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取り零し 02

 エドワード・ラドクリフ。

 民間人。事業家で、情報を得るため慈善活動もしていた。組織の末端として情報収集や調査にあたっていて、私も人を通じて指示を出したことがある。

 それまでの組織の仕事は問題なかった――というか、末端に近い立場の男だった。計画の核を任せたことはない。組織に入った経緯も直接聞いた訳ではない。

 各地に根を張り息衝く、組織の端子の一つ。

 放射状の無数の線を持つ網の一部分。

 お父様が作ったこの組織は月日が経つごとにその規模を静かに拡大している。

 あらゆる場所に協力者を抱え、情報提供者を持ち、構成員が通常の生活を送る。いつでも、その網で捕らえられる範囲に入った虫けらを処分できるように。

 それは恐るべき偉業でもあり、時にほのかな不安を生む要因でもあった。

 すべての中心にあるお父様の采配によって組織は統制を保っているけれども、――その無数にいる配下の私生活までのすべてを把握できるわけではないのだ。

「奥様。それで、この男が何なんです?」

 彼が組織に報告した「当時の標的」の情報などは特段構わなかったけれど、ルビーが横にいる状態ではそろそろ先を読むのが躊躇われるようになってきた。

 彼女の様子を窺うようにすると、ルビーは何かを悟ったのかファイルに目を落としたままで呟いた。

 別に、大丈夫ですよ。

 彼女の目はまるで機械のように空虚だ。

「……ルビー」

 私がその頭を撫でると、ルビーはこちらを見上げて笑う。

「ほんとに、気にしなくていいです」

 その言葉を今のところは信じることにした。頁を捲る。

 ラドクリフは、自分の家族に対してのみひどく暴力的な男だった。他人に知られることのない閉鎖空間において振るわれた暴力は、ついには彼の妻を死に至らしめてしまった。

 なまじ頭が回る男だった彼は自らの犯行を隠蔽し、確たる証拠がないとして捜査は難航した。

 それに力を貸したのが。

「シャーロック・ホームズ?」

 ルビーが声を上げた。頷き、記録されている事実を改めて確認する。

 彼は有名な諮問探偵だ。ロンドン警視庁からの要請を受けて、さまざまな事件の解決に手を出している――その中で、組織が関わった犯行とすれ違いかけたこともある。

 世間でも評判になっている彼の鋭い観察眼と推理力は確かなものらしく、組織の存在にも気付いている可能性があるというのがお父様の見立て。

 タイミングの問題だったのか、ラドクリフの犯行はシャーロック・ホームズによって日の下へ晒されたのだ。

 組織はもちろん非合法だが――決してあらゆる犯罪を容認するものではない。秩序を乱す者や目に余る行為をしている者は組織の中でも粛正される。

 組織が力を貸すのは情報提供や依頼に基づき立案された計画と、それに付随するものだけだ。

 もちろん配下が捕まることもある。誰かの身代わりとなった結果であったり、「計画に付随する犯罪」だった場合は組織が金銭によって保釈する――当然ラドクリフの所業がその対象になどなるはずがなかった。

 組織は即座に彼を切り、かすかに存在していた繋がりを全て隠滅した。彼が何を言おうとも組織との関係を証明することはできなかったし、彼が救われることもなかった。その結果は時間を掛けて検討されたとしても変わらなかっただろう。

 だが――検討が異様なまでに早かったのは。

 組織が獄中へ送られる彼を処分せずに置いておいたのは、そこにシャーロック・ホームズの存在があったから。

 余計な動きをして、情報を与えないようにするためだ。

 お父様が懸念材料の一つに挙げている男。

 ペンドルトン氏の娘は――その男に救われている。

(……)

 まだ、何も決まっていない。自分の記憶が誤っていないことを確かめてファイルを閉じると、こちらを見ていたルビーと目が合った。

「お仕事ですか?」

「ううん、まだ違うわ――でも、その娘に会ってみないとね。ルビーにもお願いすることがあるかも」

 貴重な情報源。それに、「火種」……。

 私の微笑みにルビーは明るく笑った。どんなことだって、お任せください。

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