新聞にたびたび載る彼の功績を眺めながら、ふと考える。
シャーロック・ホームズについて。
組織としての懸念はあるとしても――あくまで個人的にであれば、私は彼に悪感情を持っている訳ではない。
もちろん会ったことはないから、彼について私の持つ知識はメディアからの情報で推測される範囲に収まっている。
ただ自らの頭脳を存分に活用して事件解決を図っている以上は犯罪を憎み、正義を愛する人なのだろう。立場は違えど根本的な思想は同じだと思う。
最初にどこかで事件が起き、警察や依頼者からの相談があって行動を起こす。それがシャーロック・ホームズの基本の動き方だ。
彼によって救われた人も、彼によって逮捕が叶った悪人も数多い。素晴らしいことだと思う。でも。
(それでは救えない人がいる。裁かれない悪がある)
私が、組織が標的に置くのは隠された悪だ。
目を背けたくなるような悪事を平気で行いながら、通常の人間のように振る舞う者。
善人の皮を被って生活し、その悪事が社会の表面に現れない者。
それから、通常の司法では裁きが甘すぎるか、または裁くことのできない者たち。
そういう者どもを裁くことは彼には難しいだろう。
犯罪組織として広く情報を得られる経路を有し、公にはできないかすかな声を拾い上げられる環境がなければ。手を汚せる者でなければ、地中に蠢く悪を罰することは不可能だ。
シャーロック・ホームズは知っているのだろうか。
身を焼かれるほどの絶望と憎悪に駆られた時、人間はどうなるのか。
それを知っていてなお――犯罪に手を染めずにいられるのだとしたら、正義だけを追い続けられるのだとしたら、その心に宿る正義をどう保っているのか。
純粋に聞いてみたいと、そう思う。
少し時機を見て、社交シーズンが落ち着いた頃。私はルビーを連れてペンドルトン氏の屋敷を訪れた。
ロンドン郊外に彼が構えている屋敷は落ち着いた雰囲気で広かった。貴族ではないのでそれ特有の豪奢な印象はないけれど、現代的なデザインが実業家らしい。
丁寧に整えられた庭や小規模な温室からはこの家に流れる穏やかな空気がよく伝わってくる。
部屋に案内されるまでに顔を合わせた使用人たちはその多くが年配で落ち着いており、長年勤めているのであろうことが察せられた。ペンドルトン氏の人柄の確かさを改めて実感する。
彼には妻はいないとのことだけれど、使用人たちときっと家族のような関係性を築き上げているのだろう。
貴族のように豪奢なインテリアにお金を掛けるというよりも質の良い調度品を考えて選んだことがわかる上品な邸内は、歩いているだけで安心感がある。
「素敵なお屋敷ね、ルビー」
「はい。とっても」
ルビーは「大人しくするモード」でちゃんと傍についてくれている。
メイド長の娘だけれど、年が近いのでいつも付き添ってもらっているのは彼女のほうだという設定がいまだに通用しているのだ。
「ミセス・ベネット、ようこそいらっしゃいました」
案内された部屋の扉が開くと、しっかりと整えられた上質な応接室がそこにあった。ペンドルトン氏が立ち上がって穏やかに微笑む。
支援が長くなる中で、彼との間に信頼関係が出来上がってきたように思う。やはり友好関係の始まりは、私が手話を学んだと言ったあの時からだったかもしれない――この人は本当に、真心を重視したコミュニケーションを愛しているのだ。それだけでは通用しない貴族は割といるので、私も彼を見ているとほっとする。
私達が特段従前と変更のない打ち合わせを簡単に終えると、ペンドルトン氏はぱっと笑顔を浮かべた。
「それでは、二人を呼んできてもらうとしましょう。あの子達も今日を楽しみにしていたのですよ」
構築された信頼関係の延長線上として、私は彼からリディアを紹介してもらえることになった。屋敷で静かに過ごす彼女の負担にならないようにしたいと希望を出したので、今日の訪問が実現したのだ。
決め手となったのは、私と彼女が同い年であることだ。
確かに私達は立場が違うけれど、慈善事業を介しているため比較的自由に交流することは許される。使用人が伝言のために部屋を去ってから数分、いつも通り良く整えられたスーツを着こなすユアンが嬉しそうに姿を見せ――その後に一人の女性が続いた。
リディアだ。