「姫様、そろそろお時間でございます」
執事が恭しく頭を下げながら告げる。
「お時間って……今度は何だ?」
王女教育と称して、姿勢、歩き方、言葉遣いと散々しごかれた俺は、心底うんざりしていた。ようやく解放されると思ったのに、まだ何かあるのか?
「本日、姫様の護衛を務める専属騎士が正式に着任されます」
「護衛?」
「ええ。姫様はこの国の希望。そのお身を狙う者も少なくありません。ゆえに、最も優れた騎士が、姫様をお守りする役目を担うのです」
「……いや、俺、護衛なんかいらねぇし」
俺は元々剣士だった。戦う術は心得ているし、このか弱い身体にまだ慣れていないとはいえ、無防備なわけじゃない。
「ですが、これは王命ですので」
執事は淡々とした口調でそう言うと、俺を部屋の外へと促した。
「ちっ……仕方ねぇな」
俺は不機嫌そうにため息をつきながらも、渋々従うことにした。
◆
大広間の扉が重々しく開かれると、そこには一人の男が立っていた。
「姫様に忠誠を誓う者――ユージン・クラウゼ、参上しました」
彼は跪き、右手を胸に当てて深く頭を下げる。その動作は寸分の狂いもなく洗練され、無駄がなかった。
「……お前が、俺の護衛?」
俺は慎重に彼を見上げた。
ユージン・クラウゼ。俺よりも頭一つ分は高く、がっしりとした体躯。だが、無骨な印象はなく、洗練された美しさすら感じる。鋼のような青い瞳はまっすぐこちらを見つめ、どこまでも冷静で――まるで俺の心の内を見透かしているようだった。
「はい、姫様。これより、命に代えてお守りいたします」
「……いや、俺、別に守られるつもりねぇんだけど」
俺がそっけなく言うと、ユージンは少しだけ微笑んだ。
「そうおっしゃると思っておりました」
「何だよ、俺のこと知ってるのか?」
「いいえ、ですが、姫様が"剣を握る人間"であったことは、その立ち居振る舞いから分かります」
俺は少しだけ眉をひそめる。確かに、剣士としての歩き方や姿勢は、まだ完全には抜けていない。
「それで、姫様は"自分で戦える"と?」
「そうだ。だから、お前の出番はない」
そう言い放つ俺に、ユージンはすっと近づいた。
「……っ!?」
あまりにも突然だったので、思わずあとずさる。しかし、ユージンはさらに一歩近づき、俺の顔を覗き込むように見つめてきた。
「な、何だよ」
「失礼ですが、姫様」
ユージンはゆっくりと手を伸ばし、俺の肩に触れた。
「……っ!」
不思議な感覚が背筋を駆け抜ける。まるで、触れられた部分だけが熱を持つようだった。
「今の姫様の身体で、今まで通りの戦いができるとお思いですか?」
「……!」
何も言えなかった。
確かに、俺は剣士だった。けれど、今の俺はこの華奢な身体だ。実際、歩くのですらまだ違和感があるのに、剣を振るうことができるとは思えなかった。
「……ちっ」
俺が舌打ちすると、ユージンはまた微笑んだ。
「姫様、ご安心ください」
「……何が」
「剣を握ることだけが強さではありません。私は姫様の盾となり、矛となる。それが私の使命」
俺は思わず息を呑んだ。
「……そんな簡単に言うなよ」
「簡単なことではありません。しかし、それが私の誇りでもあります」
ユージンはすっと手を引く。
「姫様、私にお任せください」
その言葉に、俺は何も言えなかった。
この男は本気だ。どんな状況でも、俺を守るつもりでいる。
――それが、どうしようもなく、恥ずかしくて。
「……勝手にしろ」
俺はそっぽを向いたまま、それだけを呟いた。
「では、これより姫様の護衛としてお仕えします」
ユージンは深く一礼し、その場を退いた。
俺の心臓は、どこかざわざわとしていた。
「……クソ、距離感近すぎるんだよ」
小さくぼやいた俺の声は、誰にも聞かれずに消えていった。