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第十三章 暁風

暁風 01

 しばらく、動けなかった。

 ルビーが戻ってきてようやく視線を移す。彼女はつまらなさそうに、無事屋敷に入りましたよと言った。

 私がありがとうと答えると、ルビーは何か言いたげな様子だった。彼女には手話がわからない――私とユアンの間にどんな会話が交わされたのかが、彼女には雰囲気しかわからなかったはずだ。それを聞きたがっているのだろう。

 自分から話すようなことでもないが、知りたがる彼女に教えないのは酷だとも思う。

 そう思って私は彼女に話す内容をなんとなく整理していたのだが、ルビーはついに何も質問してこなかった。

 質問したそうにはしているが、沈黙を守る。様子がおかしいので、私も見守る。

「……奥様。あの、お茶を飲みますか? お菓子を食べますか?」

 挙句の果てに捻り出された可愛らしい気遣いに私はつい笑ってしまった。とてもそんな気分ではないが、心が少し楽になる。

「急にどうしたの? ルビー」

「旦那様に聞いたんです。いろいろ質問したりしないで、側にいることも大事だって……」

 そんなアドバイスが授けられた光景を想像するだけで微笑ましい。不安げに口にする彼女の頭に手を伸ばす――何度か撫でているうちに、ルビーは嬉しそうに目を細めた。

「あたし、奥様が好きです。奥様の力になりたい。だからあのユアンとかいう人のこと、あたしは嫌いです」

 拗ねているような口調。険悪な空気だけを感じ取るとこうなってしまうのだろうと思い、私は首を振った。

「私は彼のことが好きよ。正義感の強い、犯罪はどんな理由があっても駄目だと言える子。ああいう子を本当は増やしていかなきゃいけないの。私達は……」

 言いながら私は立ち上がった。つられてこちらを見上げるルビーに、出来る限り優しい視線を向ける。

「私達にはその力がある。私が頼りにしているのはね、ルビー。あなたのほうよ」

 ルビーは首を傾げた。それでもなんとなく嬉しそうにはしてくれている。

 彼女がいつも自分なりに考えようとしていることは理解している。少しずつ呑み込んでくれたらいい――やっぱり二人で紅茶を飲みましょうか、そう言うと彼女にわかりやすい喜びの色が宿った。


 私は支援方法の安定と繁忙を理由に、ペンドルトン氏との関わりを減らしていった。実質的にはヴィクターが仕切ってくれていたようなものだったので、ペンドルトン氏にもさほどの違和感を与えることはなかったようだ。

「支援は変わらず続ける。そうですね?」

「……ええ。彼の夢が叶うようにしてあげたいの。子供達の支援も、もちろんなんだけど……」

 ヴィクターは実に歯切れの悪い私の返事に小さな溜息を吐いた。つくづく恵まれた騎士ですね、と呟くのが聞こえる。

 形としては父親への支援だから、ユアンは拒絶できないだろう。せめて彼が自立するときまで支えられればと願いながら、私は彼との関係を絶った。

 自分で決めたことではあるし、間違ったことをしたとも思っていない。それでもどうしようもない疲労感はあったし、また社交シーズンが始まると思うと陰鬱な気持ちも生まれてくる。

(このままじゃいけない……)

 私は組織の仕事の傍ら、ついお義父様へ手紙を出した。別にいつ帰ってもいいのだけれど郵便はすぐに届くし、お義父様からの手紙が欲しいという我儘でもあった。

 少し精神的に辛いことがありました。週末そちらへ帰ってもいいでしょうか?

 甘えが出てなんとなく書いたままに送ってしまった手紙の返事は、すぐに私の元へやってきた。

『あの男に何をされたんだい。いつでも帰ってきなさい』

(…………)

 私の書き方が悪かった。けれど何より、お義父様の思い込みの強さが怖い。私は心の中でヴィクターに謝った。

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