使用人のみんなが、私が気楽に過ごせるよう計らってくれた。私はお義父様との歓談を終えた後もルーシーと話をして束の間の休息を楽しみ、自分の部屋でも少し休むことにした。
自分の部屋を見回すだけでもなんとなく懐かしい気分になる。窓を見ても、ここでポーロックとよく会ったなと思い返したり……。
コン。
なんというタイミングだろう。窓に打ち付けられた小石は、幻か確認する間もなく地面へ落ちていった。
(……最近、まったく姿を見せなかったのに……)
私が家を出たからなのか、お父様の方についているのか。新しい屋敷の方には彼は一度も来ていない。ルビーを通して仕事はお願いしているが、私は彼の顔を久しく見ていなかった。
それがどういう風の吹き回しだろう。
使用人たちの目を搔い潜れるかは怪しいところだったけれど、さんざん話をした後で少し休むと言ってきたので大丈夫だろうか。催促するように二度目の小石が軽い音を立て、私は立ち上がった。
最初に部屋を抜け出したのはいつだっただろう?
耳の手術をした後だった。まだ上手く喋れない私に、彼が近付いてきてくれた。
興味を持ったからと言っていた。それからずっと交流が続いている。私が幼く何も力を持たなかった頃から、ずっと……。
それなのにまだ彼のことを、何も知らない気がする。
廊下を抜け、タイミングを見て扉を開く。
庭へ出る。
変わらず美しく整えられた庭園のベンチに、彼がまるで風景の一部かのように溶け込んでいた。
「お嬢さん。久し振りだね」
「……ポーロック」
彼の見た目は、やっぱり何も変わっていなかった。
毎回ここに侵入してこられる謎も結局解明できていない。何故見つかって問題になったことがないのだろう――そう思いながら彼の隣に掛ける。確かめるだけ無駄だろうが、怪我などはなさそうでほっとした。
「忙しかったの? ずっと会えなかったから心配してたわ」
「仕事はぶん投げてくるくせによく言うよ。忙しくなかったら君のとこに行くはずだって?」
「ずっとそうだったじゃない」
動揺しなくなっちゃったなぁ、と彼はつまらなさそうに言った。
それから私の方に何やら意味深な視線を向けてきて語らないので、さらに質問を続けてみる。
「どうして新しい方の屋敷には来てくれないの」
「冗談だろ、あっちは手練ればっかりだから嫌なんだよ。なんで遊びに行くぐらいで神経を使わなきゃいけないんだ」
「手練れって」
「特にあのちっちゃいのは嫌だ。侵入した瞬間刺してきそうだし」
「……ルビーのこと?」
嫌そうな顔。手を諦めたように振られてそれが肯定だとわかる。確かにあの子は頼りになるけれど……。神経を使えば侵入できるかのような口ぶりではあるが、ポーロックが面倒がるほどの実力だと思うと改めて感心させられるものがある。
「お嬢さんは伯爵と教授に感謝した方がいいよ。あの屋敷にいる限りお嬢さんは安全だし、仕事も様になってるじゃないか。お嬢さんから来る仕事は、教授よりは人間味がある」
ポーロックの物言いにはかなり含みがあった。
彼は私やお父様の計画を受け取って、そのために動いてくれる立場だ。彼に頼む仕事はさまざまだけれど、主にお父様は組織の不穏分子の排除を任せているというような話を聞いたことがある。
私がどちらかというと彼の持つ隠密スキルや情報収集力を重く見ているのは、彼との繋がりの中でその能力の高さを実感することの方が多かったからだろうか……。そう話すと、彼は軽く笑う。
「その違いもあるけどさ、全体的な話だよ。お嬢さんが立てる計画にはまだ良心と配慮が見える――それでも完成度を保ってるのは、誇るべきことだ」
良心と配慮。そうだろうか?
私は自分の仕事の仕方をなんとなく振り返った。配下が集めてくる犯罪者の情報と犯罪依頼。その中から、組織が動くに値すると思うものを取り上げて、優先度の高い方から計画を立てる。完成した計画はその実現ができる者に仕事を頼むか、依頼者に与える。
「その優先度ってのは、何が基準?」
「もちろん、緊急性と事案の深刻さだけど」
ね。と、ポーロックがにやにや笑う。私の不審そうな目を面白がるようにしてから、軽い口調が返ってくる。
「教授の優先度の基準は、組織に綻びが生まれるかどうかだよ」
「……それも、もちろん気にしてるわ」
「お嬢さんなんか比じゃないよ。いや……お嬢さんがそうやって良心ある仕事をしてるから教授が『そっち』に集中できている、というのが正しいところかもね。組織もずいぶん拡大した。教授はその統制を守ることに心を砕いてる」
彼の言いたいことが、私にはよくわからなかった。
お父様を批判しているのだろうか? それほどの攻撃性は感じられない。ポーロックはあの猫のような笑い方で私を見ている。
「そんな怖い顔しないでよ、お嬢さん。組織が上手く回り続けた結果なんだから、何も悪いことはないだろ? 必要な犠牲が増えたことも、気にするべきことが変わったのもさ」
「何が言いたいの」
「お嬢さんに話があって来たんだ。だから今日を狙った」
ポーロックの微笑みは穏やかだ。私を教え導き、力となり続けてくれた。彼とどれだけ言葉を交わし、笑いあったかもわからない。
それでも彼のことを何も理解できていなかったのだと、私は痛感することになる。
あまりにも何でもないことのように、彼が笑うから。
「組織を抜けようと思うんだよ」