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第6話

「姫様、そろそろお時間でございます」




 執事が恭しく頭を下げながら告げる。




 「お時間って……今度は何だ?」




 王女教育と称して、姿勢、歩き方、言葉遣いと散々しごかれた俺は、心底うんざりしていた。ようやく解放されると思ったのに、まだ何かあるのか?




 「本日、姫様の護衛を務める専属騎士が正式に着任されます」




 「護衛?」




 「ええ。姫様はこの国の希望。そのお身を狙う者も少なくありません。ゆえに、最も優れた騎士が、姫様をお守りする役目を担うのです」




 「……いや、俺、護衛なんかいらねぇし」




 俺は元々剣士だった。戦う術は心得ているし、このか弱い身体にまだ慣れていないとはいえ、無防備なわけじゃない。




 「ですが、これは王命ですので」




 執事は淡々とした口調でそう言うと、俺を部屋の外へと促した。




 「ちっ……仕方ねぇな」




 俺は不機嫌そうにため息をつきながらも、渋々従うことにした。




 ◆




 大広間の扉が重々しく開かれると、そこには一人の男が立っていた。




 「姫様に忠誠を誓う者――ユージン・クラウゼ、参上しました」




 彼は跪き、右手を胸に当てて深く頭を下げる。その動作は寸分の狂いもなく洗練され、無駄がなかった。




 「……お前が、俺の護衛?」




 俺は慎重に彼を見上げた。




 ユージン・クラウゼ。俺よりも頭一つ分は高く、がっしりとした体躯。だが、無骨な印象はなく、洗練された美しさすら感じる。鋼のような青い瞳はまっすぐこちらを見つめ、どこまでも冷静で――まるで俺の心の内を見透かしているようだった。




 「はい、姫様。これより、命に代えてお守りいたします」




 「……いや、俺、別に守られるつもりねぇんだけど」




 俺がそっけなく言うと、ユージンは少しだけ微笑んだ。




 「そうおっしゃると思っておりました」




 「何だよ、俺のこと知ってるのか?」




 「いいえ、ですが、姫様が"剣を握る人間"であったことは、その立ち居振る舞いから分かります」




 俺は少しだけ眉をひそめる。確かに、剣士としての歩き方や姿勢は、まだ完全には抜けていない。




 「それで、姫様は"自分で戦える"と?」




 「そうだ。だから、お前の出番はない」




 そう言い放つ俺に、ユージンはすっと近づいた。




 「……っ!?」




 あまりにも突然だったので、思わずあとずさる。しかし、ユージンはさらに一歩近づき、俺の顔を覗き込むように見つめてきた。




 「な、何だよ」




 「失礼ですが、姫様」




 ユージンはゆっくりと手を伸ばし、俺の肩に触れた。




 「……っ!」




 不思議な感覚が背筋を駆け抜ける。まるで、触れられた部分だけが熱を持つようだった。




 「今の姫様の身体で、今まで通りの戦いができるとお思いですか?」




 「……!」




 何も言えなかった。




 確かに、俺は剣士だった。けれど、今の俺はこの華奢な身体だ。実際、歩くのですらまだ違和感があるのに、剣を振るうことができるとは思えなかった。




 「……ちっ」




 俺が舌打ちすると、ユージンはまた微笑んだ。




 「姫様、ご安心ください」




 「……何が」




 「剣を握ることだけが強さではありません。私は姫様の盾となり、矛となる。それが私の使命」




 俺は思わず息を呑んだ。




 「……そんな簡単に言うなよ」




 「簡単なことではありません。しかし、それが私の誇りでもあります」




 ユージンはすっと手を引く。




 「姫様、私にお任せください」




 その言葉に、俺は何も言えなかった。




 この男は本気だ。どんな状況でも、俺を守るつもりでいる。




 ――それが、どうしようもなく、恥ずかしくて。




 「……勝手にしろ」




 俺はそっぽを向いたまま、それだけを呟いた。




 「では、これより姫様の護衛としてお仕えします」




 ユージンは深く一礼し、その場を退いた。




 俺の心臓は、どこかざわざわとしていた。




 「……クソ、距離感近すぎるんだよ」




 小さくぼやいた俺の声は、誰にも聞かれずに消えていった。

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