「姫様、お時間でございます」
クラリスの落ち着いた声が部屋に響く。俺は深いため息をついた。
「……マジで行かなきゃダメか?」
「当然でございます」
鏡の前に映るのは、信じられないほど華やかなドレスを纏った俺の姿だった。
淡い青のドレスは胸元から裾にかけて繊細な刺繍が施され、スカート部分は幾重にも重なるレースでふんわりと膨らんでいる。袖口には細かなパールが散りばめられ、腰には銀のリボンが優雅に結ばれていた。
――どう見ても、完全なる"お姫様"だった。
「……俺、これ本当に着なきゃダメ?」
「何をおっしゃいますか、姫様。舞踏会とは貴族たちとの最初の交流の場。ここで王女としての威厳を示すことが重要なのです」
「俺にそんな威厳なんかねぇよ……」
ぼやきながら鏡の中の自分を見る。長く流れる銀髪に、輝く紅い瞳。まるで"絵画の中の姫君"のように整った容姿がそこにあった。
「……はぁ」
結局、俺に選択肢なんてない。
観念して、ドレスのスカートを軽く持ち上げた。
「行くぞ」
クラリスが満足げに微笑む。
「姫様、胸を張ってお進みくださいませ」
◆
大広間の扉が開かれた瞬間、そこにいた貴族たちの視線が一斉に俺へと集まった。
「……うわ」
人が多い。しかも、そのほとんどが俺をまじまじと見つめている。
ざわ……と広間に微かなどよめきが走る。
「なんという美しさ……」
「これがアルザード王国の姫……」
「まるで月の女神のようだ……」
そんなささやきが聞こえてくる。俺は居心地の悪さに、無意識にスカートをぎゅっと握った。
「姫様、堂々となさって」
隣に立つユージンが小声で囁く。
「堂々となんてできるかよ……!」
「皆様、姫様にご挨拶を」
クラリスの合図で、貴族たちが次々と俺の前に進み出てきた。
「レイシア姫様、お会いできて光栄です」
「姫様のお美しさは噂以上ですな」
「これほど気品あるお方が王国に戻られたこと、喜ばしい限りです」
そんな言葉が次々と飛び交う。
「え、あ、はい、ども……?」
何と言えばいいか分からず、適当に頭を下げる。
クラリスがすぐに咳払いした。
「姫様、"ご機嫌麗しゅうございます"です」
「ご機嫌麗しゅう……?」
「そうでございます」
「ご、ご機嫌麗しゅう……」
貴族たちがくすっと微笑む。
「ああ、なんと可愛らしい!」
「初々しさがまた素晴らしいですな!」
――やばい、完全に"王女らしい対応"ができてねぇ。
「姫様、落ち着いて」
ユージンがさりげなくフォローする。
「くそ……こんな場に出たくなかったんだよ……」
俺は心の中でぼやきながら、貴族たちの相手を続けた。
◆
「姫様、次はダンスの時間でございます」
クラリスが優雅に言う。
「ダンス!? 俺、そんなもんできねぇぞ!」
「ご安心ください。パートナーがお導きいたします」
「パートナー……?」
そう言った瞬間、俺の前に一人の男が現れた。
「姫様、お手を」
蒼真だった。
「お前……!」
「ダンスくらい、付き合ってやるよ」
蒼真がニヤリと笑う。
「ちょっと待て、俺は踊れねぇって……!」
「いいから、ついてこい」
そう言って、俺の手を引く。
「わっ……!」
蒼真の手は大きくて、温かかった。
俺は慌ててバランスを取ろうとするが、ドレスの裾がふわりと広がり、思うように動けない。
「ほら、足をこう動かすんだよ」
蒼真が俺の腰に手を回し、リードする。
「ち、近い!」
「ダンスってのは、こういうもんだろ?」
蒼真が余裕の笑みを浮かべる。
「……くそ、バカにしてるだろ?」
「いや、マジでお前がこんな姿で踊ってるの、面白くて仕方ねぇ」
俺は赤くなった。
「こ、殺すぞ!」
「お姫様がそんな言葉使うなよ」
蒼真は笑いながら、俺の手を引いた。
気づけば、音楽に合わせて俺たちは踊っていた。
貴族たちは微笑ましげに俺たちを見つめている。
「……くそ、どうしてこんなことになったんだよ」
「お前が王女になったからだろ?」
「お前も勇者になってんじゃねぇか」
「まぁな」
俺たちは言い合いながらも、ダンスを続ける。
俺が舞踏会に慣れる日は――まだまだ遠そうだった。