ペンドルトン氏と打ち合わせという体にして、彼の視線がこちらへ向かないようにしてくれたのはヴィクターの気遣いだ。
私は自在に会話ができる空間に感謝し、彼とソファに並んだ。
「〈ユアン、本当にユアンなのよね〉」
「〈そうだよ、アザリーさん。会えて良かった〉」
声はあちらに届かない。自由に話せる。そう思ったらまた感動が込み上げた。当たり前のことを確認してしまう私に、彼は昔と同じように笑い掛けてくれた。
「〈私も会えて嬉しいわ。あなたがこれほど立派になっているなんて――ぜひ今までの話を聞かせて頂戴〉」
「〈それは僕の方も聞きたいよ。結婚したってニュースを見た時、どれだけ驚いたか!〉」
「〈彼はとってもいい人よ。あなたと私が旧知であることも知ってるから、安心していいからね――色々配慮してくれてありがとう、ユアン〉」
私達は笑い合った。ユアンとまたこんなに近くで話ができる。わずかな間とはいえ、奇跡のようだ。
彼はやはりお義父様の紹介でペンドルトン氏と出会い、養子として引き取られた。昔の忌まわしき事件を過去に封印するのではなく、自分こそが正しく活動していかなければならないと思うようになったという。
今までの人生を、道を外れることなく――正しく生きてきたことは、淀みない手の動きからよく分かった。
「〈父さんは、本当にいい人だよ。昔からずっとだ。僕のことを本当の息子みたいに育ててくれたし、今は僕の夢を応援してくれるし〉」
彼が昔のように話してくれることは、私にとって大きな喜びだった。ユアンがそう言うなら、ペンドルトン氏は間違いなく信用に値する人物なのだろう。
私は救いのある話に胸を撫で下ろしつつ、彼に尋ねる。
「〈それなら安心だわ。何か困っていることはない? 事業以外でも、できることがあれば力になるわ〉」
「〈僕っていうより、父さんが心配だよ〉」
「〈ペンドルトン氏が? どうして?〉」
ユアンは私の問いに少し迷うようにした。けれども、それは彼がずっと打ち明けたいことだったのかもしれない――すぐにその手が動く。
「〈父さんは違うけど、慈善家って悪い人間が多いんだ〉」
手話で答えようとしていた手が止まる。悪い人間。
「悪い人間」。
それがどういう種類のものなのか、すぐに判断が付かない。
「〈大人にも、色々いるからね。父さんを利用しようとした人は今までにもいたんだ。……父さんは人をすぐ信じるから、僕がしっかりしないといけないんだよ〉」
「〈……頑張ってきたのね〉」
私にはまったく月並みなことしか言えなかった。かつて彼が感じた打算的な大人への不信感は計り知れないだろう。
ユアンが慈善活動に力を入れているのは、そういう――なにか焦燥感に駆られた面もあるのだということに気付く。
(被害は、こうしていつまでも残る……)
私の表情の変化に気付いたのか、彼は微笑む。
「〈アザリーさんが正義感のある、信頼できる人だってことは僕が知ってる。再会できて本当に嬉しいんだ。そして……どうか父さんの力になってほしい〉」
正義感のある人。信頼できる人。
昔の彼が、私をそう捉えた。
「〈もちろんよ、ユアン〉」
かつて救うことができた命。その澄んだ視線を正面から受け、私は当然間を空けずに頷いた。ほんの少し自分の中に生まれた後ろめたさを見ないようにするためだ。
「アザリー」
ヴィクターの声にそちらを見ると、ペンドルトン氏は記入されたばかりの書面を検めているところだった。最後の確認なのか、集中しているようだ――ヴィクターは立ち上がったユアンに微笑む。
「もうすぐ終わりますよ。良い話はできましたか?」
「とっても。ありがとう、ヴィクター」
彼の言葉を訳すためにユアンの方を見ると、「〈アザリーさんのこと、よろしくお願いしますって伝えて〉」と何とも気まずい手話。
あれほど完璧な配慮が出来る子なのにと驚きつつも、旧知と明かしているから安心してなどと言ってしまった自分が悪いようにも思えた。
まあ……大丈夫だろうか?
彼との再会に浮かれていた私が小声でヴィクターにそのまま伝えたのは、後から思えば実に浅はかな行為だった。彼はにっこりと微笑み、ユアンに向き合って囁く。
これはまたずいぶんと可愛らしい騎士ですね。
ただの嫌味だ……。とても彼には伝えられないし、そんな大人気ないことを言わないでほしい。私が咎めようとしたときにはもう遅く、ユアンはヴィクターの唇を完璧に読み取ってしまっていた。
「〈アザリーさんは素敵な人だからね。『十年前から』〉」
(ユアンまで!)
「アザリー、彼は何と?」
「な、何でもない。何でもないのよ、ヴィクター」
「教えてください。彼は最後、何を強調したんです」
こんなこと、言えるわけもない!
私は内容を必死で隠したが、とにかくヴィクターを挑発する内容だということだけが彼に伝わった。無言で互いを見合う彼らの間の空気は最悪だけれど、なんというか小競り合い感がある。
二人揃ってなんとも子供じみているのが、おそらくその理由だった。相手の意図に気付いてしまえば好戦的なところが、似ている……。
私はペンドルトン氏がこちらを見るまでの間で束の間のパニックに巻き込まれ、胸の奥の違和感をしばし意識の外に置くこととなった。