夜の帳が下り、城の中庭は静寂に包まれていた。
俺はバルコニーの手すりにもたれかかり、空を見上げる。満天の星が広がり、夜風が頬を撫でた。
この異世界に来てから、いろんなことがあった。
王女にされ、貴族の前で社交デビューをし、そして――ユージンが俺に妙な態度を取り始めた。
「……あいつ、最近おかしいよな」
独り言のように呟く。
ユージン・クラウゼ。俺の専属騎士であり、この世界で最も信頼できる男。
彼は忠誠を誓い、俺の剣として戦う存在だった。
それなのに――
「……"それ以上の感情"って、何なんだよ」
この前の舞踏会の夜、ユージンは俺の手を取って言った。
『私は、姫様の隣にいる者になりたい』
あのときの彼の瞳は、いつもの冷静な騎士のものじゃなかった。
まるで、俺を――
「……はぁ」
考えたくもないのに、頭の中にユージンの顔が浮かぶ。
慌てて頭を振った、そのとき。
「姫様?」
突然、後ろから声をかけられた。
「うわっ!」
驚いて振り返ると、そこにはユージンが立っていた。
「な、なんだよ……驚かせんな」
「すみません、少し様子が気になりまして」
ユージンはいつものように落ち着いた態度で、俺を見つめていた。
「こんな夜更けに、どうされたのです?」
「別に……ただ、少し考え事をしてただけだ」
「考え事、ですか」
ユージンは俺の隣に静かに立つ。
「……君が、こんな夜に一人でいるのは珍しいですね」
「まあな」
俺は苦笑した。
すると、ユージンはゆっくりと俺を見た。
「姫様」
「ん?」
「私が、君を守ります」
「……?」
ユージンの言葉に、俺は一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「え……?」
「私は、姫様の騎士です。どんなときも、姫様の隣で剣を振るい、盾となる存在です」
「……それは分かってるけど」
「ですが……」
ユージンは一歩近づいた。
「それだけでは、もう済まされないのかもしれません」
「……は?」
俺の心臓が、なぜかドクンと跳ねた。
「私は、君を守ることに喜びを感じている。姫様が剣を握るかぎり、私はその隣で共に戦いたい。だが……」
ユージンの瞳が、俺を真っ直ぐに見据える。
「もし、君が戦えなくなったときは……私は、それでも君のそばにいたいと、そう思うのです」
「……!」
俺は息を飲んだ。
ユージンの言葉は、今までの"騎士としての忠誠"とは違う響きを持っていた。
「……それって、どういう意味だ?」
俺が慎重に問いかけると、ユージンはふっと微笑んだ。
「私にも、よく分かりません」
「は?」
「ただ、君がこの世界に現れてから……私は"守ること"以外の感情を抱き始めている」
ユージンの声は、どこか戸惑っていた。
「姫様としての君ではなく、"レイシア"という一人の存在として、私は君を見ている」
「……っ」
俺の中で、何かがざわついた。
「それって……つまり、お前は……」
「私は君に惹かれ始めているのでしょう」
ユージンは、静かに言った。
俺の顔が一気に熱くなる。
「な、なんで……!?」
「なぜ、でしょうね」
ユージンは微笑みながら、俺の手を取る。
「君は強い。どんな困難にも立ち向かい、決して挫けない。それでいて、不器用なほどに人を想う心を持っている」
「……」
「そんな君を、私は……ただの主として見ることが、できなくなったのかもしれません」
ユージンの手は、優しく、けれどしっかりと俺を掴んでいた。
俺は、それを振り払うことができなかった。
「……」
今まで、男として生きてきた。
そして今、俺は"王女"になっている。
ユージンは、俺を"王女"として見ているのか? それとも――
「……冗談、だよな?」
俺は、なんとか笑おうとした。
「いいえ、本気です」
ユージンの目には、迷いがなかった。
俺は、完全に混乱していた。
「俺は……男だったんだぞ?」
「それでも、私は……君が"君"であることに、惹かれているのかもしれません」
ユージンの言葉が、俺の胸の奥に深く刺さった。
「……っ」
俺は、ユージンからそっと手を引いた。
「……俺は、まだ、そんなの考えられねぇ」
「……そうですね」
ユージンは少しだけ微笑んだ。
「では、その時が来るまで……私はただ、君のそばにいましょう」
「……っ」
その言葉が、なぜか、心に残った。
俺は何も言えず、ただ夜空を見上げた。
――ユージンは、俺をどう見ているんだ?
――いや、それよりも……俺は、ユージンをどう思っているんだ?
答えの出ない問いが、夜空に溶けていった。