無事に私たちは屋敷へ帰ってきた。ユアンは提案を受け入れてくれたのだ。
「ルーカス、遅くまでごめんなさい。申し訳ないことをしたと思ってるわ」
「こういったことでお役に立てる機会も貴重なものです。どうかそんなふうに仰らないでください」
ルーカスの言葉が本心からのものと信じたくなってしまうのは、私が傷ついているからなのか――彼の優しさをありがたく受け取りながら別れ、ルビーと廊下を歩く。
「ルビーも、ごめんね。大丈夫?」
「はい! また是非!」
こちらは、おそらく本心。それはそれでと危うく思いながらも、変わらない彼女の態度が安心の元になっているのも確かだった。
「ありがとう、ルビー。今日はゆっくり休んでね」
「え、でも、奥様の支度とかしなきゃです。温かい紅茶でも飲みますか?」
「そんなことはいいから……」
早く彼女を休ませようという思いから口にした言葉が途切れたのは、リビングの電気が点いていることに気付いたからだ。
ルビーもそのことに気付くが、固まる私とは正反対に駆け出していく。
「旦那様ー!」
リビングの扉の向こうに消えた彼女の、そんな明るい声が聞こえた。あっという間にまた戻ってくる。
満面の笑顔となって。
「じゃあ、あたしは部屋に戻りますね! ゆっくり、ゆっくり、休みますね!」
「ちょっと、待って。ルビー」
こういう時の引き留めは全く聞いてくれない。風のように去って行ってしまった彼女を見送り、なんとなく気まずい気持ちからそのままでいると――訝し気な表情と共に、その人が扉を開いて姿を見せた。
「アザリー。お帰り」
「……ただいま……」
「何をしているんです、寒いでしょう」
差し出された手を取るのにもわずかに躊躇った。彼のほうから私の手を掴み、私をソファへ促す。
彼はリビングで読書をしながら私を待っていたようだった。何を読んでいたの、と聞いて彼が示す本は完全に私の専門外である。
「もう夜中よ。体に障るわ」
「ここには生憎、鏡がないもので」
ヴィクターはしれっと言いながらブランケットを私の肩に掛けた。何か飲むかと問われて首を横に振る。
「ごめんなさい。心配を掛けて」
「ユアンと話をするためには、あなた自身が行く必要があった。理解しています」
「――ありがとう。でも、ユアンには全て話さないといけない。それが終わったら……もう会えないと思う」
リディアは弟に対して、自分が抱えていた憎しみや殺意について明かしていない。
正義の道を真っ直ぐに歩いてきたユアンにとって、司法で裁かれた相手を自ら殺害したいという感情はとても賛成できるものではないだろう。事実を知って、姉の復讐が叶ったことを喜ぶとは思えない。
もう決めたことだけれど、先程のユアンの目を思い出すと胸の奥が鋭く痛む。
私の呟きにヴィクターから返ってきたのは、そうですかという軽い相槌だけだった。
会話が途切れる。
彼が私の隣にいるまま読書を再開してしまったので、私も何か言うタイミングを失う。彼が部屋に戻るつもりがないことは伝わってくるけれど……。
暖炉の火から伝わる温かさに浸っているだけで夜が明けてしまいそうだ。
しばらくその温度に甘えた後で、尋ねてみる。
「何か、聞かないの?」
「私があなたから離れることはありません。他の誰が離れたとしても」
ヴィクターは頁にぎっしりと収まる難解な文章に目を落としたままだ。それでも私とユアンが決別すると分かっている。そしてそんなことは私との関係において何もマイナスにならないことを、端的に伝えてくれる。
私の罪。私の選択を、静かに受け入れたまま何も変わらずにいてくれる。
こんな配偶者、世界のどこを探しても他に見つかるはずがない。
「……私、あなたと結婚してよかった」
「それが聞けただけでも、待っていた甲斐がありました」
理知的な目が、軽くこちらを見て微笑んだ。眠れそうですかと彼が尋ねるので、私はまた笑って首を振った。