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取り零し 06

 組織へ犯罪依頼を出す方法は、あちこちに用意されている。

 たとえば過去に計画を与えた者からひっそりと流れる噂。ロンドンの夜に紛れて、私達の配下に接触する者もいる。

 一人で歩くその表情が絶望に満ちてさえいれば、こちらからの接触を受けることもあるだろう。

 ルビーは本当に上手くやってくれた――果たして私の書斎へ持ち込まれた犯罪依頼の中に、その名前を見つける。

 リディア・ラドクリフ。

 彼女が依頼をする時、その名前を選んだ時の心境といったら……。

「なんだか、思ってたより物騒な人でしたよ?」

 ルビーがあまりにもあっけらかんと言うので私は反応に困った。とりあえず聞かなかったことにし、彼女の依頼内容に目を通す。

 ――殺人によって囚人となっているエドワード・ラドクリフの殺害。

 ――そして自分が殺人犯であると、公にならないこと。

「……」

 私はつい頷いた。なるほど、「思っていたより物騒」だ。

「組織が依頼を受けて動くこともできるって、伝えたのよね?」

「もちろんですよ! 自分でやるのはちゃんと経験を積んでからにした方がいいって言いましたよ!」

「そんなことは、言わなくていいのよ……」

 殺してやりたい、とは言っていた。その真剣さを疑った訳ではないが、まさか自らの手での獄中殺を望むとは。

 組織の存在とその力を認識すれば、任せたいと思うかもしれない。そんな認識を彼女の憎しみは軽々と超えた。

「まあでも、問題ないですよ。ニューゲート監獄ですもんね」

 ルビーはにっこりと笑った。ロンドンにおける主要な刑務所でありつつも老朽化の進むニューゲート監獄、そこの看守長として組織の人間が座を得ている。看守のうち何人かにも。一般人を連れて行くには場違い過ぎる気もするが、手筈として困難ということでもない。

「……今回は、私が直接行くわ。ルビーも来てくれると助かるんだけど」

「当然です! ついていきます!」

 彼女はレジャーにでも行くかのように楽しげな笑みを浮かべた。

 ルーシーに対しては、危険に巻き込みたくないという考えがあった。物騒なことに触れてほしくないとも。

 ルビーに対しても最初は同じように思っていた。

 まだ幼いし、辛い過去も抱えている。だから犯罪などとは関わらないのが、平和に暮らしていくのが一番だと。

 ただ一緒に過ごすうちに、それは彼女の望みからまったく外れていることを知った。

 彼女はいつでも私に付き従うことを望み、隠されたり置いていかれることを嫌う。遠ざけようとする方が悲しむし、自分が持つ能力を活かしたいと願っている。それに、近くにいて悪いことなど一つもない優秀な人間でもある。

 だから私は彼女を大切に思いながらも、存分に使い倒すと決めている。

「彼に連絡して、ラドクリフを地下の懲罰房に移させておいて。日程が決まったらリディアを連れて行くわ」

「奥様が自分で行かれるの、珍しいですよねぇ。頑張りますね!」

 こんな特殊なケースについてもルビーはそう終わらせてくれるからありがたかった。

 ヴィクターに後から知られたらまた無茶をと叱られるので、先に話しておこうか。

 やるべきことが定まったし、算段も立つ。だからこそ私はクリアな頭でそんな呑気なことを考えた。


 計画は滞りなく実現された。

 夜の闇に紛れて、私たちはリディアを彼女の屋敷から連れ出した。軽んじるつもりはないが、貴族でもなく厳重な警備を敷いている訳でもないペンドルトン邸での行動は比較的容易い。

 彼女は喪服のような黒い服に身を包んでいた。

 リディアが私から危険性を感じ取ってなにか行動を起こすことも念のため警戒していたが、そんなことはなかった。彼女は本当に、自分にふと差し伸べられた糸に縋ったのだ。

 ルーカスが調達してきてくれた処分可能な馬車の中で、彼女は私の顔を真っ直ぐ見た。

「……信じられないわ」

 私のことを、ではないだろう。黙って見返しているうちにリディアはしっかりとした口調で続ける。

「救いの手って、本当にあるのね。こんなことが起きるなんて」

 口にする言葉ほど浮かれてはいない冷静な様子には、少し読めないところがあった。

 彼女の憎しみはよく理解しているつもりだが、実際に完璧な殺人行為ができるわけもないというのは当然の見方だ。対象者を目の前にしたら動けなくなるということも、逆に我を忘れるということもあるだろう。

 私は少し間を置いた後で彼女に言い聞かせる。

「あなたの父親は一人で懲罰房に入れられている。がんじがらめに拘束されている訳ではないから、まずはこの子が制圧する。あなたが手を下すかどうかはその後決める。強制はしない。殺意と実際に身体が動くかどうかは別物なの」

「……わかるわ」

 リディアは素直に頷いた。

 納得するのは、当たり前のことだ。

 父親が逮捕されるまでは、彼女は恐怖から行動することができなかったという。

 問われるのはその時の恐怖が二年間でどう変化したか。案内人である私たちに反論するつもりは、彼女にはないようだった。

 一般人がこれほど平静を保っていられるのは珍しい。長い間抑え続けた憎しみが、今こそ彼女に力を与えているように思えた。

 復讐を確実に果たすための力を。

 司法はエドワード・ラドクリフを裁いた。

 だが彼が殺した妻を生き返らせることはできない。

 そんなことは、誰にもできない。

 その代わりにと、せめてと思う彼女の気持ちを誰が邪魔できるというのだろう。

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