう」
やりました、と彼女は綻ぶように笑った。どうにも可愛らしい笑顔。
彼女が扉を開けて閉め、遠ざかっていくはずのその足音は聞こえてこない。
そういう「歩き方」をしない子なのだ。
ルビーが置いていったファイルを手に取ってぱらぱらと中を流し見る。持ち込まれた犯罪依頼の数々と、存在が確認された犯罪者のデータ。そこに書いてある所業は大小さまざまだけれど、あの子のような子供には確かに触れさせたくないものばかりだ。
(でも、あの子の方がずっと戦えるというんだから……)
私はつい苦笑した。
もう住み始めて二年になるこの屋敷は、もうかなり身体に馴染んでいた――ヴィクターと結婚して建てたこの屋敷は、二人の父の協力によってこれ以上ない環境に恵まれたのだ。
この家は守られている。
かつてラインハルト・ジェームズ・モリアーティがそうであったように、使用人その全てを「組織」の協力者として。
あの子ももちろんそうだ。あの可愛い笑顔が、かつてどれほど苦しみに歪んだか知っている。戦う手段を自ら得るしかなかった彼女は――数年前にお父様に出会い、今では私の秘書となってくれた。
秘書。
自ら動くことはほとんどない私にいつも犯罪計画の種を持ってきては各所へ取り次ぎ、傍に寄り添ってくれる存在だ。
(……ルーシーは、元気かしら)
私はふと彼女の顔を思い出した。
ルーシーは私の結婚を心から祝福してくれた。新しい屋敷を建てた関係上、新生活が始まるからとルーシーはお義父様の屋敷に残った――今でも別に、元の屋敷に行けば会うことができる。何も変わらず笑い合える、良好な関係だ。
ただ、自惚れかもしれないけれど――彼女はもしかしたら待っていたのかもしれないと思う。私が、新しい屋敷にもついてきてほしいと言うのを。だってそれは私の一言で簡単に叶う望みだったのだから。
でもそれはできなかった。
彼女の方から言い出すことはできなかっただろうその提案を笑顔の裏に隠して、ありがとうと言うことしかできなかった。
犯罪者としての道を歩くと分かっていて、彼女を傍に置き続けることは考えられなかった。彼女には何も知らずに、幸せで穏やかな人生を送ってほしかった。
(……私も、幸せだわ)
ルビーが傍にいてくれる。ヴィクターもあの日の約束を何も違えず隣にいてくれる。
この三年で変わったのは、私だけ。
父の流儀に倣い、モランさんからの指導を受け、ヴィクターの論理的思考から学び続けた。
「仕事」を、使命と捉えて向き合い続けた結果。
私の脳は、依頼書を読み込んではそこに発覚することのない手法を生み出すようになった――必要であれば動揺もなく銃を撃ち、顔色一つ変えずに人を殺すことが出来るようになった。
罪人の命など、どうでもいいと思うようになった。
(ルーシーには、とても見せられない)
それでも、罪悪感はない。
必要な犠牲と呑み込むことも増えていた。私はいつからか、自分をこの正義の組織の一部分だと心底思えるようになったのだ。