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取り零し 04

(綺麗な子)

 アイボリーのドレスの控えめながら洗練されたデザインが、彼女の性格をよく表しているように見えた。

 宝飾品が嫌いなのか身につけてはおらず、代わりに本来長いのであろう髪がきっちりと質の良い髪留めで纏められている。袖も裾も長い上品な装いと、ゆっくりとした歩き方が彼女に備わる高貴さによく合っていた。

 物静かなので少し距離はあるように感じるが、大切に育てられていることがよくわかる。

 彼女の壮絶な過去がわずかにでも想像されるのは、その薄く儚い微笑みからだけだ。

「初めまして、ミセス・ベネット。……リディア・ペンドルトンと申します」

「初めまして、リディア。今日は時間を取ってくれてありがとう――会えて本当に嬉しいわ」

 明瞭な発音は、彼女に宿る芯の強さを確かに感じさせた。ユアンが彼女を自然にエスコートしてソファに座らせる。

「〈大丈夫?〉」

「〈ありがとう〉」

 二人の間でそんなやり取りが交わされた。本当の姉弟にしか見えない、温かい空気が流れている――私はリディアに笑い掛けた。

「リディアも、手話を?」

「ユアンと話したいから、勉強しているんです。でも難しくて……まだあんまり分からないけど」

 感心しながら少しの間見ていると、ユアンが彼女に向ける手話は簡単な単語のみだった。姉に気負わせず意思疎通ができるように、彼も配慮しているのだ。

 彼らが互いを大切に思い合っていることが、美しい関係性から知れた。

 リディアは想像していたよりも友好的で、私との話にもよく応じてくれた。それも嬉しい「予想外」だったけれど、もっと予想外だったのは――ユアンのほうからシャーロック・ホームズの話を振ってきてくれたことだった。

「〈アザリーさんは、シャーロック・ホームズを知ってる?〉」

「〈……新聞で活躍をよく見るわ。どうして?〉」

 ユアンとペンドルトン氏は私の質問を待っていたように、かつてリディアが彼によって助けられたのだと話してくれた。

 もちろん彼女の悲惨な過去が話題に上がることはなかった。だが過去に彼女を苦しめた男が有名な探偵によって逮捕されたという事実自体は、この家では明るい英雄譚となっていたのだ。

「彼は本当に素晴らしい推理力を持っているのですよ。彼には感謝してもしきれません」

 ペンドルトン氏の口調はとても愛情深かった。娘をかつて救った天才とみれば心酔するのも当然だろう。ユアンもそれは同じらしく、二人の表情には尊敬の色が強く表れていた。

「〈彼は、正義の味方なんだ。僕も、そういう人間になりたいと思ってる〉」

 ユアンの迷いのない手話と真っ直ぐな視線が、少し重たい。私は微笑んで答えつつ、考える。

 ――こんなふうに話せるようなことなのか?

 てっきりリディアの過去はタブー視されている話題だと思っていたので内心かなり驚いた。そして、その分感じる違和感も強い。

 リディアの表情の明るさ。

 彼女は家族の話しぶりを笑顔で聞いていた。時にホームズを褒め、私も尊敬しているんですと笑う。

 ペンドルトン氏もユアンもそんな反応をにこやかに受け止めるが、私には――彼女が無理をしているように見えたのだ。

 無理して、「家族を安心させようと」している。

 初めて彼女を見たから分かったのかもしれない。何度も見ていたら気付かないだろうと思えるほど彼女の様子は自然だった――けれども同時に、彼女が何かのマニュアル通りにでもしているような妙な感覚もある。

(表面だけの反応をする貴族のようだ)

 そんな、相当失礼だろう感想を抱きつつも私たちはしばらくの間歓談したが、ペンドルトン氏がそのうちユアンに呼び掛けた。

「〈ユアン。二人は初対面だし、同性だから話も合うだろう。少し離れていようか〉」

「〈わかったよ〉」

 温和な人柄の彼らしい、ありがたい心遣いだった。ユアンは素直に父の言うことを聞き、姉に向けてゆっくり手を動かす。

「〈姉さん。アザリーさんと、仲良くね〉」

「〈ええ、『仲良く』〉」

 リディアは弟が形作った手話を真似して微笑んだ。その笑顔の優しさを見れば、彼女が善良な人間であることはわかる。父と弟を見る彼女の表情の柔らかいこと。

 だからこそ、一度感じた違和感が拭えない。

「信頼関係」とは素晴らしいもので、男性陣は本当に私達を二人にしてくれた。どうやら少し離れたところにあるテーブルで仕事の話でもするつもりらしい。

 聞き耳を立てようという意思がまったく伝わってこないのが凄いと思いつつ、私はリディアを見る。

「あの……さっきから思っていたんだけど、二人のときは敬語を外して話さない?」

 リディアは驚いたのか、わずかに目を見開いた。遠慮するように手を振ろうとして、無礼と思ったのかその手を下ろす。逡巡する様子はどうにも可愛らしかった。

「え。でも、貴族様ですから。父を助けてくださってる方だし……」

「だけど、同い年だもの。普通に話せたほうが嬉しいと思って」

 同い年だから。

 そんな風に自分が口にしたとき、私はかつての「友達」のことをふと思い出した。あの時もそれをきっかけに仲良くなった。

 結局、駄目になってしまったけれど……。

 思慮深く揺れる目の前の瞳さえ、なにかを思い起こさせた。ありがとうと、やがてその表情が安堵したように綻ぶのにも。

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